新一万円札の顔であり、2021年大河ドラマ「青天を衝け」の主人公としても知られる渋沢栄一。『君から、動け。渋沢栄一に学ぶ「働く」とは何か』(幻冬舎刊)では、渋沢に大変な感銘を受けた元・東レ株式会社取締役の佐々木常夫氏が、渋沢の言葉や思想を紹介しつつ、その言葉と思想をビジネスにどう生かし実践したのかを語っています。一部を抜粋しご紹介します。
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新ビジネスには「完全な設計と細心の配慮」
渋沢は起業について、「事業を成功させるには、非常な決心と綿密周到な注意をもってかからなければならない」と述べ、これを踏まえた上で「やろうとしていることが実現可能かどうか」を検討せよと言っています。
ただし、実現可能なら何をやってもいいかといえば、あながちそうとは言い切れない。例えば富士山のてっぺんにホテルを建設しようと思えば、やってやれないことはない。建設そのものだけなら、実現不可能なことはない。
だが、経営していくことができるかどうかといえば、難しい。営業の見込みが立たないことは誰もが見当がつく。つまり、できるということと成り立つということは必ずしも一致しないと、渋沢は注意を促しています。
では、成り立つかどうかを見極めるには何を考えればいいのか。渋沢は「事業を起こすには完全な設計と細心の配慮が必要である」と念押しした上で、起業に関する最も重要な注意事項として、次の4点を挙げています。
1 利益が出るかどうか<数字>
2 個人・国家社会、両方の利益になるか<公益>
3 時代に合っているか<時機>
4 適切な経営者となる人材がいるか<人材>
この4点が満たされていれば見込みがあるとみてよい、というわけです。
経営に必要な「4つの条件」
渋沢は4つの注意事項について、さらに詳しく次のように述べています。
1 利益が出るかどうか<数字>
成功する見込みがあるかどうかを、具体的な数字で出す。数字に裏付けられた成算もなく、漠然と「この事業は有望だ」とか「世間で需要がある」といった「だろう勘定」で始めると、十中八九は失敗する。
起業家にとって何より優先すべきは数の観念。精細綿密に計算して、右から見ても左から見ても間違いのないようにする。これができれば、事業の骨組みが成立したと言ってもいい。
2 個人・国家社会、両方の利益になるか<公益>
事業というものは個人の利益だけでなく、国家社会の公益につながっていなければならない。個人の利益ばかり追求していては、一時は繁盛してもいずれは社会に見捨てられ没落してしまう。
かといって、公益のために個人の利益をないがしろにしていいわけもない。私益より公益と言えば聞こえは立派だが、個人の利益を犠牲にすれば収支が合わなくなり、そもそも企業経営自体が成り立たない。
事業と名がつくからには自分も利益を得ながら、同時に公益になることを考えに入れなければならない。
3 時代に合っているか<時機>
数字の上での見込みが立ち、公私の利益が認められても、時代の求めに応えられる事業でなければ成功しない。時機の好悪を見抜いてかからなければ時代の潮流に圧倒されてしまう。
いかに有益有利な事業であっても、世間一般が不景気であれば望みは薄い。逆に好景気だからと潮流に乗ろうとしても、それが一過性なのか永続するのかを識別してかからなければ失敗することもある。
「時機」というものは、絶対に見逃してはならない重要課題である。
4 適切な経営者となる人材がいるか<人材>
どんな事業もそれなりの人物がいなければ経営はできない。どれほど潤沢な資本があっても、計画がいかに立派でも、適切な経営者を得なければ資本も計画も台無しになる。
例えば、いかに精巧な機械でも人力や火力などの動力がなければ何の役にも立たない。同様に、事業経営も適任者を得なければうまく回すことはできない。
結局「事業は人なり」なのである。とはいえ人間は万能ではない。どれほど熟慮して選んでも、見込み違いだったり見当はずれだったり、間違いを犯してしまうこともある。
人材に限らず、時機を見誤ることもあれば、計画の見込みの甘さが露呈する場合もある。こうした場合に備えるためにも、以上の4点を肝に銘じて取り組んでもらいたい。
経営に正解はない
渋沢の挙げた4つの条件は、非常に的を射ています。今の時代に当てはめても、全くその通りだと感じます。渋沢の実業力がいかに優れているか、これを見ると改めて痛感させられます。
例えば東レの場合で言うと、ビジネスを始める際には公益、つまり社会の役に立つかどうかを必ずチェックします。したがって「パチンコ台を作ろう」という提案はまず通りません。儲けはいいかもしれませんが、公益に寄与するとは言いがたいからです。
一方、「人工血液を開発できないか」という提案が出た時、社会的に役立つということで一旦は認められたものの、調べるうちに極めてリスクが高いことがわかり、残念ながら実現は見送られました。この事業の開発には時間もお金もかかる可能性が高い。つまり2番目の利益面を満たすことが難しいと判断されたわけです。
また3番目の「時代に合っているか」では、こんなことがありました。
かつて東レの炭素繊維は10年以上も赤字続きの不採算部門でした。社内からは「炭素繊維部門なんか潰してしまった方がいい」という意見まで挙がり、事実アメリカやヨーロッパでは多くの企業が撤退しましたが、東レは炭素繊維の可能性を見込んで、継続する道を選びました。
ところが、しばらくするとゴルフクラブやテニスのラケット、釣り竿などにしか使われていなかった炭素繊維が、航空機に使われるようになりました。電車の防音壁や風力発電の風車、それに自動車の部品にも使われるようになり、やがてナイロンやポリエステルをしのぐ黒字部門になったのです。
軽くて強いのが炭素繊維の最大の特長です。鉄などに比べると高価ですが、軽量化できるため乗り物に用いれば燃費が良く、結果的に経済性に優れることになるため、炭素繊維が鉄やアルミにとって代わりつつあるというわけです。
このように、「潰すべきだ」とまで言われた事業が黒字転換したということは、撤退しなかった経営判断が正しかったことを意味します。「今はダメでも、いずれは盛り返す」という「時機」の見方が適切だったと言えます。
もっとも、この手の時期や事業性の判断に原則や指標などはありません。
その会社がどんな会社なのか。消費財なのか生産材なのか。大企業か中小企業か。グローバルかローカルか。あるいはどのような人材や技術を持っているか。どんな競争相手がいるのか。こういった様々な要因を考慮し、判断していくしかありません。
孟子の教えに「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず(天運は地理的有利に及ばない、地理的有利は人心の和に及ばない)」というのがありますが、適切な時期や事業性の見定めも、「場所や労働力、資金力はあるか(地の利)」「適任者を選び一致団結してやれるか(人の和)」などの条件がうまく揃ってこそ、絶好のチャンス(天運)を掴めるということなのだと思います。
君から、動け。渋沢栄一に学ぶ「働く」とは何か
30代に渋沢栄一を知り大変な感銘を受け、以降、その思想を働き方・生き方の羅針盤としてきた元・東レ株式会社取締役の佐々木常夫氏が、心に深く残っている渋沢栄一の言葉や思想を選び、背景を紹介しつつ、その言葉と思想をビジネスにどう生かし実践したのかを語る『君から、動け。渋沢栄一に学ぶ「働く」とは何か』。その中から一部を抜粋しご紹介します。