「ショートケーキ」や「チーズケーキ」などの定番商品から、「パリブレスト」「ババ」などの変り種まで、約150種のお菓子に秘められた物語を明らかにした書籍『お菓子の由来物語』。名前や形の由来から、現代にいたるまでの変遷や歴史上の人物との関係性など、お菓子のルーツを余すところなく紹介しているこの一冊から、一部を抜粋してご紹介します。
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マカロンの原型は修道僧の「ヘソ」
マカロンの原型は、8世紀にヴェネチア作られた修道僧のヘソを模したマカローネというお菓子だといわれている(*1)。
マカロンは、16世紀、フィレンツェの富豪の娘である、カトリーヌ・ド・メディチが、フランスのアンリ2世に嫁いだことにより、フランスに伝わる。
戒律の厳しい修道院では、肉食を禁じたため、たんぱく質が豊富で、栄養価の高いアーモンドと卵白を使って作るマカロンが発達し、各地で色々なマカロンが作られるようになる(*2)。
カトリーヌ・ド・メディチが伝えた正統なマカロンは、ロレーヌ地方ナンシーの聖サクレマン教会で作られていたマカロン。それは、この教会がカトリーヌ・ド・メディチの孫にあたるカトリーヌ・ド・ロレーヌにより建立され、メディチ家伝統のマカロンのレシピも伝えられたからである。
*1 マカローネとは、もともと「練った生地を切った」という意味であり、フランスに伝わった当時は、パスタの一部もお菓子も同じように呼ばれていた。しかし、17世紀に入り、パスタはマカロニ、お菓子の方はマカロンと呼ばれるようになった。
*2 クッキー風のマカロン・ダミアン、平たいマカロン・ド・ナンシーなど様々なマカロンが存在する。日本で我々がマカロンと呼んでいる表面のすべすべしたものは、マカロン・リュスという、パリ風のマカロンである。近時はマカロン生地を使ったプチガトーも見られる。
マカロンの大衆化
その後1789年、フランス革命が起こり、聖職者も職を追われることになる。特に、ナンシーの聖サクレマン教会の修道士、修道女は、王侯貴族の縁者等で構成されていたので、庶民の非難が厳しく、身を隠さなければならなくなった。
この教会に属したカトリーヌ・グリオットとエリザベート・モルローの2人の修道女も、教会の熱心な信者であった医師ゴルマン夫妻の家に匿ってもらった。
革命による混乱が終わった後、2人はゴルマン夫妻への恩返しと生活費を捻出するため、教会で作っていたマカロンをナンシーの町で売りはじめる。2人は、マカロンの修道女という意味で、スール・マカロンと呼ばれ、今でもナンシーの町では、「メゾン・ド・スール・マカロン」という店がマカロンを売っている。
日本のマカロンは「マコロン」から
マカロンが日本に伝わったときは、あまり評判が芳しくなかった。そこでアーモンド粉の代わりに日本人にも馴染み深いピーナッツ粉を主原料とした「マコロン」と称されるお菓子が作られ、親しまれた。
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お菓子の由来物語
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