「面白すぎです、藤倉大!」と恩田陸さんも絶賛、抱腹絶倒の自伝『どうしてこうなっちゃったか』。刊行を記念して、著者・藤倉大さんに、担当編集者がインタビュー。一風変わったタイトルの理由、「大さんの日本語で、本になるの?」とマネージャーさんに心配される一方で、作曲家という特殊な仕事で日々、淡々と過ごし、むしろ質素な生活をする自分の人生が本当に本になるのか心配だったこと等々、刊行までの舞台裏をおおいに語っていただきました。
タイトルは、コント55号の「なんでそうなるの?」か、英語特有の言い回しか
—— このたび、ロンドン在住の作曲家・藤倉大さんの、初の単行本『どうしてこうなっちゃったか』が小社から刊行されました。
いきなりですが『どうしてこうなっちゃったか』って、なんだか不思議なタイトルですよね。
この2年半ほど担当しながら、なにかにリズムというか意味合いというかが似ている、とずっと思いをめぐらしていたら、大昔、懐かしのコント55号のテレビお笑い番組「なんでそうなるの?」だと、ごく最近、気づきました。
でも、この番組は1973年~75年あたりの放送(萩本欽一さんの自伝のタイトルにもなっている)だから、藤倉さんが生まれる前で、もちろんご存じないですよね。
藤倉 その番組は知らないですねー。
—— あるいは英語特有の言い回しがあって、その日本語翻訳なのかな、とも思いましたが、そうでもなさそうだし。
藤倉 そうですね、ちがいますね。しいて英語でいうと「How did I end up here?」ですかね。
—— このタイトルに籠めた意味などあれば聞かせてください。
藤倉 どうしてこのタイトルにしたのかな、と今思い出すと、「自伝」というと、もう功なり名を遂げた偉い人が書いたもの、という感じがします。が、僕はもちろんそんな人間ではないので、英語でいう「What not to do(やるべきじゃないこと)」的な、いわば反面教師的な、「僕を見て、何をしないでおいたほうがいいかを学んでください」的な意味を含んだフレーズで、どこかふざけたニュアンスのあるタイトルないかな、 と思って、提案させてもらいました。
—— そうか「こんなふうになっちゃいけないよ」って意味合いを持たせたかった、ということですね。まったく気づかずに毎月、編集していました。
藤倉 僕としては、まさか、これに決まるとは思っていなかったです(笑)。
—— 最初は、単行本にするときは絶対タイトル変更しよう、と思っていたんですが、2年以上連載しているうちに、しっくりしてきちゃったんですよね。
藤倉 僕もそうです。今は、これ以外のタイトル、考えられない感じですね。
「サザエさん」の伊佐坂先生を思い出し、心配が次々と…
—— 雑誌連載期間は2年3カ月でしたが、その後の書き下ろし部分の追加や、加筆修正などを含めると、構想&書き始めから3年ほどかかったのではないでしょうか。
この、かかった時間についてどんな感想をお持ちですか?
藤倉 そうですね、まず最初に、僕にエッセイの連載なんてできるのかな? という心配がすぐに大きくのしかかりました。
僕は日本語も英語も、話す分にはいいですが、ちゃんと文章を書く、となると、自分で思う完璧というレベルからほど遠くなってしまうんです。
—— わたしが依頼したとき、すぐに快諾だったような気がしますが(笑)。
藤倉 あれでもかなり迷っていたんですよ。
僕のマネージャーも「以前、ある演奏家が雑誌で連載をしていた時に、相当大変だったみたいよ。作曲に支障が出ないといいのですが」と心配していました。
それに、マネージャーたちが、プログラムノートとかの僕の書く日本語の原稿をいつも直してくるので、そもそも「大さんの日本語で、本になるような文章になるの?」とは思っていたようです(笑)。
志儀さん(この本の編集担当者)が言ったじゃないですか、「書き手は、書き上げたあと、編集され、校閲され、印刷された文章を自分で読み直すと、自然に(少しずつ)うまくなるものなのです」と。なので、僕は毎月、連載していた雑誌「小説幻冬」が出るたびに何回も読み直しました。
おかげでマネージャーたちからは「最近、メールに書いてくる大さんの文章よくなりましたね」とは言われています(笑)。
アニメ「サザエさん」の伊佐坂先生は、つねに出版社の編集者からの原稿の催促に逃げ回っているイメージがあるでしょう。
それが心配でした。
僕は作曲においては、締め切りの1年前とか半年前とかに仕上げるので、本業で締め切りに追われたことがないのですが、文章を書くという「苦手分野」での、なにからなにまで初めてのことだったので、かなりチャレンジングだったんです。
—— 大変な決意だったんですね。それも気づきませんでした。それにしても藤倉さんの作家像が伊佐坂先生だとは(笑)!
藤倉 あともう一つは、この本を読めばわかると思いますが、なにせ自分自身が、今でも大変平均的な、いや、むしろ質素な生活を送っているので、そんな、とても特別とは思えない自分の人生や日常を書いて、本になるような面白い話になるのかな、という心配です。
—— お金の苦労話はそうとう出てきますよね。玄関のドアがベニヤ板1枚で上部がないアパートとか、絶えず硫黄臭のするキッチンとか、家賃の安い住宅の話もそれにからんでたくさん出てきます。
藤倉 今もそれと大して変わらない借家に住んでいますし。
コロナ禍前は、僕は演奏会に立ち合う旅行や移動がとても多かったので、文章は必ず家の外で書こう、と決めていました。
なので、いろんな国の空港で飛行機を待っている時に書いたり、ぎゅうぎゅう詰めのエコノミー席に座りながら、肘とか隣の知らない人に当たりながらもパソコン開けて書いていました。
—— そこは伊佐坂先生とかなり違う。 流行作家みたいです(笑)。
藤倉 そうかも(笑)。
毎月いったん文章を書いた後の、編集者とのやりとりがとても面白かった。
作家が書く小説やエッセイ、それに映画の中でも、作家が編集者と話し合うシーンなんかがあるので、どんなことをやりとりしているのか、ずっと不思議に思っていたんです。
もちろん僕のような非プロの書き手と、ベストセラー作家と編集者との関係は全然違うでしょうけれど。
逆に僕の音楽作品の楽譜出版社が、僕の書く作品の中身に云々、言ってくることはありえませんから。
書くことの「大変さ」だけでなく「怖さ」も感じた
—— コロナ禍に突入後はいかがですか。
藤倉 むしろパンデミックになってからが大変でしたね。
ヨーロッパはすべて演奏会が中止で、なにせ毎日、時間がありすぎて、いつ書けばいいのかわからなくなりました。
自分の家で書いたことがないから、どこで書けばいいのかわからない(笑)。
—— 空港や座席という場所が、執筆の感興をつくる習慣になっていたんですね。
藤倉 イギリスは完全ロックダウンで、外に出られないし、カフェも全部閉鎖。
なので、同じくリモート授業に切り替わっている10歳の娘と僕の部屋を交換してもらって、娘の部屋で書いたり、わざと台所で書いたりして、締め切りには間に合うように毎回原稿を提出していたつもりです。
—— 連載時、毎回、原稿は、締め切りのそうとう前にいただいてました。
藤倉 合計3年ほど書くのにかかりましたのですが、内容は、詰まっているのか、そうでないのか、自分ではわからないですね。
—— ボリュームは、たっぷりです。ディテールもたっぷり。
藤倉 もちろん書けたら面白いだろうけど、でも書けないよね、さすがに、みたいなこともあります。
大人の事情ってやつですね。僕の音楽人生の一部分という感じですかね。
自伝ってみんな、そんなものなのかもしれません。
——「書く」という行為は、つねに誰かを怒らせたり、傷つける可能性を孕(はら)んでいますよね。
それに「すべて」を書くことは不可能。
でも藤倉さん、けっこう赤裸々に感情表現しているし、相手に対して「こんにゃろ」ってフレーズが出てきたりしますよ(笑)。
藤倉 そうですね。
文章はそういう意味で、とっても怖い。
音楽は常に抽象的ですから、オーボエ奏者が「あのオーボエ・パートの書き方を楽譜で見たときは傷ついた。もう藤倉とは絶交だ」とか、ないですもんね。
音楽は、100%「コミュニケーション」の世界。だからこそ思うあれこれ
—— ところで、この本の中では、藤倉さんの、じつに多くの人との出会いが紹介されます。
その中には作曲を教えてくれる先生もいるし、世界的な音楽家もいる。
驚くことに出会いがみな仕事につながる。
この本を読んだ多くの人は、「藤倉、この人たらしめ!」と思うと思うのですが(笑)、ご自身では、人との運命的な出会いや自分のキャラクターをどう考えていますか。
藤倉 そもそも音楽ってソーシャル・アクティヴィティ(社会的活動)なんです。
作曲中、作曲家と演奏家は何度もやりとりをして曲に反映するし、演奏もリハーサルから本番まで奏者は相互に終始コミュニケーションを取ります。
自作自演でソロの作品のみを演奏する、とか部屋にこもって電子音楽作曲だけする、のなら1人でできるでしょうが。
それでも、その音楽をコンサート形式で発表しよう、となると会場を押さえたり、チケットのやりくりを考えたり、とても1人ではできません。
まして2人以上の奏者が演奏する、となると、もうこれは団体活動です。
なので、音楽をやる上で最大に重要なのは、コミュニケーション能力だと思います。能力というか、音楽そのものが100%コミュニケーションなのです。
—— 演奏はまさに言葉を介さない、コミュニケーションですね。
嫌いな人とでも、音楽ならうまくコミュニケーションできたりする、とも聞きます。
藤倉 あとは先生。
人生は毎日が勉強なので、それは普通にいろんな人から学ぶわけですよね。
音楽は団体活動なので、いろんな人に会わざるをえない。
その時々に会う、それぞれの人たちから学べるいいチャンスだと思っています。
もちろん巨匠から学ぶことも多いですが、最近は、作品を委嘱してくれる20代の若い演奏家たちから学ぶことも大変多いですね。
—— 連載中、締めくくりの文章は毎月、登場する方々への感謝の言葉で終わっていました。あまりに多かったので、本にするときに削ったほどです。
藤倉 僕は、ラッキーなことに、自分が憧れるアーティスト、ブーレーズ、エトヴェシュ、坂本龍一さん、デヴィッド・シルヴィアンと会うことができました。この方々はみな同じスピリット(精神)を持っていて、つねにいろんな人から学ぼうとしている方だと思うんです。なんといいますか、本当に「偉い」ので「偉そうにする」必要がない。偉そうにしている人が僕の周りでは皆無といいますか。いるのかもしれませんが、偉そうな人は世界的に活躍できないことが多いみたいです、僕の観察だと。
—— 本当に偉い人は偉そうじゃない、と。しばしば「音楽は全人格的なものである」と言われる、そのままを体験してらっしゃるんですね。
藤倉 よかれと思ってクラシック界のスターを僕のコラボ相手に、と連れきてくれる僕のマネージャーとかには申し訳ないのですが、僕には、あまり「スターに演奏してもらいたい!」とか、そういう野望がないんです。「スターか。めんどくさそう」ってまず思ってしまう。
——「スター=わがまま、私だけを見て」みたいなイメージはどうしてもありますね。
藤倉 あとスター演奏家ご本人はいい人でも、その取り巻きみたいな人たちが、そうでない印象をつくりだしていることも多いと思います。
スターに嫌われないように、と一生懸命なマネージャーたち(スターはドル箱なことも多いので)が、変に気を遣ってスターの周りに壁を作るから物事がおかしな方向に進む、うまくいかない、それがスターのせいだと関係者に思われて、それらの経験が語り継がれる、ってことがよくあると思うんですよね。
そんなことより僕は、単に「藤倉の音楽に参加したい!」と言ってくれる人と音楽を作りたいだけなんです。
僕としては、子供のころ近所の子供と遊んだように、気に入った人、僕も一緒にいたい人、あちらもそう思ってくれる人と音楽作りたいな、と思うだけでして。
だから案外、消極的なのかもしれません。
—— この自伝の中でも、作曲コンクールには頻繁に応募するけど、自分を売り込もうとした、有力なコネクションを持ちたくて誰かに近づくみたいなエピソードは皆無ですよね。権力志向、上昇志向ゼロ。どれも相手がコンタクトを求めてきたり、近づいてくる。
藤倉 自分のこれまでの在り方を考えると、作曲家として活躍するには、こういう(僕のような)態度は取らないほうがいいだろうな、と思うので、それも兼ねて『どうしてこうなっちゃったのか』というタイトルがやっぱふさわしいかな、と(笑)。
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