昨日、第171回直木賞を受賞された一穂ミチさん。2022年の『砂嵐に星屑』単行本刊行時のインタビューを再掲いたします。『砂嵐に星屑』は7月に文庫になったばかり。一穂さんのファンの方も、直木賞受賞で気になっているという方も、ぜひお手に取っていただけたら嬉しいです!
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ボーイズラブ(BL)の書き手としてキャリアをスタートさせた一穂ミチさんは、劇場アニメ化もされた代表作『イエスかノーか半分か』で「王子」と称されるキー局の若手人気アナウンサーと、アニメーション作家のカップルの物語を書き継いできた(シリーズ既刊九巻)。一般文芸として刊行される『砂嵐に星屑』もテレビ局の物語ではあるのだが、作品がまとう雰囲気はまるで違う。『イエスかノーか半分か』では書けなかったけれど、『砂嵐に星屑』で書けたものとは何か? 最新作に込めた思いを伺った。
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──『イエスかノーか半分か』はキー局、『砂嵐に星屑』は大阪にある地方局が物語の舞台として選ばれていますが、どのような意識で書き分けをされたのでしょうか?
一穂 『イエスかノーか半分か』はBL として書いたものなので、ジャンルのお約束ごととして明快なカタルシスのあるハッピーエンドを前提としていますし、基本的にはキラキラした人たちを描こうと意識しました。ですから「王子」を始めテレビ局で働く登場人物たちは、仕事に対していろいろな葛藤はあるんだけれども、結局仕事が好きで、仕事ができる。彼らをA面とすれば、『砂嵐に星屑』に出てくる人たちはB面という感じですね。
──確かに、仕事が「好き」と「できる」のどちらか一方、あるいは両方を持てずにいる人たちばかりですね。
一穂 「面白い番組を作るぞ!」という志を持ってこの業界に入ってきた人たちではないんですよね。なりゆきで、ここで働くことになった人たちばかりなんです。
例えば、第二話(「〈夏〉泥舟のモラトリアム」)の主人公の中島は、自営業の父親から「勤め人」になれと勧められて、高給だからという理由でテレビ局に入社した。ニュース番組のデスクを務めるぐらいだから、報道の仕事をバリバリやっているんだろうと外からは思われてしまうけれども、本人的には「特ダネとるぞ!」みたいな野心も欲もなく、日々バタバタと追われているだけなんです。上に立つのは熱い人ばかりではなくて、これくらいの温度感の人がいてくれるから、会社全体はスムーズに回るんじゃないかなと思うんですけどね。
──第三話(「〈秋〉嵐のランデブー」)に出てくる〈業界というのは、その方面への特別な意欲がある人だけがいくところだと思っていたので意外だった〉という一文は、驚きと気付きがありました。主人公である結花にとっては、生きるために働く現場がたまたまテレビ業界だったんですよね。
一穂 この業界に限らずどの職種でも、そういう気持ちでいる方って多いんじゃないかなと思いますね。BLとの違いという意味でもう一つ意識していたのは、女性を主人公にすることでした。
実は、もともとこの短編は独立した恋愛小説として存在していました。『イエスかノーか半分か』を書くうえでテレビ業界についていろいろ調べていった時に、タイムキーパーという仕事はほぼ女性が担っていることを知ったんですね。男社会の空気が未だ濃いテレビの現場で、非常に重要な役割のタイムキーパーが事実上「女性の仕事」である、というエピソードが面白いし使えるなと思っていたんですが、BLで女性を主人公にすることはあり得ない。一般文芸で執筆のご依頼をいただいた時に、じゃあタイムキーパーの女の子をフィーチャーしたものを、なおかつ男女の恋愛もので描いてみたいな、と。二〇一九年頃ですね。それを読んだ編集さんから、この一編を独立させるのではなくて、テレビの業界ものの一編としてまとめるのはどうかというお話をいただき、今の全四話という形になったんです。
BLで要求される「密着」からは程遠い「一瞬」
──第一話(「〈春〉資料室の幽霊」)の主人公である邑子は、若手時代に何やらやらかした「前科」がある四〇代前半の女性アナウンサー。これもBL では決して書けないタイプのお話ですね。
一穂 ふだんテレビを見ていても、女性アナウンサーって、男性アナウンサーとだいぶ扱われ方が違いますよね。アナウンス技術よりも、若さとビジュアルを第一に評価されてしまう理不尽さがある。例えば女性アナウンサーはスポーツの実況の仕事はさせてもらえないし、かといってがっつり報道型のキャスターに進める方は一握りで、ふわっとしたバラエティのアシスタントであるとか、ニュース番組の「華」を担わされることがほとんどです。しかも一定の年齢になると、当然のように番組を「卒業」させられてしまう。なおかつ邑子のように独身のまま四〇代を迎えてしまうと、仕事においてもプライベートにおいても、どういうポジションで自分がいたらいいのかわからないと悩むだろうな、と。
──テレビにおける「華」の役割を担う女性アナウンサーの、まさにB面の心情が色濃く描かれる。そんな彼女が、デビュー前の新人アナウンサー・笠原雪乃と交流する中で、自分をかすかに変化させていきます。シスターフッドの物語としても、テレビ局には幽霊がよく出るという「あるある」を取り入れたミステリーとしても、この本の入口にふさわしい一編だと感じました。
一穂 四編全部の中に、小さな謎や秘密がある。それが少しずつ明らかになっていくというのは、私が物語を作る時の基本のやり方みたいです。邑子と雪乃の関係性は、おっしゃる通りBLでは絶対に書けないものでした。人と人との間にある距離を表現していくうえで、BLでは最終的に「密着」するという命題があるんですね。BLって、人と人が思いを100%伝え合って結ばれる、という夢を描くジャンルなんです。この本の登場人物たちは、いろいろな出来事を通して劇的に他者との距離感が変わるわけではないし、「密着」からは程遠い。でも、「この一瞬で充分だ」って思える瞬間が訪れる。それは家族や友達や恋人との間で起こるものである必要はないし、長く続くものである必要もなくて。だけどその一瞬のおかげで、明日の自分が今日よりちょっと違うかもしれない。明後日には、元に戻っているかもしれない。全編を通して、そのくらいの「小さいおとぎ話」を書いたつもりです。
世の中との関わりが深い話だからこそ
──第二話はさきほどお話しいただいた、ニュース番組のデスクである中島の物語。二〇一八年六月一八日に発生した大阪府北部地震が作中に取り入れられています。この地震が、一九九五年一月一七日に発生した阪神・淡路大震災の記憶を呼び覚まし、これまでの自分の仕事を見つめるきっかけになっていく。
一穂 一話ごとにテレビに関わる仕事の種類を変えて、性別と年齢もバラけさせたいなと思った時に、年齢が高めのおじさんを入れたいと思いました。私は普段会社員として働いているんですが、バブルの頃を通っている人たちってふわふわしたところがあるというか、ちょっと適当です(笑)。それに対して、若い世代のものの見方はシビアでクール。バブルの華やかなテレビ界を知っている人を出すことで、最初からこの業界に対してある種の諦めを持っている若い世代とのギャップが描けるなと思いました。
──二〇一八年の大阪の街を記録した、風景小説という側面もありますね。
一穂 『スモールワールズ』の時は全編通して「どこでもない街」を舞台にしていました。今回は、自分が生まれ育った大阪を書きたいな、と。「この人はお給料がこれくらいだから、このエリアに住んでいそう」というふうに、場所と人の繋がりがパッとイメージできるのは書きやすかったですね。その昔は「東洋のベニス」と自称していた、大阪を流れるいろいろな川について書けたのも楽しかったです。
──せつないラブストーリーである第三話を挟んで、第四話(「〈冬〉眠れぬ夜のあなた」)では三〇代のAD・晴一が、売り出し中の若手お笑い芸人・並木広道の密着ドキュメンタリーを担当することになる。この関係性を書こうと思った理由とは?
一穂 取材者と被取材者という関係も書いてみたいと思いました。晴一はこの仕事が特に好きでもないし向いてもいないし、だけど他に何がやりたいってわけでもない。そういう若い男の子が、取材という接点がなければ出会えなかったであろう相手との交流を通して、思いがけず相手の魂に触れてしまう。もしも晴一が敏腕ディレクターだったら、相手が思いのたけを打ち明けることはなかったかもしれません。人の弱さとか愚かさに救われるような瞬間って、あるんじゃないかなと思うんです。
──全四編はいずれも、BLで求められるような明快なハッピーエンドではありません。苦みすら感じるんですが、読後感は不思議と爽やかなんです。結末のあり方は、どのように意識されていたのでしょうか。
一穂 右肩下がりのテレビ業界の現状を見つめてみるだけでなく、物語の中で阪神・淡路大震災について初めて触れたことなども含めて、今回は現実の世の中というものとの関わりが深い話になりました。だとしたら、どのお話もいわゆるハッピーエンドに持っていくのはウソだな、と。基本的にはもがいている日々を送っているんだけれども、彼らの人生の中にも「寂しい希望」みたいなものがふっと生まれることはある。そこをリアルなものとして書けたらな、と思っていました。
──「この一瞬で充分だ」と思える瞬間。
一穂 そうですね。自分の人生を振り返っても、急に全てがぱっと好転して前向きになれる、という出来事は起こりませんでした。でも、折に触れて「寂しいけれど希望はある」と感じられる瞬間があり、それを拾い集めて大切にしてきたからこそ、ここまでやって来られたのかなという気がするんです。
──この本を読むという経験が、読者の人生にとって「寂しい希望」を感じる瞬間になると思います。
一穂 そうであったら嬉しいです。私にとって物語を書くということは、登場人物たちと出会い、書き終えると同時に別れていく感覚なんです。それも「寂しい希望」なのかもしれませんね。ちゃんとさよならできたからこそ、また新しい登場人物たちと出会えるんですから。
(構成:吉田大助 初出:小説幻冬2022年2月号)
砂嵐に星屑
舞台はテレビ局。旬を過ぎたうえに社内不倫の“前科"で腫れ物扱いの四十代独身女性アナウンサー(「資料室の幽霊」)、娘とは冷戦状態、同期の早期退職に悩む五十代の報道デスク(「泥舟のモラトリアム」)、好きになった人がゲイで望みゼロなのに同居している二十代タイムキーパー(「嵐のランデブー」)、向上心ゼロ、非正規の現状にぬるく絶望している三十代AD(「眠れぬ夜のあなた」)……。それぞれの世代に、それぞれの悩みや壁がある。
つらかったら頑張らなくてもいい。でも、つらくったって頑張ってみてもいい。続いていく人生は、自分のものなのだから。世代も性別もバラバラな4人を驚愕の解像度で描く、連作短編集。
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