ツイッターに作った「もう一人の私」が動き出す――。2月10日に発売された文庫『特別な人生を、私にだけ下さい。』(はあちゅうさん著)は、ツイッターの裏アカウントで「もう一人の自分」を持った人々を描いた物語。「本当の自分」では得られない特別な人生が欲しくて、もがいて、そのときツイッターは、とても便利なツールになるのかもしれません。登場人物の一人「ユカ33歳」の最初の章を5回にわけてお届けします。第2回は、実際に裏アカウントを作ったユカが見た世界。
実名では見えない世界、出会えない人たち
まずはフォローする人を増やそうと、適当なキーワードで検索して表示されたアカウントをランダムにフォローしていった。フォロワー数の少ないアカウントはフォローし返してくれることが多い。その日はそれだけで満足してしまったけれど、二日後に思い出してツイッターを開いてみると、もう百人にフォローされていた。表の本名アカウントに早くも迫る勢いだ。
セックスレスというワードが効いているのだろう。フォローしてくれたアカウントを見てみると、ワンチャンを狙(ねら)っていそうな男の人ばっかりだった。ふと気が付いて、DMを誰からも受信出来る設定にしてプロフィールにDM開放しています、と書き足す。こうやっておけば誰かが連絡をくれるかもしれない。
予想は当たり、数時間後から「セックスレスなんですか?」とか「後腐れない関係、どうですか?」などのメッセージがぽつぽつと来始めた。私がネカマで男の可能性だってあるのに、なんて単純でおめでたい人たちだろう。男ってほんとバカ。そんなふうにバカにしながらも画面の向こう側の体温のある生身の人間との交流が嬉しく、私は全てのメッセージに馬鹿丁寧に返事をしてしまった。
「セックスレスではあるんですけど、旦那以外の人と関係を持つのには抵抗があります。後腐れない関係は今のところ間に合っています。でもDMありがとうございました」そう言うと、悪い反応をされることもなく、みんなあっさりと去って行った。それはそれでちょっと寂しい気もしたけれど。
このアカウントで誰かと実際に出会うつもりは毛頭ない。ただの暇つぶしだ。22時の寂しさを切り抜けるための。
匿名アカウントの世界には、実名では見えない世界が広がっていた。
「あー病んでる……」
「お金ない」
「イケメンとか言われ飽きたわ」
「セフレ欲しい」
「はやく精神安定剤届かないかなぁ」
みんな思い思いに欲望や本音をむき出しにしていて心地がいい。表では言えないことを吐き出しているのだ。急に人の心の中が見える能力を得たらきっとこんな光景を見るんだろう。専門学校の時、サークルの友達何人かとハプニングバー見学に行った時の気持ちと似ている。地下の世界をこっそり探検しているような気持ち。その場にいても、私はあくまで部外者なのだと思い込むことで安心感が得られる。
こんにちは、匿名の皆さん……とツイッターの画面をスクロールし、心の中で呼びかけてから、そうだ私も匿名だったと気づく。でも、私のアイデンティティは「匿名」ではない。あくまで覗いているだけ。
みんな表の世界では全然別の人格で生きているのだろう。現実世界で普通の人でいるために、こうやって息抜きをしているのかもしれない。そう考えると、自分が世の中から置いてきぼりにされていたみたいで悲しい。
もう少し裏の交友関係を広げてみようと、いろんなつぶやきにランダムに「いいね」を押していった。いいねを押すとフォローしてくれる人もいる。その中に、「ナンパ師」というプロフィールの人がいた。ナンパ師とはなんだろう。つぶやきを見ても、何を言っているのかよくわからない。
「ザオラル」
「とりあえず即。22/Dカップ/JD」
「昼スト。今日はバンゲ止まり」
「2時間出て坊主」
「じゅんそく!」
「今日はクソ坊主。一人坊主飯」
「ヨネスケ」
……これは何かの暗号だろうか? ナンパゲームのようなものがあって、その単語を使っているのだろうか。
最初はそう思ったけれど、そのナンパ師のフォローしている他のナンパ師の人たちも同じような単語でつぶやいているのを見て、みんながやっているゲームは現実で繰り広げられているのだと理解出来た。ゲームみたいにナンパしているんだ。本物の女の子を相手にして。
真面目な私はいちいちググって解読した。ザオラルはドラクエに出てくる魔法が語源で、しばらく連絡を取っていなかった相手に連絡することらしい。
解説サイトには、「男から女に送るのがザオラル(半分の確率でしか生き返らないから)。女から男に送るのがザオリク(確実に生き返る呪文)」とあった。
即は即セックス。JDは女子大生。ストはストリートナンパ。バンゲは番号ゲット。坊主はナンパしてもセックス出来ないこと。セックス出来なかった日に一人で食べる寂しいご飯や、男同士で食べるご飯を坊主飯というらしい。準即は出会ったその日にはセックス出来なかったけど、次にご飯とかデートに行って二回目でセックスが出来ること。三回目なら準々即。ヨネスケは女の子の自宅に行くこと。昔放送していたテレビ番組の、一般の家庭でいきなり晩ご飯に交じるコーナーでリポーターを務めていたタレントさんの名前が「ヨネスケ」だから──。
知れば知るほど面白かった。
ナンパ師たちは女の子たちをゲームの駒にしているわけだから同じ女として不快感を抱いてもいいはずだけど、不思議と怒りは湧かない。だって、こんなやつらにやられてしまう女の子たちって、きっとその程度のレベルの子たちなのだ。
男たちも、こうやって偉そうにツイッターにあれこれ書いていても、実際はみんなブサイクなんだろう。行きずりのセックスを「戦績」としてしまう屈折ぶりは、非モテをこじらせているからに違いない。
観察を続けているうちに、私は「ナンパ師たちの顔が見てみたい」という欲望を抑えられなくなり、裏アカ勢たちの現実の顔を暴くことをしばらく個人的な自由研究とすることにした。やり方は簡単だ。こちらが会う素振りを見せて「会う前に写真が見たい」とメッセージする。すると、向こうはいとも簡単に写真を送ってくれる。こちらの写真を見たがったら、すぐさまブロックすればいい。
「ラインとかって出来ますか?」
「ラインは……ごめんなさい」
「じゃ、てっとり早く会いませんか?」
「そうですね……会う前に、よかったら写真もらえますか?」
こうやって頼んでみるとほとんどの人から写真をもらえた。
噓のプロフィールで塗り固められた相手から、現実のその人の写真が送られてくる瞬間は毎回ぞくぞくする。
表と裏がつながる瞬間。
相手の弱みを摑(つか)んだような気持ちよさもある。そして謎が解ける瞬間、相手への熱も面白いように冷めてしまう。
何人もの写真を得たけれど、見た目だけで会ってみたくなるほど恵まれた容姿の人はいない。まあ、恵まれていれば、ネットでこんなふうに出会う必要もないから、それは当然だ。
けれど、みんながみんな、体の関係を求めてくるのには、いささか驚いた。ツイッターって、そういうツールだったっけ、と思えてしまうほど。
「人妻ってことは、たまってるんですか?」「旦那さんとはどれくらいやってないんですか?」私のプロフィールがその質問を誘導していることはわかったけれど、あまりにも露骨で無遠慮なその言い草に、私はプライドを傷つけられ、復讐したいような気持ちになった。
顔写真をもらってすぐに連絡を絶ち、相手をブロックすると少し胸がスッとする。相手はほんのちょっとだけ後悔しているはずだ。よく知りもしない相手に顔写真をたやすく与えてしまったことを。そしてあの写真がどうか悪用されませんようにと小さなひっかかりを持ち続けることになる。そして、ブロックされたのは自分が不器量だったからかもと多少のショックも感じるはずだ。それが私の出来るささやかな復讐だ。雑な口説き方とせこい生き方のどうしようもない男たち。私のほうこそせこいストレス解消だとは思ったけれど。
掃いて捨てるほど裏アカ男性の顔写真コレクションが集まった頃、圭太(けいた)という子と出会った。プロフィールのセックスレスという説明だけでなく、つぶやきを少しは見てくれていて、「セックスレスの女」ではなく「人妻の美香」という私の人格に興味を持ってくれているように思えた。
(つづく)
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