ツイッターに作った「もう一人の私」が動き出す――。2月10日に発売された文庫『特別な人生を、私にだけ下さい。』(はあちゅうさん著)は、ツイッターの裏アカウントで「もう一人の自分」を持った人々を描いた物語。「本当の自分」では得られない特別な人生が欲しくて、もがいて、そのときツイッターは、とても便利なツールになるのかもしれません。登場人物の一人「ユカ33歳」の最初の章を5回にわけてお届けします。第3回は、ナンパ師アカウントとのはじめのまともなやりとり。
「会いたいです」の言葉に心が揺れる
「女性はやっぱりお金や学歴のある人がいいんでしょうか」
私が年収についての記事につけた何気ないコメントに対して、そんなふうに彼が聞いてきたのが始まりだった。
やりとりをしているうちに、彼は新宿の駅ビルで働いていて、名前は圭太ではなく本当は鉄平(てっぺい)で、自分磨きの一環としてナンパをしていることがわかった。頭の良さは感じなかったけれど、何も考えていなそうなところが逆にいい。私の周りにはいないタイプだ。表の世界で交わることなど一切なさそうなこの男の子に会ってみたいと思った。いい暇つぶしになるという以上に、私は美香として誰かに会ってみたくなったのだ。
「普段はどこにいるんですか?」
「恵比寿が多いです」
なぜなら広尾にある高級マンションに住んでいるからね。
恵比寿か渋谷ならタクシーですぐにぴゅっと行けてしまう。家賃四十二万の2LDKは今までの人生で一番便利で快適だ。ほぼフリーターだった私に、旦那は十分すぎるほどの暮らしを与えてくれている。
鉄平は横浜に住んでいて、渋谷で電車を乗り換えるから、いつも渋谷でナンパをしているらしい。一度顔写真を送ってくれた後は、こちらから要求しなくても、自分の写真を惜しみなく送ってくれる。一枚、二枚ではなく何枚も。顔に自信があるんだろう。彼はツイッターに「顔サシが効いた」と何度も書いていた。
「美香さんの写真も一回くらい送ってもらえませんか」
そう乞われて、伏し目がちで表情がよくわからない写真を送った。学生の頃、旅行先で友人に撮ってもらったやつだ。その友人のブログに掲載されたことがあるから、万が一晒さらされても、ネットから写真を拾われたのだと言い訳がきく。
鉄平は、送った顔写真を褒めてくれた。
「可愛いです。すごく可愛いです。こんな美人と結婚したい」
そう言われて、胸の奥で切なさがきゅっと音を立てて鳴った。
こんな美人と、結婚したい──。
裏アカ勢の軽々しい言葉にいら立っていたはずなのに、軽々しい褒め言葉には心が躍ってしまう自分はなんて弱く、安い女だろう。思わず懺悔(ざんげ)するように本当のことを言ってしまう。
「実は私、鉄平君よりずっと年上です」
「何歳ですか?」
「33」
「最高!」
驚いた。若く見えますね、とか全然イケます、と慰められるのかと思ったら、全肯定されてしまった。浅はかに見える男の子だけど会ってみたら、もしかしたら素敵な人かもしれない。一瞬でも恋愛めいたことが出来るのなら、それはそれでいい気がしてきた。
「最高だなんて、言われたの初めてです。こんな年上、ひくかと思った」
「ひくわけないですよ。僕は素直に思ったことを言っただけです」
「優しいね。そんなこと言ってくれるの、鉄平君だけだと思う」
「会いましょうよ、美香さん。会いたいです。今日遅番だから、渋谷に着くのは22時半になっちゃうけど、三十分だけ」
会いたいです、という文字だけくっきりと意志を持っているように強く見える。会いたいなんて最後に言ってもらったのはいつだろう。
「三十分なら」
(つづく)
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