ツイッターに作った「もう一人の私」が動き出す――。2月10日に発売された文庫『特別な人生を、私にだけ下さい。』(はあちゅうさん著)は、ツイッターの裏アカウントで「もう一人の自分」を持った人々を描いた物語。「本当の自分」では得られない特別な人生が欲しくて、もがいて、そのときツイッターは、とても便利なツールになるのかもしれません。登場人物の一人「ユカ33歳」の最初の章を5回にわけてお届けします。第4回は、ナンパ師アカウントの鉄平と会う約束をしたユカ。
退屈な人生にできた秘密
ついに会う約束をしてしまった。
こんなことをしていいんだろうかという気持ちよりも、どちらかというとワクワクする気持ちのほうが大きく、後ろめたさをのみ込んでしまう。退屈な私の人生に秘密が出来た。秘密があるってなんて楽しいことだろう。
旦那に対して申し訳ない気持ちがないといえば噓になるけれど、まだ何かしたわけではない。今の時点での事実は、単にネット経由で友達が一人増えたというだけのことだ。
22時40分。
鉄平から「着きました」と連絡があったので、駅前で待っていた私はスクランブル交差点を渡った。大勢の他人とすれ違いながら、香水をつけてくればよかった、と後悔したけれど、同時に罪悪感が湧く。香りを気にするのは、相手を異性として意識している証拠だ。私は若い男を誘惑して、どうしたいんだろう。
渋谷名物の世界一忙しいスタバには、多くの人が人待ち顔で立っている。
「白いスカート。黒いVANSのスニーカーを履いています。カバンはグレーです」
自分の特徴を送って待った。
数分後、鉄平は難なく私を見つけてくれた。今どきの子らしく、顔がとても小さい。身長は、170センチくらいだろうか。高すぎず、低すぎず、全体的にひょろりとしている。23歳と聞いていたけれど思った以上に若い。ただ若干、挙動不審だった。ツイッターでは、世の中や女の子をバカにした発言もしていて偉そうだったのに、生身の彼は、何に対しても自信がなさそうだ。おそらく怯おびえているか、緊張しているのだろう。私に喋しやべる隙を与えてくれず、一人でまくしたてる。
「美香さんですよね? うわー、本当に来た……。アプリ経由ではよく会うけど、僕のことをナンパ師って知ってる人に会うのは初めてなんですよ。でも、美香さん綺麗な人でよかったー。写真以上に可愛いです。33歳には見えないです!」
自分が喋ったことが喋ったそばから不安になるらしく、かぶせるように話し続ける。
「いや、僕も出会い系アプリじゃなくてツイッターから会うのは初めてだから緊張します! さて、どこへ行きましょうか。飲めるところがいいですよね。あんまり時間ないですよね。旦那さんが帰ってくるまででしたっけ?」
どこから答えたらよいものかとタイミングを見計らっていると、手を摑まれて、センター街のほうに引き込まれた。湿った手の感触。一人ひとりの価値が薄く感じられるほどの人だかり。ネオン。あっという間に、非現実の世界にいざなわれていく。
「ここでいいですか」と連れて行かれたのは、昔、一度足を踏み入れたことのある安い立ち飲み居酒屋だった。ここの名前は、ナンパ師たちのツイートで何度も見ている。ナンパ師同士の待ち合わせ場所としてよく使われるほか、女の子をナンパする場所としても有名だ。
他の選択肢はないだろうし、私も、雰囲気を見てみたかった。きっと私が十年以上前に行った時とは、違う空気に満ちているだろう。
細い階段を下りていくと、カウンターがあり、まず飲み物を注文する。
「何飲みますか?」
「あ、私、旦那に飲んできたことがばれると嫌なので、ウーロン茶で……」
これが、私が鉄平に会ってから発した最初のまともな言葉だったかもしれない。
「ウーロン茶一つお願いします」
鉄平は自分の会計に百円硬貨を数枚足した。
「あ、いいです。私、払います」
「いや、俺が美香さんを誘ったわけだから。いいです」
頑なにお金を受け取ってくれない。でも私に財布を出させないその姿勢は好ましく思えた。
飲み物を受け取ると、店内の人ごみを器用に避けながら、端っこのスペースに陣取った。場所が定まった瞬間、彼はスマホを取り出した。
「美香さん、一緒に写真撮りませんか。どこにも出さないから、会った記念に」
そう言われて、彼のスマホで言われるままに写真を撮った。アプリの加工で、二人の頭にはウサギの耳がついて、目は不自然なほどに大きくなっている。芸能人のインスタでよく見ていたけれど、自分の顔をはめ込んでみるのは初めてだ。
「こうやったらビフォー、アフター両方見れます。ビフォーの俺、ブスだな……」
そう言って加工前の写真を画面に表示させて見せてくれる。
鉄平の顔はビフォーとアフターでそう変わらない。
違うのは私だ。
口の横に深く刻まれたシワは、間違いなくほうれい線というやつだろう。こんなシワがあるなんて知らなかった。私がまだ鉄平の年齢の時には絶対になかった。肌だけは昔から褒められていたのだ。ツルツルだね、シミもシワもないね、と。
結婚する前に旦那も私の背中をすべすべとなでながら「ユカの肌の質感が本当に好き。この肌はずるい」と言ってくれていた。
鉄平の腕が自分の腰に回る。そういうことはしたくないと思ったけれど、じゃあどういうことを私は求めていたんだろう。ナンパ師とプロフィールに書いてある人に自分から会いに行っている時点で、そういうことを喜ぶ女だと相手に思われてもしょうがない。ましてや相手は浅はかな23歳だ。
あんまり深く考えたくない。深く考えるのはユカという、現実を生きている女がやることだ。今は美香なんだから、難しいことは何も考えなくていい。軽薄に振る舞ってみたい。
「美香さん……」
鉄平がふいに顔を近づけてきた。唇に視線と気配を感じる。
けれど、これはダメだと思った。相手は初対面の遊び人で23歳。
私の中の芯のようなものが「それは違う」と教えてくれている。どんなにふりをしてみたって私はやっぱりユカなのだ。
体をひねって、鉄平の口をおさえて「ごめん、ちょっと違うんだ」と言うと鉄平もさっと引いてくれた。
「ううん、ごめんね、美香さん」
しゅんとした鉄平の顔が子供じみていて、つまり純真なものに見えて、私はこの子にこれ以上、噓をついたらいけないと思ってしまった。
本音がぽろぽろと口から滑り出る。
……本当の名前は、美香じゃないんだ。ユカっていうの。でも、人妻っていうのは本当。キスとかは出来ないけど、友達になってくれないかな。
そう言うと、鉄平が「えー、何がほんとなの? ユカっていうのも怪しいな、怖いよ、怖い」と言って笑う。口説く時以外は全て早口でせわしない。鉄平の目がさっきより少しきつく見える。こちらの態度があちらの思い通りにならないことと、私が噓をついていたことが面白くないんだろう。
「ねぇ、怖いよ。俺は本名も働いてるところも教えたじゃん。ユカさんだけ本当のこと言ってくれないのは怖い。ユカは本当なのね?」
「うん、ユカはほんと。人妻もほんと」
どうか彼と、セックスする男と女ではなく、人としてのおつきあいが出来ますように、という私の心の奥の願いが届いたのか、鉄平は、じゃあいいよ、友達になろう、とあきらめたように言ってくれた。
一呼吸おいて「あ、一番年上の友達かも」と付け足され、チクリと胸がかすかに痛んだ。友達になったせいで異性としてのフィルターが外れたことが少しだけ惜しい。この人からきっとこの先、もっと傷つく言葉を聞いてしまうだろう。
(つづく)
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