
ロシアによるウクライナ領土への侵攻がはじまった。まさかこの2022年に、国と国との武力による衝突を見るとは思わなかったので、最初にそのことを知った時は、ことばにならない大きな衝撃を受けた。
侵攻が伝えられた2月24日、客足は午後からまばらになった。人と話をし、仕事で気をまぎらわそうとしても、胸の中はたえずざわざわとする。たとえそれがどこの誰でも、人が意に沿わぬことを、一方的に、暴力をもって押しつけられるのは見るに耐えない。その最たるものが戦争なのだろう。
同じ日の夜SNSで、戦争反対を唱える人に対して、「戦争反対」と言えば戦争がなくなるわけではないと嘲る人の姿を見た。それは彼のポーズなのかもしれないが、自らの無力感が、揶揄という形で現れているようにも見えた。
実際あの日、「ロシア軍侵攻」という一報に接し、ほとんどの人がまず襲われたのが、この無力感だと思う。それは日本だけではなく、アメリカやヨーロッパ、世界中の人びとが共有した感情に違いない。
この状況でいったい私に何ができるのだろう。
暴力という野蛮な力を前にして、人間の持つ良心にはまだ意味が残されているのだろうか。
無力感は負の連鎖を生む。冷笑や力に擦り寄るしぐさ、何も見なかったことにするあきらめ……。そのことは戦争を例に挙げなくても、もっと身近に起こること、例えば差別やいじめ、様々なハラスメントなどを思い出してもらえばよいと思う。
翌25日も店の空気は硬かったが、そんな中でも本を求める人の姿が、少しずつだが戻ってきた。前日Twitterで紹介した本に対する問い合わせ、何もしゃべらず、黙って本棚を見つめる人たち。ことばは空虚ではなく、その人を支えるよりどころなのである。
わたしは本屋なので、いま読んでみたい本を紹介する。それはいますぐ役に立つものではないかもしれないが、個人が自らの足で立つには必要なことばだと思う。いまは読めなくても手元に置いて、いつか少しずつ読んでみてください。
1.『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 三浦みどり訳 岩波現代文庫
前回も触れたアレクシエーヴィチは、ベラルーシ人の父とウクライナ人の母を持つ作家。その最初の作品である本書は、第二次世界大戦に従軍した、100万人ともいわれる旧ソ連の女性兵士から話を聞きとり、多声的なドキュメントに仕上げた独自の文学である。
何ら英雄的なことは存在しない戦争の日常に、その恐ろしさがひたひたと浮かび上がる。
2.『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野充義訳・解説 未知谷
まだ戦争が現実的なものとして近くにあった時代、シンボルスカは社会主義体制下のポーランドを、強く、繊細さを失わずに生き抜いた。そのことばには、世界に楔を打ち込む力強さがあった。
彼女は詩人らしく、自らが愛する日常を、それにふさわしい「いい言葉」を選んで書いた。しかし時代と政治体制が違えば、意図しなくても、「いい言葉」自体が政治性を帯びてしまう。それでも彼女はあきらめず、「よりよいことを選択しながら生きて行く可能性」にかけ続けたのだ。
3.『パンと野いちご 戦火のセルビア、食物の記憶』山崎佳代子 勁草書房
たとえどのような状況にあっても、いのちを繋ぐため口にした食物は、心身に深く刻まれる。
第二次世界大戦、ユーゴスラビア内戦と戦火のつづいたバルカン半島では、多くの人が難民となり生きなければならなかった。食べものをきっかけとして、あふれるようにして語られた戦争の記憶を、著者は全身で受けとめる。
真実は、大文字で喧伝される場所にはない。歴史に埋もれてしまいそうな小さな声を、たんねんに拾い集めた記録である。
4.『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫
圧倒的な惨事を前にすると、人は文字通り言葉を失うのかもしれない。第二次世界大戦終盤、連合国軍により行われたドレスデンへの無差別爆撃。それを起点に生まれた小説は、死がありふれた風景になったときのことを、嫌でも思い起こさせる。
作中をつらぬくさめた笑いは、そうでもしなければ生き延びられなかった絶望でもあった。作家の想像力がいかんなく発揮された、感情を揺さぶられる小説。
5.『へいわとせんそう』谷川俊太郎・文 Noritake・絵 ブロンズ新社
戦争が終わって平和になるんじゃない
平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ
谷川俊太郎とNoritake。シンプルな表現を用いて深い気づきを促すという二人の共通点が、この上もなく見事なかたちで結びあっている絵本。「せんそう」の足音は、いつの間にかわたしたちの日常にしのびよる。一人一人、自分で考えることが、その侵入を防ぐ一助となる。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年3月14日(金)~ 2025年3月31日(月)Title2階ギャラリー
漫画家・上村一夫が1974年に発表した短編集『あなたのための劇画的小品集』の復刊にあたり、当時の上村作品を振り返る原画展を開催します。昭和の絵師と呼ばれた上村一夫は、女性の美しさと情念の世界を描かせたら当代一と言われた漫画家でした。なかでも1972年に漫画アクションに連載された「同棲時代」は、当時の若者を中心に人気を集め、社会現象にもなりました。本展では、『あなたのための劇画的小品集』と同時代に描かれた挿絵や生原稿を約二十点展示。その他、近年海外で出版された海外版の書籍の展示・販売や、グッズの販売も行います。
◯2025年4月5日(土)~ 2025年4月22日(火)Title2階ギャラリー
大江満雄(1906-91)は、異なる思想を持つさまざまな人たちと共にありたいという「他者志向」をもち、かれらといかに理解し合えるか、生涯をかけて模索した詩人です。その対話の詩学は、いまも私たちに多くの示唆を与えてくれます。
Titleでは、書肆侃侃房『大江満雄セレクション』刊行に伴い、著作をはじめ、初公開となる遺品や自筆資料、写真などを紹介する大江満雄展を開催します。
貴重な遺品や私信に加え、大江が晩年「風の森」と名付けて、終の棲家とした家の写真パネルなども展示。本書収録の詩や散文もご紹介します。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。