配信「文庫解説の知られざる世界」では、おすすめの文庫解説をたくさんご紹介くださった書評家の三宅香帆さん。最近は、文庫解説を書く仕事も少しずつ増えていらっしゃいます。 そこにあるのは光栄さと、困難さ。文庫解説は、ほかの書評のお仕事とは勝手が違うよう。その内実を明かしてくださいました。
自分の願望が文庫解説のハードルを上げる
普段書評家という仕事をしている身で、もっとも緊張する仕事がある。
講義の登壇も、イベント出演も、単著の執筆も、雑誌の書評寄稿も、まあ、大変だけどべつに緊張はしない。では何が緊張するかといえば、そりゃ、文庫解説である。
といっても、私はまだそれほど解説の仕事をしたわけではないのだが(こんなこと書いてもう仕事来なくなったらどうしよう、やや怯える)。しかし数少ない経験を思い返しても、背中にじっとりいやな冷や汗をかくくらい、緊張する。文庫解説。
なぜか? 考えてみればいろいろ理由がある。
文庫解説を読む側の話は数あれど、書く側の話は意外と読んだことがない。これを機に暴露してみようじゃないか。文庫解説を書く仕事が、意外と、どれほど緊張する大仕事かを!
まず、絶対に作者が読むから緊張するのである。ふだん雑誌や自分の本で書評を書いている身からすると、それってけっこうレアなことなのだ。
まあそりゃ普段の原稿も、書評した本の作者が読む可能性はあるし、その前提で書いておくのだけど。でも基本的には作者が読むかどうかなんてわからない。なにより自分の書評原稿の読者は、「その本を読むかどうかわからない読者」か「その本を読んだ読者」に限られる。そこに「その本の作者」なんてイレギュラー人間、読者ターゲットへほぼ入ってないに等しい。
しかし文庫となれば勝手が違う。さすがに作者はしっかり読むだろう。というか、そもそも文庫はその作者の本なのである。作者の意にそぐわない文章が入ってほしくないであろうことは、ちょっと考えたら分かる。
これは完全に余談であるが、たまに、文庫解説がほぼ読者のことを無視して、作者へのラブレター状態になっていることがある。明らかにこれは上に書いたような事情によるものだろう。文庫解説の本来の読者の手前にいる、「作者」の存在感が、あまりにでかかったのだろう。
まあラブレターが悪いわけじゃないが、あまりに作者と解説者の内輪っぽさが濃すぎると読者は白ける。しかしそんなことを考えられないくらい、作者という読者ターゲットの存在感が大きいというのは……気持ちは分かるよと肩をぽんと叩きたくなる案件である。
さて、じゃあ作者が望む範囲で解説を書けたら合格か? 全然そんなことはない。本来の読者である、文庫本を手に取ったであろう読者の存在を忘れちゃ困る。
ここで難しいのが、「文庫解説、どこまでネタバレしたらいいか微妙である問題」が存在するところ。
どんな小説であろうとオチはある。ミステリ小説なら尚更だ。どこまで読者に解説のなかで明かして良いものか。解説を書く側としては悩むほかない。
かといって、内容をあまりに触れず、浅瀬でちゃぷちゃぷ遊ぶような解説では、読者もそして作者も納得しない。文庫とはそもそも保存されるべき本が集められたレーベルだ。この本が売れない時代に、保存に耐え得るぞと判断された傑作について、適当な内容紹介と感想を書いて終わるだなんて許されない。しかしネタバレもまた許されない。果たしてどうすればいいのだ。困るよ! なんだその綱渡りは!
さらに文庫解説には、できるだけその本の周辺知識の紹介がついていてほしい、という暗黙の要求が存在する。
つまり昔の小説であれば、当時の時代背景が説明されているととても良い。
あるいは最近の評論であれば、作者の直近の仕事について解説されていると、読者にとっての良い補助線になるだろう。
あるいは海外文学や古典であれば、作者の説明や、その国や時代の知識に至るまで、私たちは文庫解説で知りたがる。
そしてそれでいて、周辺知識が並べられているだけだと、ちょっともったいない! できることなら内容の解釈まで書いていてほしい!
やることが意外と多いのである、文庫解説。
ね、これだけのことを、作者と読者が満足する形で書くの、けっこう難しそうでしょ。そして失敗したらもう二度とその作者の文庫解説は頼んでもらえないであろう。いやはや、緊張にも程がある。
さらに一番大切なこと。文庫解説自体が、面白くあってほしい。
せっかく面白い小説を文庫で読んでも、解説が変な文章だと、興ざめだ。
できるだけ読後の余韻をいっしょに楽しんでくれて、それでいて、自分の感想にプラスアルファでなにか解釈なり知識なりを足してくれる、そんな文章であってほしい。
――むずかしいぞ!
とまあ、私が文庫解説を緊張する緊張すると言っているのは、誰よりも自分が、文庫解説に今書いてきたようなことを望んでいるからである。
ネタバレはしてほしくないけど深いところまで納得する解釈であってほしい、もちろん作者にもがっかりしてほしくはないが、本編の後に読むにふさわしいくらい面白いものであってほしい。文庫解説たるものこうあってほしいという理想を、私が読んできた面白い文庫解説たちは、ちゃんと体現していた。
だから自分もそういう文庫解説を書きたい。が、なかなか道のりは遠い。
文庫解説を緊張せず書けるその日まで、修行は続くのである。