15歳、才能だけを頼りに徒手空拳で単身イギリスへ! そのあとは……!? いまや「世界でもっとも演奏機会が多い」現代作曲家・藤倉大の超絶オモシロ自伝エッセイ『どうしてこうなっちゃったか』から、試し読みをお届けします。
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「なんだ、その週刊誌の見出しみたいなの?」と思うだろう。音楽は文字どおりの意味で、セックスのほうは僕の想像だ。実際に見たり聞いたりしたことはまったくない。高校時代特有の妄想といってもいいかもしれない。ちょっと説明してみよう。
僕はドーヴァー高校に音楽の奨学生として迎え入れられ、寮での生活費及び学費の割引(2割だったか3割だったか)が保証された。その代わり、学校の数々のプロモーションに駆り出され、ひたすらこき使われた。僕以外に、プロになるつもりで音楽を勉強する人は学校にはいなかったし、高校側が宣伝に使ったのは僕だけだった。
では「高校が宣伝に使う」とはどんなことか。私立の高校は定期的にお金持ちから寄付を募る。寄付してくれる人たちを迎えて、かなりの回数、ディナー会などを催す。その時に学校が誇る生徒たちを紹介して、「こんなすごい生徒がいる学校です。ぜひ来年も寄付金をよろしくお願いします」とアピールをする。
そこにはラグビー部のキャプテンや、天才的な数学の能力を持つ生徒などがいた。だがディナーのような場で、なんといっても力を発揮するのは音楽だ。メインとデザートの間あたりで、僕がとことこ登場する。
「はるばる日本からやってきた、ピアノを弾き、作曲もする少年です。さあ今から、彼の新しい作品を、彼自身の演奏でお聴きください!」
こんななかんじで紹介され、僕は10分ほどの自作曲を披露するのだ。
他にも、ドーヴァーの街の至るところで、ピアノの前に座った僕の写真付きのドーヴァー高校のポスターが貼ってあったし、随所に置かれていた学校案内のパンフレットやチラシにも、僕の写真がデカデカと印刷されていた。
またドーヴァー高校の音楽部(僕の他にも音楽を学ぶ生徒はけっこういた)が、近くの街、例えば大聖堂で有名なカンタベリーに行ってコンサート(オーケストラ曲とか室内楽とか)をする時も、音楽の先生は、僕のピアノや作品がいちばん目立つプログラムを組んで、音楽面での充実をアピールした。もちろん、コンサートチラシにも僕は大フィーチャーされている。こんなふうに僕は、かなり「本気の営業」をさせられたわけである。
そのために学校は、僕が、いつでも作曲、ピアノの練習、実際の演奏のリハーサルに使えるように、正門を出て歩いて3分ほどの場所にある音楽棟のすべての鍵を僕に渡してくれた。僕は、その棟内のコンサートホールの鍵から音楽教師のオフィスの鍵まで、建物内外のすべての鍵を束にして持っていた。練習室も10室くらいあった。もちろんこんな待遇の生徒は他にはいない。
実際、鍵は毎日のように使った。
ピアノ部屋では曲をたくさん作ったし、僕の曲を歌ったり弾いたりしてくれる他の楽器の生徒とのリハーサルにも使ったし、その録音もした(当時、僕はアナログのミキサーやマイク、シンセサイザーを日本から持参して使っていた)。
こんなふうだから、ドーヴァー高校では、「音楽」といったら、まず僕に話が来るわけだ。
人気バンドのカバー曲をやりたい、でもドラマーのいない学生バンドのドラム・パートを、シーケンサー(自動演奏機能)付きのシンセサイザーで打ち込むこともした。合唱を競う校内コンクールでは伴奏パートをシンセサイザーで編曲してプログラムし、その上に、本番では僕がピアノを生で弾き、合唱には内緒でリハーサルを録音しておき、本番でその録音も実際に歌われている合唱の上にかぶせて豪華さを出したり、とそんなことに明け暮れた。
こんな僕のところへ、彼女や彼氏を連れて歩く、カッコいいスクール・プリフェクトがやって来る。学校の校則をコントロールする彼らが、夜の9時になるとこう言う。
「音楽室に教科書を忘れた。取りに行きたいから鍵を貸してほしい」
僕は黙って鍵を貸す。貸さない理由もない。
音楽室で彼らは、教科書を眺めて復習するのかもしれない。彼女が彼氏といっしょに音楽棟に教科書を取りに行くのは、彼氏思いだからなのかもしれない。
ドーヴァー高校で、若い男女が2人っきりになれる場所は、この音楽棟のみ。モテるスクール・プリフェクトたちが、そこで何をしていたか、僕は見たことがない。もしかすると哲学を語り合っていたのかもしれない。詩を読み合っていたのかもしれない。ひょっとすると、ラグビー部のキャプテンでもあったスクール・プリフェクトが、夜9時からこっそりヴァイオリンを練習したかったのかもしれない。
ところでスクール・プリフェクトには、夜、2人で音楽室で哲学を語り合ったり、ヴァイオリンの練習をしたりする以外に、ランチタイムの食堂の行列をコントロールする門番の仕事がある。食べ終わった4人が食堂から出る時、行列の先頭の生徒たちに「おい、次の4人、入れ」と言う。遅れてきた上級生たちは、自分より下の学年の生徒たちを抜かして列に入れる。
下級生が先に入ろうものなら門番が「どこに行こうとしてるんだ、若い君!」(これはひじょうにイギリス的な言い回し)と注意する。先生たちは、門番がちゃんと仕事をしているかをチェックしている。行列は長く、後ろのほうは建物の外だ。イギリスは始終、雨が降る。下級生たちはびしょ濡れだ。
まだ低学年だったある時、僕は行列に並んでいた。すると昨晩、僕に鍵を借りにきた門番が言った。
「ダイ、お前は並ばなくていいんだ」
以来、僕は列を素通りして食堂に入った。自分の学年や上の学年が前で待っていても素通りした。顔パスってやつだ。
時には門番がモテないスクール・プリフェクトのこともあった。彼は顔パスしようとする僕に言った。
「おい、そこの! どこに行くんだ、並べ」
そこで僕が並ぼうとすると、すぐさま別のスクール・プリフェクトが彼に耳打ちする。
すると「ごめん、俺知らなかったから。もちろん入ってくれ、良い食事を!」などと言って通してくれた。
そんなわけで僕にはまったく校則が適用されなかった。
スクール・プリフェクトでさえも、授業が終わる午後4時までは校内から出てはならない。それを犯して、もし見つかれば退学だ。
僕は毎朝、寝坊した。朝食を寮で取らないことも多かった。
ドーヴァー高校では曜日によっては午前中まったく授業のないことがあった。その時間は「予習する」という名目になっており、みんな自分の部屋か図書館におらねばならない。街に繰り出すなんて、もってのほかだ。
僕は朝食を食べていないので街のカフェに行った。「見つかったら退学ものだよ」と震える友だちを連れて。
「そうだな。昨日はソーセージに卵だったので、今日はマフィンにでもしようかな」
などと言いながらゆっくり食べ優雅にコーヒーを飲んでいると、その時間、授業を持っていない先生のグループがそのカフェに入ってくる。「おう!」と先生が手を上げる。僕も手を上げて挨拶する。震える友人を尻目に、僕は、ゆっくりと朝食を満喫する。しばらくすると先生たちが、「ダイ、また学校でなー!」と言って出ていく。僕はコーヒーをお代わりして、ようやくカフェを出る。
僕は暴力問題も麻薬問題も起こさないし(それどころかタバコも吸わない)、音楽面で学校を宣伝する唯一の存在だったから、僕を罰したり、叱ったり、停学や退学にしても学校にはなんのメリットもないはずだった。
つまり生徒は、まったく平等ではなかった。これは、いかにもイギリス的だ。自分ら(この場合はドーヴァー高校)にとって、有利かつ、イメージの毀損がまったくない場合は、ルールは関係なくなる。すべてがビジネス的なところがイギリスらしい。
もし、日本やドイツなら、「ルールはあくまでルールだから」となるのだろう。しかし、ここでは僕に「だけ」校則はなきが如しであり、他の生徒には厳しくある。それに対して他の生徒は何も文句を言わないし、学校側も「他の生徒の目もあるので、一応守ってほしい」などと僕に一切、言わない。学校の宣伝として有利であり、スポンサー探しに「使える奴」であり続ける限りは……。
だから僕は僕で、学校からのあらゆる音楽面でのリクエストに応(こた)えた。
女子寮主催のミュージカルの伴奏なんていう、僕にちっとも関係のない音楽の催しもすべて、「ダイ君に担当してもらえないか」と女子寮の寮長や先生らが頼みに来る。僕の気分を損ねたら、今まで練習を続けてきたミュージカルが、音楽なしの演劇になってしまう。
僕は、好きな時に好きな場所へ行き、「音楽棟に作曲に行く」と嘘をついて、宿題の時間に映画館で映画を観た。2年目からはさらに誰も何も言わなくなり、何も訊(き)いてこなくなった。まったくの自由を手に入れた。
僕が日本から持参したシンセサイザーは重さが20キロほどあった。それを持ってリハーサルに行くべく腰を上げると、スクール・プリフェクトがこんなことを言ってくれた。
「ダイ、そんな重たそうなのを持ってどこに行く? おい、そこの2人(最低学年)! ダイのシンセを、ダイの望む場所まで運べ。落とすなよ。あっ、お前、今、嫌な顔したな? 今晩5周走らせたっていいんだぜ。うん、そうだと思った。気をつけて運べよ」
こうして僕は荷物すら運んだことがなかった。
いってみれば「音楽」が僕にいろんな特権を与えてくれた。これが「音楽と、(多分)セックス」の真相だ。
(つづく)
(お知らせ)※イベントは終了いたしました。ご参加ありがとうございました。
2022年3月16日19時半〜、新刊や作曲の裏話がたっぷり聞ける藤倉大さんオンライン対談を開催します。詳しくは幻冬舎大学のページをご覧ください。