何百回といろんな文庫解説を書いてきた方でも、初めての依頼があり、未体験の格闘からその1歩が始まります。書評家・藤田香織さんの「初めて」は、いろんな偶然が重なってとりわけ強烈です。読むこちらまで緊張してしまうような、「初めての文庫解説」をめぐる貴重な体験をご寄稿くださいました。
まさかの同じタイミング、同じレーベル
「この間、〇〇のあとがき書いてるの読んだよ」
といったことを、昔も今もときどき言われる。同窓会などで直接会ったときや、同級生で作られたグループラインなどで、だ。
「あとがき?」と問い返したのは最初の頃だけで、今では、文庫解説のことだな、とわかっている。「あとがき」は著者本人が書くもので、藤田香織が書いてるならそれは「解説」だろうよと、今この原稿を読んでくれている人はあたり前のように思うだろう。
でも、世の中的には、文庫本を読みはするものの「解説」を「あとがき」と捉えている人がそこそこいるのだ。
もちろん「解説?」と問い返せば「あ、そうそう解説!」と気付いてはくれる。言われてみれば、あれは確かに「あとがき」じゃないよな、と分かってもくれる。でも、「え? あれ解説っていうんだ」と言われたことも1回だけあった。
その1回が、2000年に刊行された幻冬舎文庫版、山本文緒さんの『そして私はひとりになった』で、それは私が初めて書いた解説だった。
前年に『恋愛中毒』で吉川英治文学賞を受賞し、ちょうど山本さんの単行本が立て続けに文庫化された時期で、取材を通じて面識のあった私に直接「書いてー?」と軽いニュアンスで依頼があった。当時の私は会社を辞めて、フリーランスのライターになって2、3年目ぐらいで、主な収入源は情報誌のレビューであり、それは本を「紹介」する仕事であって、「評」する、というほどの原稿はほとんど書いたことがなかった。
20字×7行の新刊紹介を10本とか、800字前後のレビューとか、1200字程度の読書エッセイのようなものと、400字×10枚が基本になる「文庫解説」とは、全然違う。書いたことがなくたって分かるくらい違う。
と、ほとんど同じ時期に重松清さんの『四十回のまばたき』の解説依頼も頂いた。
こちらは編集者を通じて、解説を、という打診だった。
重松さんも前年に『ナイフ』で坪田譲二文学賞を、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞されていて、情報誌でのインタビューで面識があった。その雑誌が発売されて少し経ってから、「掲載誌が送られてこない」と私のところに連絡があり、編集部に連絡してすっ飛んで持参したこともあって、名前を覚えてくれたのだと思う。
恐ろしいことに2冊は同じ月、2000年8月の刊行予定で、しかも両方とも幻冬舎文庫だった(これは珍しいことで、普通は同じ出版社から同じ月に出る文庫の解説を2本受けたりすることはほとんどない。重なって依頼があったことは、この時以来22年間で3回程度しか記憶にないし、結局引き受けたことも1度しかなかった記憶)。
書いたことのない文庫の解説を、同じ月締切で2本って! しかも山本文緒と重松清って!
「いや無理です、無理です、ムリムリムリ……」
と、これ以上ないほど腰が引けた。でも、その一方で、これは乗り越えなければいけないものだとも分かっていた。無名のライターに山本文緒と重松清が文庫の解説を任せてくれるなんて、有難いにもほどがある。大きなチャンスでもあるんだと痛いほど分かっていた。引き受けるのは怖かったけれど、断わるのはもっとずっと怖かった。
でも。これがまぁ書けなかった。全然書けなかった。
そもそも「解説」というものが、どういった役割を果たすものなのか、それまで考えたことさえなかったのだ。今のようにネットで検索すれば「解説の書き方」が見つかるような時代じゃなかった。ニッチすぎてマニュアルがなかった。
改めて手持ちの文庫を後ろから読んでみると、当時の解説は大概、作者と親しい人(同業者や親交のある著名人。作者の素顔的エピソードが主)か、作者を客観的に分析できる人(文芸評論家や分野の専門家。作家としての力量や作品分析が主)が書いていて、どちらでもない自分としては「解説者」としての立ち位置が見つからなかった。
たとえばその時点で、私は山本文緒さんとお茶やお酒を飲んだりしたことはあったけれど、それはどこまで仕事でどこからプライベートなのか曖昧であったし、どの程度の話なら「解説」に書いていいのか、っていうかそれって「解説」に書くような話なのかまったく判断できなかった。それまでに出ていた重松清の小説は全部読んでいたけれど、重松さんがライター時代に書いた記事やタレント本のすべてまでは追いきれていなかったし、大宅文庫で集める資料にも限界があり、それ以上どこでどう探せば良いのかも知らなかった。
分からないことだらけだけど、好きな作家の解説を書かせてもらえる有難さ。
分からないことだらけなのに、好きな作家の解説を書かなければいけないプレッシャー。
毎日毎日毎日毎日「全然書けない!!!」とジタバタし続けた。
結果的に、そうしてヘトヘトのボロボロになって書き上げた解説を、文緒さんは全肯定してくれて、重松さんには思いっきりダメ出しされた。
重松さんに教えられた「文庫の解説の解説」ポイントは5つあったのだけれど、そのなかで「解説はお土産のつもりで書け」の意味をここに記しておこう。
文庫の解説というものは、本文を読み終えた読者にとっても、そしてその話を書いた作家にとっても、もらってちょっと嬉しい気持ちになるものであるように。読者が、え?そうなんだ!ちょっと読み返してみよう!とか、へぇ、じゃあ次はそれを読んでみよう!と気付きを促したり楽しみを膨らませたりするものであるように。作家自身も、分かってくれている人がいるという安心感や肯定感を得られて、書き続けていく上での支えや原動力になるようなものであるように、という話だった。
「大きすぎたり重すぎたりしても鬱陶しいし、トンチンカンなものを押し付けても迷惑なんだよ。藤田の解説はここからここまで、いらないから」と、出来上がった文庫を前に指摘され、あぁまったくもってそのとおりです。いやでもそれ、書く前に教えて欲しかった……と甘えたことを考えながら項垂れたことを今でもよく覚えてる。
一方の『そして私はひとりになった』の解説も、「自分ごと」を押し付けるような文章だった。でも、こちらはそれが日記エッセイという本文に合わないこともなかったのだろう(曖昧!)。それでも、今読み返すとやはり自分本位だな、と思う。「あれ解説っていうんだ」と言われても仕方がない。
更に恐ろしいことに、この5ヵ月後、山本さんと重松さんは第124回直木賞を同時受賞された。新直木賞作家の近刊文庫として『そして私はひとりになった』と『四十回のまばたき』が平積みされる書店の棚の前を、申し訳ないやら心苦しいやら複雑な気持ちで見ないようにして早足で通り過ぎながら、いつか恥ずかしくない解説を書けるようになりたいと繰り返し思った。
それでも。あれから、22年が過ぎて、もう何百回も解説を書いてきたのに、未だに自分がどこに立って書くべきなのか分からなくなる時がある。ちょっと検索すればわかるような来歴をわざわざ書く必要があるのか。自分の「読み」を尤(もっと)もらしく語る資格が私にあるのか。いやこれ、余計なお世話じゃない?ってか、小説って、結局は好きに読んだらいいんじゃない?
小さくても、喜んでもらえるようなお土産を用意するのは、本当に難しい。