46歳まで運動経験皆無、52歳までカナヅチだった作家の倉阪鬼一郎さんがなぜかハマったトライアスロン。トライアスロンは、鉄人レースばかりでなく、ハードルの低いレースもたくさんあるそう。3月に発売された新書『はじめてのトライアスロン』は、そんな著者による最底辺からの体験的入門書です。一部抜粋して、体にやさしいトライアスロンの世界をご紹介します。
最も長い残り500メートル
オリンピック・ディスタンスでオーシャンスイムまでこなし、15戦のキャリアを積んできたわたしは、満を持して次のステップ、ミドル・ディスタンスの大会に臨みました。5月下旬の長良川ミドルトライアスロンinアクアフィールド102(岐阜)です。スイム2キロ、バイク80キロ、ラン20キロの102キロで行われるミドルの大会ですが、制限時間は7時間半とわりと余裕があるのが魅力でした。
例によって冬季に下見をし、地元のコミュニティバスを使って前日受付へ行くスケジュールを組みました。桑名(くわな)に前泊し、万全の態勢で臨んだ初ミドルでしたが、結果は厳しいものでした。
当日の最高気温は35℃。5月下旬とは思えないほどの暑さです。真夏でも暑い気温ですが、暑熱耐性ができていないこの時季はことにつらいものがあります。バイクでは水をかぶりながら周回を重ねましたが、だんだんつらいレースになってきました。
ロングライドでは80キロはおろか100キロ超えも経験していますが、たいてい途中でコンビニ休憩などを入れています。80キロをぶっ通しで走るのは初めてで、アップダウンがないフラットなコースでも、もともと不安があった腰にダメージが蓄積してきました。
それでもどうにかバイクを終え、得意のランにつなぎました。4キロを5周する20キロです。1周目はそれなりの調子だったのですが、日をさえぎるもののないコースはさらに暑く、2周目からは歩きが入ってしまいました。
地獄だったのは最後の5周目です。普通に歩いているだけで前へつんのめって倒れそうです。熱中症の症状はさほどでもなかったのですが、とにかく腰に余力がまったくなくて限界でした。
残り500メートルの最後のエイドで、スタッフが見かねてペットボトルを渡そうとしてくれましたが、わたしは断りました。もうペットボトルを持って歩く体力すらなかったのです。帽子すら重く感じて脱ぎました。
会場に戻ってからは、設営されているパイプを伝って歩き、最後の直線では何度も止まって休みました。声援がなければどこかで倒れていたかもしれません。いままでで最も長いラストの500メートルでした。
結局、制限時間9分前のゴールと同時に倒れこみ、車椅子で休憩所に運ばれました。もうコミュニティバスはなく、知り合いがいない単独参加だったので、体力がいくらか回復してから最寄りのローカル線の駅まで6キロくらい自走と歩きで向かって、どうにか夜遅く自宅に戻りました。
身の丈に合ったゴール
こうして初ミドルはほろ苦い結果に終わりましたが、曲がりなりにもミドルまで完走できたのですから大きな達成感はありました。
ミドルの上はロングです。もう少し若いころから始めていたらロングへ駒を進める気になったかもしれませんが、無理は禁物です。それに、国内のロングの大会は現状では4つしかありません。皆生(鳥取)、佐渡(さど)(新潟)、五島(ごとう)(長崎)、宮古島(みやこじま)(沖縄)の4大会です。
このうち、皆生には一度応募して落選しました。書類選考が厳しいことで定評がある大会ですから、この先当選するまで何年かかるかわかりません。もともと予定を立てられない選考待ちが嫌いなので、一度の応募だけであきらめました。
佐渡と五島はバイクコースにアップダウンがあり、制限時間に自信が持てません。宮古島もわたしには厳しい制限時間ですし、何より飛行機が大の苦手です。これまでに飛行機に乗ったときは隣の奥さんの手を握ってこらえていましたが、見ず知らずの隣席の人の手を握るわけにもいきません。それに、怖いばかりか気圧の関係で着陸後に調子が悪くなってしまいます。とてもトライアスロンどころではありません。海外のアイアンマンには、制限時間がわりとゆるめな大会もあるのですが、飛行機に乗らなければならないところはわたしにとっては論外です。
というわけで、ミドル完走を身の丈に合ったゴールとし、ロングは断念しました。よって経験談を語ることはできないのですが、どのようなステップアップと準備が必要か、書物などを紹介しながら道筋を示すことはできます。ゆくゆくはロングからアイアンマン、果ては世界選手権までという方も、最後の付録までお付き合いいただければ幸いです。
* * *
続きは、倉阪鬼一郎『はじめてのトライアスロン』をご覧ください。