ウクライナ危機で今関心が高まっているロシア。そのロシアと日本は、どんな関係にあるのか。最新の社会科(地理、歴史総合、公共、日本史、世界史、政治・経済、倫理)から多角的に解説します。第5日目は「世界史」。
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なぜロシアは南下政策を採ったのか
18世紀前半、ロシアはピョートル1世(大帝)の下で勢力を拡大し、大国としての地位を固めます。東方ではシベリア経営を進め、清とネルチンスク条約(1689年)を結び、国境を定めて通商を始め、西方・北方では北方戦争(1700~21年)でスウェーデンを破り、バルト海の覇者となりました。また、南方ではオスマン帝国を圧迫して黒海北部のアゾフ海に進出します。
18世紀後半、女帝エカチェリーナ2世は、南方ではオスマン帝国からクリミア半島を奪い、東方ではオホーツク海に進出し、日本にもラクスマンを派遣(1792年)してきました。
じつは、ロシア最大の目的は、冬でも凍らない不凍港を得ること。団塊ジュニア以上の世代は、モスクワ五輪(1980年)の公式マスコット「こぐまのミーシャ」を思い出してください。図体のデカイ熊のようなロシアは、(決して北極グマではないので)茶色い着ぐるみをつけたまま、常に暖かい南に転がろうとしているのです。この行動(南下政策)が、オスマン帝国とのクリミア戦争や日露戦争、第一次世界大戦にもつながるのです。
(第6日「政治・経済」へ続く)
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