“大人の謎かけ”でお馴染みの女性芸人・紺野ぶるまさんの初小説『特等席とトマトと満月と』に、藤田香織さんからの書評をいただきました。
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野球選手やサッカー選手、ユーチューバーやプロゲーマー。医師に看護師、獣医師に薬剤師。シェフにパティシエ、イラストレーター。小学生の「将来なりたい職業ランキング」を見ていると、どれくらいの割合の子が、実際、その夢見た仕事に就くのだろう、と考えてしまう。その一方で、今現在働く大人たちは、どれくらいの割合で望んだ職業に就いているのだろう、とも考える。
夢を見て、努力を重ねて、どうにかその職業のスタートラインに立つことができても、走り続けられるとは限らないし、食べていけるとも限らない。プロとしてやってみて初めて、適性がないことに気付くこともあるし、能力があっても運や人に恵まれず、立ち止まり、他の道へ方向転換することも決して少なくない。
『特等席とトマトと満月と』は、そうした夢と現実の狭間で迷い、足掻き続ける姿を描いた長編作だ。
主人公の赤間ムシナ(本名・いずみ)の職業は女芸人。とはいえ仕事は事務所主催のライブに月数回出演している程度で、とても「食べていける」レベルではない。主 な収入源は居酒屋でのアルバイトで、百合ヶ丘にある実家に両親と暮らしている。〈見た目が普通で、一見、女芸人らしくない〉ことにコンプレックスもあった。
物語は、そんなムシナの二十代半ばからの数年間を追っていく。バイト先で知り合った俳優志望の恋人・竜也に女芸人だと言い出せず、曖昧な嘘を吐き続ける日々。誘われた合コンで飛ぶ鳥を落とす勢いの人気芸人・高木と関係し、呼び出しがあればタク シーで駆け付け〈自分の価値が少し上がっている気がして、その辺の売れない芸人を 馬鹿にしていた〉時期。その高木から突然連絡が途絶えた後、飛び込んできた寝耳に 水の結婚報道。売れていく後輩、辞めていく先輩。芸人は、資格試験がある仕事では ない。「面白い」はジャッジする人間によっても違ってくる。自分が面白いと思うも のを他人もそう感じるとは限らないし、何よりも自分が面白いと思うものを生み出すことが、まず難しい。
そうしたちょっと特異なお仕事小説として文句なく読ませるのだが、作中ムシナが「女芸人」と自称しているように、「女」であることが意識的に描かれているのも本書の大きな特徴だといえる。 二十七歳のムシナは思う。〈三十歳までに子供を産むために、三年以内に爆売れして、出産後も戻ってこられるような絶対的ポジションを手に入れたい。女芸人が子供 と芸人としての成功、どちらかではなく両方を手に入れるには時間との戦いになって くる。男芸人と女芸人の一番の違いはそれだ。タイムリミットがあるかないかなのだ〉。 売れないと結婚なんてできない。でも、売れるのを待っていたら一生できそうにない。 だからといって絶対に「売れる」方法もわからないのだ。売れるルートはいつだって、 男たちが作っているから。 〈芸人でいることで可愛いともてはやされ、好きな男芸人には自由に近づけるので都 合がいいからお笑いをやっている〉ように見えるセクシー女芸人。〈誰に頼まれたわ けでもないのに急に乳首を出したり、下の毛を手でむしって花吹雪のように撒き散ら したりしている〉ブスで不格好ゆえにヒエラルキーの一番上にいける女芸人。美人な のにあえて〈“おじさん”をかじることで得る旨味にほくそ笑む〉女芸人。元地下ア イドルで太い客を持ち〈売れる気があるかどうかは定かではないが、確実に「芸人」でいい商売をしている〉女芸人。
読者の大半はそんな「女」の現場を見たことはないはずだ。なのに、読みながらそ の姿をはっきりと思い浮かべることができる。笑う場面でもないのに、あーいるいる、 とニヤニヤしてしまう。ニヤニヤしながら、ぎゅっと胸が苦しくなる。こんな姿を〈女芸人〉を長く続けてきた作者はどれだけ見てきたのかと思い、そしてまた、職業は違っ ても、同じような姿を自分も幾度となく目にしてきたな、と唇を嚙みしめてしまう。 芸能有名人が小説を書くことは、今や特に珍しくはないが、本書は既存の小説や作家から言葉を借りてきたような空虚さがないのも得難い魅力だ。
唸らされた表現は多々あるが、ひとつだけ挙げるなら、終盤、超人気モテ俳優のハタクニが、真顔でしれっという「赤間ちゃんはこんなに綺麗なのになんで芸人さんなの?」という絶妙に嫌らしく憎らしい、口にする者を選ぶ台詞から伝わる痛み。そこからの〈ハタクニが前髪をかくとシャリシャリという音がして、頭皮とか臭くなったことないから人前で惜しげもなくその音出せるんだろうなと思った〉という描写。この感じがすごくいい。説明するのも野暮なほど、言葉が生きてる、と感じる。
言い切ってしまおう。女芸人であり続ける作家・紺野ぶるまの小説は、間違いなく面白い。
藤田香織・書評家
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