ひとりじゃない、とは思えない夜がある
「あなたはひとりじゃない」
といった類のフレーズを見ると、考え込んでしまう自分がいる。
深く悩んでいる人に向けて、メディアでしばしば呼びかけられる文章だ。ひとりだと思っているかもしれないけれど、そんなときは友達に悩みを打ち明けてみよう。まわりに頼ってみよう。孤立することなく、解決していこう。そんなふうに促すための呼びかけである。
言いたいことはよく理解できる。社会に生きている限り、完全な孤立というのは逆に難しい。仕事をしていれば相手がいるし、飲食店やコンビニに行けば馴染みの店員さんがいる。精神的に困難になれば、病院に行くこともできる。確かにひとりじゃない。でも、そうじゃないんだといつも思うのだ。
もう数年前のことだ。詳しい経緯は省くが、ある方から「真木先生は占い師なのに、どうして不幸なんですか。未来が見えるはずなのに、なんで結婚もしてもらえなくて、孤独で、幸せじゃないんですか」といった言葉をぶつけられたことがある。今なら「占い師は未来は読めても、自在に変えることはできない」「そもそも結婚=幸福ではない」「結婚なら2回もしたぞ、別れたが」などと反応できるのだが──いや、今でもできないだろうか。
頭を殴られたようなショックを受けて、やっとの思いで「そうですね、ごめんなさい」とだけ返信し、ノートパソコンを閉じた。椅子に座っていることすらできなくなり、床にへたりこむと涙がおもしろいくらいに溢れてきた。不幸でごめんなさい。頑張ったけど、だめだったの。すごく頑張ったんだけど。論理性のかけらもない言葉ばかりが頭を駆け巡る。
当時の私は尊厳を損われるようなことがいくつか重なり、失意のズンドコ、いやどん底にいた。孤独感に押しつぶされそうだったし、幸せという感覚の大部分を思い出せなくなってから長い時間が経っていた。それでも仕事は頑張れていたが、ここでも否定されてしまったわけである。悪いことというのは、かくも重なるものだ。少し吐いて、うずくまって泣いた。
当時はひとり暮らしであり、恋人との関係は破綻していた。ショックだわ孤独だわで誰かに話を聞いて欲しいと思ったが、とんと相手が思いつかない。友達はいるし、1日に複数の人と仕事のやり取りはしている。確かにひとりじゃない。でも、こんなに重たい話をできる相手は浮かばなかった。親しい人ほど、笑って楽しく過ごしていて欲しかった。私の重たい話なんて聞かせるよりも、どう反応したらいいか困惑させるよりも。
今なら冷静に判断できるのだが、自分で自分を追い込む発想というものには際限がない。私は友達の悩みなら、夜通しだって話を聞いてあげたいと思う。泣きたいなら泣いて欲しいし、お酒を飲みたいなら一緒に飲む。そんなのはなんでもないのだ。私の友人たちも、そうであると思う。しかしこのときは、「とてもそんなことはさせられない」と思った。確かにひとりじゃない。でも、現実問題として私はひとりなのだった。
深い穴の底で「孤独」と向き合ったら
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