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本屋の時間

2022.05.15 公開 ポスト

第134回

「倉庫」にいたころ辻山良雄

春に入社した新入社員の方々もひとまずは落ち着いてきたであろうこの時期、会社の採用担当者や現場責任者が気を揉んでいるのは、「はたしてこの人は、このまま仕事を続けてくれるのだろうか」ということである。たとえそれが正社員でもアルバイトであっても、せっかく採った人がすぐに辞めていく時ほどがっかりさせられることはない。それは、採用にかけたお金や時間もさることながら、そんなに悪いものではないとひそかに自負していた職場が、そこにあまり愛情のない人により、ばっさりと否定されたように思えるからなのかもしれない。

 

ある人がその仕事に向いているかどうかは、ある程度の時間が経ってみないとわからないものだ。面接の時、はきはきと自らのやる気を語り、この人はこの先楽しみだなと期待していた人が、「思っていたのと違いました」と、あっさり仕事を辞めていく姿を見る一方、100点ではないけど“なんとなく”採用した人がしぶとくその仕事を続け、職場でなくてはならない人になっていたということもよくある話。面接の時はみな一番いい顔を見せるから、その人の話すことは、話半分に耳を傾けるくらいがちょうどよいのかもしれない。

 

かくいうわたしも、いまでこそ“よい大人”の顔を取り繕ってはいるが、アルバイトをはじめたころはどんな仕事もまるで続かなかった。コンビニの店員や塾講師は、まだ続いた方で半年くらい。巣鴨にあったレストランは二回行っただけで嫌になり、その次のシフトで無断欠勤したら、それきり電話もかかってこなくなった(その時はほんとうに申し訳ありませんでした)。

当時は遊びたい盛りだったから、あまり興味の向かないことをする時間がもったいないように思えたのだろう。これからバイトだと思うだけで、すっきりと晴れていた心には暗い雲がかかり、バイト先の駅に着く頃には、足どりはずっしりと重たくなっている。その頃のわたしは、仕事という底知れない鐘を、軽く叩いていたのだと思う。

それが変わったのは、大学近くにあった児童書出版社でアルバイトをはじめた時からだ。それは全国の書店から来た注文を、注文通り、取次ごとに仕分けて出荷する地味な仕事だった。勤務中人と会うことは少なく、自分の好きな音楽をかけながら黙々と働く、アルバイトというには気ままな時間。職場の倉庫には、コンビニ弁当や汚れたお皿の代わりに、刷り上がってきたばかりの、まだインクの匂いのする本が山のように積まれており、その本を触っているだけでも不思議と気が休まった。

そうした仕事がわたしの性に合っていたのだろう。最初二週間という期間で入ったアルバイトだったが、最終日、よかったらこれ以降も来てくれないかと言われた時には、はじめて仕事で誰かから認められたような気がして、胸の奥に小さな誇りのようなものが芽生えた。結局、その児童書出版社での仕事は、それから四年近く続けることになる。

その出版社でわたしを面接してくれたのがBさんで、Bさんはこれまでわたしが出会った人の中で、唯一自分のことを「おいら」と呼ぶ人だ。彼がのちに語ってくれたことによれば、Bさんは元々フォークシンガーにあこがれ上京したものの、その夢は果たすことが叶わず、その後いまの出版社に「拾われるように」採用され、何となくそのまま会社に居ついてしまったのだという。Bさんとは本の話もしたことがなく、ある時彼に趣味を聞いたら、「ない」と即座に返されてしまい、「あるとしても子どもと遊ぶことくらい」と照れながら続けた。

少々の雨なら傘もささず、濡れて帰るような人だった。わたしがアルバイトを辞める日には、おつかれさまと言う代わり、「そこにあるおいらのCD、あげるからどれでも持っていっていいよ」と、目もあわせずに言ってくれたのを覚えている。

住めば都という言葉があるが、仕事にも同じことが言えるのだろう。Bさんは本に過剰な思い入れはせず、決して大言壮語するような人物ではなかったが、自らの仕事をしっかりとやり通して、先日退社されたと聞いている。

思えば、わたしがこの世界に足を踏み入れたのも、Bさんが拾ってくれたからであった。どんな仕事もそうだろうが、とりわけ本の仕事は、ゆっくりと叩けば、それだけ深い響きが返ってくるように思っている。

 

今回のおすすめ本

『日本国憲法』写真=齋藤陽道  港の人

齋藤さんの写真と並べられることで、硬かった憲法の条文にも、豊かなからだが与えられる。憲法はそれのみであるわけではなく、そこに人と生活があってのものなのだ。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

○2024年11月15日(金)~ 2024年12月2日(月)Title2階ギャラリー

三好愛個展「ひとでなし」
『ひとでなし』(星野智幸著、文藝春秋刊)刊行記念

東京新聞ほかで連載された星野智幸さんの小説『ひとでなし』が、このたび、文藝春秋より単行本として刊行されました。鮮やかなカバーを飾るのは、新聞連載全416回の挿絵を担当された、三好愛さんの作品です。星野さんたってのご希望により、本書には、中面にも三好さんの挿絵がふんだんに収録されています。今回の展示では、単行本の装画、連載挿絵を多数展示のほか、描きおろしの作品も展示販売。また、本展のために三好さんが作成されたオリジナルグッズ(アクリルキーホルダー、ポストカード)も販売いたします。

※会期中、星野さんと三好さんのトークイベントも開催されます。
 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

◯【書評】

『アウシュヴィッツの小さな厩番』ヘンリー・オースター [著]/デクスター・フォード [著]/大沢 章子 [訳](新潮社)ーーアウシュヴィッツを含む3つの強制収容所を生き延びたユダヤ人が書き残した悪夢のような日常とは? [評]辻山良雄
(Book Ban)

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

◯【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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