人間関係のトラブルがなんだか絶えないな……と感じている人は、普段、無意識に使っている言葉が原因かもしれません。とくに相手の話の腰を折ってしまうような聞き方には要注意。伝説の特ダネ記者・近藤勝重さんが「この人なら話してもいい」と思わせる秘訣を解説する書籍『聞き出す力 「まさか」「ウソでしょう」で秘密の話が聞ける』より抜粋してお届けします。
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知ったかぶりは損、初めて聞くという思いで聞く
聞法という言葉、ご存じですか。仏法を聴聞することです。
お釈迦さまの教えを聞くときの心得として道元禅師は「聞くときは経験を捨てよ」と説いたそうです。要は「初めて聞くという思いで聞きなさい」ということですね。
いや仏法などというと、浮世ばなれした話と受け取られるかもしれませんが、誰の話を聞くときでもそうあるべきでしょう。この世で体験することは、同じようでも人それぞれです。
「ああ、そういう話なら」などと知ったかぶりをする人に、聞き出す力はまず望めないでしょう。
笑みは相手の言葉を促すことができる
人は相手の顔を見て話をします。表情は会話であれ、対話であれ、極めて重要な役割を果たしているのです。
相手の表情に笑みがあると、もっと言葉を足していいんだと思いますし、とりわけ目が笑っていると、話もおのずと膨らんでいきます。逆に、相手が不愛想で笑顔一つない面持ちだと話もはずみません。
そんなわけですから、表情、とりわけ笑顔かどうかは当然聞き出す力と関わってきます。そのうえで知っておいてほしいことの一つは、人間はおかしくなくても笑える能力を持っているということです。脳と顔の筋肉の働きによる作り笑いや愛想笑いで、言ってみれば社交上の笑いですね。
笑顔とともに互いに親しみ、心を合わせてほしいと願って、造物主がその能力を与えてくれたものでは、と僕は理解しています。
仏教は、お金などなくても誰にでもできる布施として「無財の七施」を説いています。そのうちの一つは、「和顔施」です。穏やかな顔で人に接する行為の大切さを言うわけです。
いい教えじゃないですか。とりわけ無財がいいですね。
「でも」「いや」「ただ」は話の腰を折る禁句
言葉数が多いほど伝わる言葉が少ないのは、「言わぬは言うに勝る」とか、「目は口ほどに物を言う」といった諺からも窺えます。語らずとも表情やその人のかもし出す雰囲気から伝わってくることだってありますよね。
それとここで強調しておきたいのは、「でも」「いや」「ただ」といった否定語で話を受けないようにするということです。こういう言葉って半ば口癖のようになっている人がいたりもしますが、それらの言葉を返された側にすれば、話の腰を折られたようでいい感じはしません。
逆に言えば、否定語などマイナス言語を口にしないように努めるだけでも笑顔が増す感があります。
「にもかかわらず笑う」。よく知られているドイツの諺ですが、改めて味わうと大きな言葉ですね。健康法とか、いろいろなことに通じそうですが、ここでは聞き出す力の根源、大本でもある、と受け止めたく思います。
「わかります、わかります」は信用されない
言葉の持つ含蓄と多義性については、臨床心理士の知人から教わりました。実は先にふれた「ね」を付ける話法も臨床心理士が言っていたことなんですが、その際にこんな一例も示してくれました。
「例えば『わかった』という言葉も簡単に言うと、口先だけの言葉になりかねませんが、『わかるような気がします』と答えると、相手は自分の言葉を理解して受け止めてくれたんだなと思う。すると話がスムーズに流れ、聞きたいことも聞き出しやすくなります」
もう一点、臨床心理士の話で、実際の取材などで役立った話例があります。
僕らは「わかった、わかった」とか「わかります、わかります」と二度言うことがあります。ですが、こういう繰り返しはかえって信用されない場合もあると言うんですね。加えてこんな話も。
「人間は言葉で理解し合うものです。とくに“聞く”listenですね。今の世は言葉までも簡略化、省略化されがちで、向かい合っての話もなく物事が運ばれる状況です。実はそれがかえって人間関係をおかしくさせているわけで、もっと真剣に考えられていいテーマなんですね」
いや、おっしゃることはよくわかります。オンラインだ、テレワークだ、リモート技術を生かそう……となると、当然、言葉にまつわる問題も多々生じるわけですから、直接向かい合ってのやり取りは大切な機会と思って臨む自覚が必要かと思います。
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