この人と話していると楽しい……相手も自分も気持ちよく機嫌よく会話ができる人は、実はある「音」を多用している!? 感じのいい話し方のちょっとしたヒント。伝説の特ダネ記者・近藤勝重さんが「この人なら話してもいい」と思わせる秘訣を解説する書籍『聞き出す力 「まさか」「ウソでしょう」で秘密の話が聞ける』より抜粋してお届けします。
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「あ」の活用で相手の口がなめらかになる
1993年の春のセンバツ(選抜高等学校野球大会)では阿久さんが作詞を、谷村新司さんが作曲を手がけた「今ありて」が新大会歌に採用されました。その年は第65回の記念大会でもあり、僕は大阪の論説室で? 今ありて 未来も扉を開く……の歌詞を引きつつ社説を書きました。
阿久さんは野球好きで、高校野球の夏の大会期間中、スポーツニッポンで「甲子園の詩」を連載し、阿久さんらしいぬくもりのある言葉でさながら詞のようにも思えるその観戦記を僕も読んだものです。
阿久さんが出身地の淡路島を舞台に、野球を通じての女性教師と子どもたちの姿を、終戦時の島の人間模様を背景に描き出した自伝的長編小説『瀬戸内少年野球団』(岩波現代文庫)が1979年(昭54)度下半期の直木賞候補作になったのを機に、僕は淡路島を訪ね、阿久さんの足跡を追ったことがあります。
野球好きに加えて映画も好きで、高校時代は友人のラブレターを代筆するほど書くのも好きだったといったエピソードを拾い集めて、新聞で特集しました。
ですから、阿久さんの作詞の新大会歌は今も口ずさんだりしますが、阿久さんの「高校野球は『あ』のものです」という言葉も印象に残っています。感動、驚きの「あっ」から落胆の「あー」まで、一球一打に「あ」という声は球場を包み込むというわけです。
初めてその言葉にふれた時は、なるほど、高校野球は本当にそうだなあ、と思ったものですが、と同時に「『あ』のもの」は人の話を聞き出す上でも大いに有効と、改めて知ったのは対談の場でです。僕が「あっ、そうですよね」と声を出してうなずいたり、「あー、それは知らなかった」と驚いた口調で言ったりすると、相手の口もなめらかになって、話が弾むんですね。
「『あ』のもの」を活用しながらのリッスン、おすすめします。
「だから」に「ね」を付けるだけで険悪さが消える
「だから、言っただろう。そういうことはできないって」
「だからって、何がだからなのよ。頭ごなしに言わないでくれる」
たまたま入った喫茶店の隣りの席で若い男女が言い合っていました。聞こえてくる話に「だから」は強い口調で言うと、一方的に言い立てている感を与える言葉なんだな、と思いました。確かに「まだわからないのか。何度も言わせないでくれ」といった響きがありますよね。
不快感が言葉に表れては話は前に進まず、口論に発展しかねません。では、どう言い換えればいいのでしょうか。
「だから、ね」と「ね」一つ付けるだけで感じが変わります。「ね」という助詞は親しみを感じさせ、次に助言めいた言葉を期待させるんですね。
これ、すべて語感の問題なんです。深く考えないで言葉を発してしまう。みんなよくやることなんですが、相手がどう受け取るか、本書がテーマにしている「聞き出す」という会話などでは、言葉一つで相手が気を悪くして黙り込むことだってありますから、とくに注意を要します。
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