大手メーカーの販売代理店で営業部長をつとめる五十嵐卓也は、社長に乞われ、業績が悪化している中小企業に出向することになる。五十嵐は社員たちとぶつかりながらも、ビジョンの共有、仕組みの構築、情報の活用、教育の強化の4つの視点で、一人ひとりの意識を変えていく。そんなある日、想像だにしなかった最大の危機が五十嵐に襲いかかる……。元リコージャパンのトップマネージャー、杉山大二郎さんが書き下ろした『ザ・マネジメント』は、最強のチームをつくり方をわかりやすく教えてくれるビジネス小説。部下や後輩を持つ人なら絶対役に立つ本書、第一章「ビジョンの共有」から一部をご紹介します。
* * *
4 四つの視点で改革する
3月31日。初出社を翌日に控え、五十嵐は専務の大村弘明に挨拶に行った。大村事務機の社長室で面談する。大村社長は外出していて不在だった。
「明日からお世話になる五十嵐です。よろしくお願いします」
「社長が強引に引き抜いたそうだな。せっかく出世コースに乗っていたのに、かえって悪いことしちゃったんじゃないか」
「いえ、そんなことは……」
イタリア製のブランドスーツに濃厚な香水の匂い。以前は外資系のIT企業でプロモーションの仕事をしていたそうだ。広告代理店などとの付き合いも多かったのだろう。
経営者とはいえ、販売会社のトップとは営業マンなのだ。五十嵐からすれば、どうかと思うような出で立ちだった。
「ハピネスコンピュータは、うちにとって親会社みたいなもんだからな。資本は入ってなくても、仕入れの6割を依存している……」
だからなんだ、と喉まで出かかった言葉を、グッと呑み込んだ。
「……まあ、出向っていったって、どうせ1年くらいのものなんだろう。長めの休暇かなんかと思ってさ、お手柔らかに頼むよ」
「それ、どういう意味ですか?」
「どういう意味って……」
「お世話になると決めた以上は、こちらに骨を埋める覚悟で、本気でやらせていただきます。納得する成果を出せるまでは戻るつもりはありませんから、もしも私の仕事ぶりにご不満があるときは、いつでも遠慮なく言ってください」
五十嵐の気勢に、大村専務は一瞬鼻白んだ表情を見せる。
大村社長との約束があった。たとえ相手が専務とはいえ、言うべきことは言わなければならない。
「冗談だよ。そんなにムキにならなくてもいいだろう」
「私はただ、本気で専務の力になりたいと思っているだけです」
五十嵐の言葉に、大村専務が小さく溜息をついた。その表情からは、面倒くさいやつが来た、とあからさまに読み取れる。
「まあ、業績については、今までも俺が厳しく言ってきたんだ。それでもこんななんだよ。これだけ市場が冷え込んでると、お客さんの購買意欲も下がるいっぽうだし。ハピネスコンピュータが、もうちょっと卸値を下げてくれると、うちも助かるんだけどな。ねえ、坂巻部長」
大村専務が助けを求めるように話を振った坂巻健吾が、表情を引き締めたまま、五十嵐のほうに向き直った。
坂巻は経理部長として、財務の責任者をしている。2年前、五十歳を機にメインバンクである白百合銀行から出向してきていた。
色の白い細面のどこか神経質そうな顔立ちで、きっちりとまるではかったかのように七三に分けられた髪に、メタルフレームの眼鏡が妙に似合っている。絵に描いたような銀行マンだ。
立場は同じ外様だったが、五十嵐の給料が全額ハピネスコンピュータから出ているのに対して、坂巻の場合は白百合銀行の負担は半分だけだった。つまり銀行の人減らしで、五十嵐とは違って片道キップの出向だ。
白百合銀行としては融資を人質に取りながら、台所奉行を送り込んできたわけだが、同様に軍師として送り込まれた五十嵐とは、互いに微妙な関係になりそうだった。
「私は営業についてはわかりませんから、すべて専務と五十嵐部長にお任せします。もっとも、せっかく伝説のトップセールスといわれた五十嵐さんに来てもらったんだ。経理を預かる者として言わせてもらえば、たしかにハピネスコンピュータからの仕入割戻しについて、もうちょっと交渉してもらえるとありがたいですね」
中指の先でずり落ちた眼鏡を押し上げながら、上目遣いで五十嵐を見上げた。冗談めかした言い方だが、かなり本音が交じっている。
「短期的な業績回復のためには、たしかにそれも一つのカンフル剤になるかもしれませんが、本当に営業力を強化するためには、あくまでも顧客からの売上を拡大していくための抜本的な改革が必要だと思っています」
「さすがはハピネスコンピュータのトップマネジャーだ。会社思いですね」
「もう正式に辞令は下りています。私の会社は大村事務機です」
「本当にそうなら、ありがたい心がけだ。ただ、その抜本的な改革ってやつにはどれくらい時間がかかるんです? 毎月の資金繰りは待っちゃくれない。たとえカンフル剤だろうが、今日の飯が食えなければ明日には死んでしまうんだ」
「それをつづけてきたから、こんなにも体質が弱くなってしまったんじゃないですか」
「まがりなりにも、今までそれでなんとかやってきたんだ。コンサルの連中も口を開けば改革だの変革だのと言っていたが、どうせ新規の投資をしたって、成功するかどうかわからないじゃないか?」
「結局は経費削減に落ち着くんですか? 否定はしませんが、それだけでは企業は成長できません」
五十嵐の言葉に、坂巻がムッとしたように顔を強張らせ、さらに反論しようとした。それを制するように、大村専務が五十嵐に質問する。
「それで、どうやってうちの業績を回復させるつもりなんだ?」
まずはお手並み拝見という感じで、坂巻が両腕を組みながら五十嵐をじっと睨みつけている。
五十嵐は開いたノートを見ながら、企業における病根について説明した。
説明を終えた五十嵐に、大村専務が、
「うちにも当てはまることがあるのかな?」
などと呑気なことを言う。
「椅子職人の話というのがあります。腕のよい椅子職人がいて、いつもお客様の要望に応えた丁寧な仕事をしていました。彼の椅子はとても座りやすいと、街中の評判になりました。
やがて注文が殺到するようになると、一人では作るのが追いつかなくなる。そこで職人は何人もの弟子を雇います。ある者は椅子の脚を作り、ある者は肘掛を作り、ある者は背凭れを作る。それぞれは脚作りのプロであり、肘掛作りのプロであり、背凭れ作りのプロであり、丁寧な仕事をしているのですが、誰も他の職人の仕事のことは知らないし、完成した椅子も見たことがないんです。
なぜなら、それは自分の仕事ではないからです。結局、いつの間にかその職人の椅子は売れなくなってしまったそうです」
「分業した結果、お客様の要望が伝わらなくなってしまったんだな。まさに大企業病ってやつか。その点で、うちは心配するほど大きな会社じゃないからな」
「どうでしょうか? 会社の規模にかかわらず社員が三人以上いれば、三つのどれもが当てはまるといわれています。ハピネスコンピュータだって、様々な問題や課題を抱えていました。大村事務機が例外であればいいのですが……」
大村専務が渋い顔をする。
「で、その病を治すにはどうするんだ?」
「特効薬はありません」
はっきりと答えた。坂巻が嘆息する。
「薬がないなら、病気は治らないじゃないか」
「薬で治すことはできませんが、体質を改善することにより、病に打ち勝つことは可能です。自然治癒力を高めるというやり方です」
大村専務が初めて身を乗り出した。
「なるほど。で、具体的には?」
五十嵐は立ち上がると、社長室に備え付けのホワイトボードに、マーカーで図表を描いていく。
ザ・マネジメント
大手メーカーの販売代理店で営業部長をつとめる五十嵐卓也は、社長に乞われ、業績が悪化している中小企業に出向することになる。五十嵐は社員たちとぶつかりながらも、ビジョンの共有、仕組みの構築、情報の活用、教育の強化の4つの視点で、一人ひとりの意識を変えていく。そんなある日、想像だにしなかった最大の危機が五十嵐に襲いかかる……。元リコージャパンのトップマネージャー、杉山大二郎さんが書き下ろした『ザ・マネジメント』は、最強のチームをつくり方をわかりやすく教えてくれるビジネス小説。部下や後輩を持つ人なら絶対役に立つ本書、第一章「ビジョンの共有」から一部をご紹介します。