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奇跡のバックホーム

2022.07.31 公開 ポスト

はじめて弱音を吐いた、脊髄腫瘍との「2度目の闘病」横田慎太郎

22歳、プロ4年目で脳腫瘍の宣告。18時間に及ぶ大手術、2年間の闘病とリハビリ、回復しない視力、24歳での引退試合――絶望に立ち向かう姿に誰もが涙した、感動の実話。

元阪神タイガース・横田慎太郎さんの自伝ノンフィクション『奇跡のバックホーム』がこのたび文庫化されました。単行本では明かされなかった、引退後の脊髄腫瘍との「2度目の闘病」や現在の活動を綴った新章を新たに収録。解説はタイガースの先輩・鳥谷敬さんです。

今回は文庫版の「新章」から一部を公開します。

*   *   *

2度目の闘病

『奇跡のバックホーム』の単行本が出版されたのは、2021年5月のことでした。

幸いなことに、想像していた以上にたくさんの方々に読んでいただけました。読者のなかには、僕と同じように病気で苦しんでいる方もいて、そうした方々の力にも少しはなれたようで、とてもうれしく思っています。

とくにテレビ番組で取り上げられたときは、いろいろなところから連絡をいただき、反響の大きさに驚きました。「感動しました」「これからもがんばってください」という励ましの言葉もたくさん届き、いくら感謝してもしきれません。

また、2022年3月には、間宮祥太朗さん主演のテレビドラマにもなりました。まさか自分がドラマの主人公になるなんて、夢にも思っていませんでした。治療がつらくてもあきらめずがんばってきて、本当によかったとあらためて感じました。

単行本『奇跡のバックホーム』で述べたのは、プロ野球選手の生活に区切りをつけ、再出発するまでの出来事です。この「文庫版あとがき」ともいえる「新章」では、その後に僕の周りで起こったことを紹介したいと思います。

実は――再び闘病生活を送ることになってしまいました。

本にも書いたとおり、脳の腫瘍は手術から半年ほど経過した2017年7月下旬に寛解しました。視力だけはどうしても元通りにはなりませんでしたが、身体は再び野球ができるまで回復。阪神球団のご厚意もあり、翌シーズンにはグラウンドに復帰することができました。

残念ながら、目標だった公式戦出場はかなわず、引退を余儀なくされましたが、これからは自分の経験を伝えることで、苦しんでいる人たちの力になりたいという新たな目標を抱き、第二の人生をスタートさせました。

そんな矢先、2020年9月のこと。腰と左足に激しい痛みが走ったのです。

その1か月ほど前からときどき痛みを感じることがあり、「なんか変だな」と気づいてはいました。ただ、痛みがずっと続くことはなく、しばらくするとおさまったので、様子を見ていました。

しかし、痛みはだんだんひどくなっていきました。左足は痛むというより、触っても感覚がない状態で、腰は日常生活に支障が出るほど痛かった。立ち上がったり、かがんだりするだけで、ズキンと激痛がするのです。これまで経験したことのない痛みで、それが1週間くらい続きました。

「これは普通じゃないぞ……」

心配になって両親に相談すると、「前回のこともあるので、一度病院で診てもらおう」ということになり、鹿児島の整形外科を受診しました。

MRIで撮った写真を見ながら、先生は言いました。

「脊髄(せきずい)に腫瘍があります」

腫瘍が転移していたのです。

「まさか!」

半年におよんだ、つらく、苦しい治療を経て、ようやく脳腫瘍が寛解してからおよそ3年。「もう二度と病気にはなりたくない」と思っていたし、転移なんてまったく想像していなかった。6月には定期検査を受けて、なんの問題もありませんでした。100パーセント治ったと信じ、安心して生活していたのに……。

すぐに脳腫瘍のときにお世話になった大阪大学医学部附属病院に行き、精密検査を受けましたが、結果は同じ。そのまま入院し、再び治療を始めることになりました。

自分の身体がかわいそう

転移がわかったのは、『奇跡のバックホーム』が発売される前でした。でも、本ではあえて触れなかったし、公表もしなかった。お世話になった人やファンの方々にまた心配をかけたくないと考えたことと、とにかく治療に専念したかったことが理由です。もう一度きちんと病気と向かい合い、病気に打ち克ってから発表しようと考えたのです。

ちょうど『奇跡のバックホーム』の校正作業の時期だったので、原稿をあらためて読み返しながら、「絶対に本が出るまでには退院してやる!」と思っていました。

幸い発見が早期だったので、今回は手術をする必要はなく、きちんと治療すれば治るとのことでしたが、前回の治療が本当にきつく、何度もくじけそうになったことを思い出しました。

「またあの苦しさに耐えなければいけないのか……」

そう思うと憂鬱になりました。

けれども――いま振り返れば、脳腫瘍の治療はまだよかった。2度目の闘病は、前回以上の苦しさでした。

治療内容は前回と同じく、抗がん剤の投与と放射線照射。抗がん剤は土日を除く5日間、朝から晩までずっと点滴で投与します。その後3週間あけて、また同じことを繰り返す。脳腫瘍のときは3回ですみましたが、今回は5回。放射線照射は1回20秒で、こちらは前回と同じく、土日以外の連続30日間行いました。

抗がん剤は、はじめの1、2回はそれほどつらくはありませんでした。しかし、3回目、4回目となると、1回1回、一日一日がとても長く感じられるようになりました。

吐き気が続き、食欲はまったくなく、体重も減りました。とにかく身体がだるくて、動くのにも苦労しました。とくに、ふたつの治療が重なったときは、本当にきつかった。治療するたびに身体が弱っていくのを感じました。身体に注射針が入らないので何回も打ち直さなければならず、入っても点滴がうまくいかない。身体が無意識に拒否していたのかもしれません。自分の身体がかわいそうで、かわいそうで、耐えられなかった。

抗がん剤の副作用で、今回も髪の毛はもちろん、全身の毛が抜け落ちてしまいました。一度経験したので驚きはしませんでしたが、髪が落ちたときは「やっぱり病気なんだな……」とあらためて感じました。とくに今回は治療の時期が冬だったので、すごく寒かった。背中がゾクゾクして、ベッドでずっと布団をかぶっていました。

目標が見つからなかった

そうしたことだけでもきつかったのですが、もうひとつ、今回の闘病生活をより苦しいものにしている理由がありました。

前回の闘病と今回の闘病で、大きく違うところがあります。

それは「目標」の有無でした。

*   *   *

この続きは、幻冬舎文庫『奇跡のバックホーム』をご覧ください。

関連書籍

横田慎太郎『奇跡のバックホーム』

「横田、センターに入れ!」1096日ぶりの出場となった引退試合で見せたプロ野球人生最後のプレーはいまだ語り継がれている――。ドラフト2位で阪神タイガースに入団。将来を嘱望されたが、プロ4年目に脳腫瘍に侵され、18時間に及ぶ手術の後には過酷な闘病が待っていた。絶望と苦しみの日々の先に見えたものとは? 感動の自伝ノンフィクション。

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横田慎太郎

1995年、東京都生まれ。父は元ロッテオリオンズの横田真之氏。鹿児島実業高校卒業後、2013年ドラフト2位で阪神タイガース入団。2017年、原因不明の頭痛が続いたため精密検査を受けたところ、脳腫瘍と診断される。2018年からは育成契約に移行し復帰を目指したが、2019年に現役引退を発表。引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」が話題となる。現在は鹿児島を拠点に、講演、病院訪問など幅広く活動している。著書に『奇跡のバックホーム』(幻冬舎文庫)がある。

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