生き方
牛久に住んでいた時期は大変な事もあったけど、それと同じくらい楽しい事もありました。
学校帰りの夕焼けの美しさだったり、夏草の匂いだったり、休みの日に友達を連れて、育ての母久子の家に行き、茹でてもらったとうもろこしの味だったり。
その中でもとびきりの思い出を今日は書きたいと思います。
牛久に引っ越して私が転校したのは牛久一中。
そこでは一人きりの転校生で、根が小心者の私はちょっとだけビクついていました。
けれど中学校2年になる時に、生徒が増えすぎて新設の牛久三中ができることになり、私の住んでいた場所がちょうどその学区だったので、またまた転校することになりました。
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山野海の渡世日記
4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。