ジェンダ―ギャップ指数がG7諸国(日本、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、カナダ)の中で最下位の日本。国としての魅力が、この点においても欠けているのは間違いありません。鈴木綾さんのエッセイ『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』では、海外から見た日本の姿が痛烈に描かれています。
世界のトップ人材と仕事をしたい人たちは日本を選ばない
日本に引っ越すことを決めたとき、父にこう注意された。
「日本の三つの災禍に気をつけて」
「三つの災禍って?」
「ツナミ、ジシン、セクハラ」と彼は真剣な顔をして答えた。
父は世界中で仕事をしてきた人なので、仕事上でそういう話を聞いた、あるいは自分の目で何かを見たのかもしれない。私はそんな父の話を深く聞かないまま自分の生まれた国を去った。
父の言葉に従うべきだったのかもしれない。
6年間東京に住んで、ストーカーは何人もいた。その中には仕事上で知り合ったお客さんもいた。地下鉄の中で痴漢に遭ったけど、周りの人は私を助けようとしなかった。接待でセクハラっぽい発言をたくさんされた。プライベート上でも仕事上でもいつも「この男性を信頼できるのか」と計算しながら慎重に行動しなければいけなかった。
だんだん、何が女性蔑視なのか、何が冗談なのか、何が仕事なのか、適切な行為と適切じゃない行為の境界が曖昧になって、自分の感覚が麻痺してきたというか、どこかおかしくなっていった。
私の感覚がおかしくなっていたから、国会議員の秘書のおじさんに飲み会に誘われても別に何とも思わなかった。赤坂見附駅の前でその秘書に強制わいせつされるまで何も思わなかった。目撃者はたくさんいたはずなのに誰も私を助けようとしなかった。
みんな感覚がおかしくなっているから。
そうは言っても、あんなに何回もセクハラやストーカー被害に遭い続けていたらやっぱり限界がくる。日本を出たとき、心は傷だらけだった。
「なんで日本を離れたの? 毎日スシ食べられるのに」と外国人(=日本人以外の人)に聞かれると、率直に日本での経験とそのトラウマを話す。女性として働くのがどれだけ大変だったのかをオープンに話す。私のような、日本社会に溶け込めて、日本人の友達がたくさんいて、日本語で本が書けるほど日本語が話せる人間でさえ耐えられなかったとオープンに言う。
日本の観光戦略や日本食の人気もあって、この数年間は今まで以上に日本への関心が高まってきた。だけど、みんなに知ってもらいたい。日本はラーメンとかお寿司とか新幹線だけじゃない。どこの国だって完璧じゃない。いい面ばかりじゃない。
こういう日本の実情はじわじわ海外に伝わっている。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が2021年の2月に女性蔑視発言で辞任したとき、何人もの友達に「日本って大丈夫? それってひどくない?」とコメントされた。日本人はあんまり感じていないのかもしれないけど、世界はちゃんと日本を見ている。
日本の生きづらさから逃げている女性は私だけじゃない。ロンドンに引っ越してから、自分と同じ年ぐらいの日本人女性に何人も会った。みんな高学歴で、海外でキャリアを積み上げることを決めた女性たち。もう日本に住む予定はない女性たち。彼女たちのことを私は「出国子女」と呼んでいる。
「帰国子女」と違って「出国子女」の99パーセントは女性。基本、彼女たちは超優秀。ロンドンで会った出国子女たちは英語、フランス語、あるいはドイツ語など外国語を流暢に話せる。日本人であること、日本の文化を誇りに思っているけど、日本企業には勤めたくない。海外に自分と同じほど優秀な独身の日本人男性はまずいないので、彼氏は外国人。旅行が好きで年に2回の休みの一つを日本、もう一つをパリ、コペンハーゲン、イスタンブールのようなところで過ごしている。
仲良くしている出国子女の一人は、日本の最高偏差値の私立大学を卒業したあと東京の外資系企業で何年か働いて、アメリカで修士号を取得、そのままアメリカの会社に就職した。そして、ロンドンの会社に転職した。彼女がロンドンに来て久しぶりに一緒にランチしたとき、転職の話を聞いた。前の仕事が終わってイギリスのビザが出るまでは少し時間がかかったので1ヶ月間日本に帰国したと言っていた。
「日本にいるときは本当に不幸だった。自分と同じ分野で仕事をしている同い年の男性に何人か会ったけど、みんな訳もなく私を見下していた。私ほど勉強もしてないし仕事もできてない、世界の業界で何が起こってどうなっているのかも知らないのに。そのとき絶対に日本では仕事したくないと思った」
彼女は日本で仕事をしていないが、仕事上で日本と関わりがあるので、同業他社のメンバーを集めた勉強会に参加している。この勉強会は業界のOBたちが牛耳っている。彼女は唯一日本の外に住んでいる参加者。他の中高年の男性たちはオンラインミーティングの時間を自分たちの都合だけで決める。彼女に合わせてくれない、自分たちと違う時間で活動している人がいるということへの気配りがない。っていうか、そもそもそれ自体に気づいてない。そういう思考が彼らの心の中に存在していない。彼女は無理にイギリス時間朝3時とか4時に起きてミーティングに参加している。
もちろん海外からの参加は一人だから仕方のない面はある。でも、思考が国境を越えてない人たち。自分たちと違う人への想像力を欠いているってこと自体、相手を無視すること、無言のパワハラになってるってことがわかってない。パワハラとか差別っていうのは想像力の欠如から生まれるんだよ。
もう一人仲良くしている出国子女は、本当の意味の帰国子女。子供のとき、お父さんの仕事の関係でアメリカと日本を行ったり来たりしていたので英語を流暢に話す。日本で大学を卒業して時価総額1兆円以上の有名な日本企業に入社した。やめるまでの数ヶ月間、彼女の月間残業時間は300時間近くだった。自分の健康が心配で上司にプロジェクトチームの人数を増やすことをお願いしたけど、「君が一人で全部できてるから人を増やさなくていい」と断られた。彼女は次の仕事が決まらないままその会社をやめて、イギリス人の彼氏と一緒にイギリスに引っ越してきた。フリーランスで翻訳など、専門的なアルバイトをいくつかやりながら次の仕事を探している。能力はあるので余裕もある。
彼女たちは、決して日本が嫌いなわけではないけど、日本を捨てて海外に来た理由はデータを見ればわかる。世界経済フォーラムが2019年に発表した男女平等ランキングで日本は153カ国中121位で過去最低となった。2021年に発表された最新データでも156カ国中120位(編集部注:2022年146カ国中116位。 順位が上がったのは評価対象の国数が減ったから。 G7諸国では引き続き最下位)。
申し訳ないけどとても先進国じゃない。残業が多い一方、生産性は低い。仕事で自分の能力を活かせない、能力に見合った給与ももらえない、その上に仕事と家庭の両立は難しく、子供を産んだ後の出世はもっともっと難しい。
一方で、外資系企業でのキャリアは日本企業よりはるかに魅力的だ。世界知的所有権機関(WIPO)によると、2007年に日本は世界イノベーションランキングで4位だったが、2020年は、16位に順位を落とした。日本企業はニューヨークのロックフェラー・センターが買えた時代とは全く違う。国籍に関係なく、世界を変えている企業で世界のトップ人材と一緒に仕事をしたい人たちは、ニューヨーク、ロンドン、ドバイなどに集まっている。東京はもうその選択肢に入らない。特に給料のことを考えると。
輝いている出国子女たちに会って話すと、いつも痛感する。これってものすごい「人材流出」なのに、なんで日本はもっと危機感を持たないのか? 不思議で仕方ない。
これから「生まれながらの出国子女」も増えるんだと思う。ロンドンで知り合った日本人投資家たちには、子供に海外で教育を受けさせている人が多い。この人たちは、日本の教育は21世紀に求められるスキルを教えない、と言って日本をバッシングして喜んでいる。もちろんこの人たちは、一握りのエリートの中のエリートで超お金持ち。今はまだ限られた人しかこんなことできないんだろうけど、近い将来、多少のお金を持っている日本人なら自分の子供たちをどんどん海外の学校に行かせるようになるかもしれない。教育へのアクセスによって経済的機会を持つ者と持たざる者にわかれる未来。経済格差が教育格差になり、それが次の世代の経済格差になっていく、そんな未来だってあり得る。
出国子女がそういう未来を予感させる。そうなったら日本はどうなるんだろう?
どこの国だって問題はあるし、生きづらいところはある。それが今よくわかる。女性としての生きづらさから脱出するために日本を離れたことは間違っていなかったと思う。でも、イギリスはイギリスで、いろんなことがある。
「働いている女性が強い! ここはフェミニズムの発祥地だ!」っていう理由でイギリスに引っ越したけど、この国にいろいろ期待するあまり求めすぎていたのかもしれない。
うん、今振り返ると私は甘かった。
* * *
続きは、『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』をご覧ください。
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