絶賛発売中、そして読んだ方々衝撃中! のまさきとしかさんの最新刊ミステリ『レッドクローバー』。衝撃的すぎる展開に読む手が止まらない一気読みミステリ! 藤田香織さんの書評をお届けします。
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【書評】藤田香織「私には、もうとても言えないない」
「死ねばいいのに」
そう誰かを呪ったことはないだろうか。私はある。何度もあった。
鬱陶しく憎らしく腹立たしく目障りで、なのにどうすることもできなくて、この世からいなくなってくれればいいのに、と呪詛を吐くことで少しでも気持ちを軽くしたかった。
「本気」ではなかったのだ。アイツが目の前から消えてくれれば楽になれるのに、と思ってはいても、自分の手を汚すほどの覚悟はなかった。「死ねばいいのに」「死んでくれないかな」と、ひとり呟くことはできても、誰かに聞かれるのは怖かった。その程度の気持ちでしかなかった、ともいえる。
「死ね」と、対峙する相手に向かって口に出したことはない。ましてや「殺すぞ」なんて言ったことも言われたこともない。
単なる愚痴の範疇だともいえる「死ねばいいのに」と、悪意を明確に突きつける「死ね」では、まったく言葉の重みが違う。違うと、あたりまえに思っていた。たぶん、きっと、多くの人が同じように感じているのではないだろうか。
でも、だけど――。
その確信が揺らいでいる。あたりまえなんて、誰が決めたのか。本当に、そこに違いはあるのか。「死ねばいいのに」と「死ね」も、「死ね」と「殺すぞ」も、実は大差ないのかもしれない。
そんなわけはないと、否定できなくなったのは、まさきとしかの新刊、『レッドクローバー』を読んでしまったからだ。
物語は、新聞社を定年退職した後、系列出版社の総合誌で記者兼編集者の嘱託職員として働く勝木剛が、コンビニで一冊の雑誌を手に取る場面から始まる。〈ヒ素〉の文字が躍る雑誌には、編集長の不破栄から書いてみないか、と打診されていた事件の記事が掲載されていた。
二ヵ月ほど前になる五月の大型連休中、豊洲のバーベキューガーデンでヒ素が混入した飲み物を飲んだ男女三人が死亡、四人が病院へ搬送された事件は、既に容疑者として、パーティの発起人・丸江田逸央が逮捕されていた。丸江田は起業家を名乗りSNSを通じて被害者たちと知り合っていたが、実際には非正規労働の職を転々とし、事件の数ヵ月前には派遣の契約を切られた無職の三十四歳。両親は既に亡く、古い木造アパートでひとり暮らしだった。
対して被害者たちは全員、社会的に恵まれたポジションについていた。なかには祖父が大手広告代理店の会長で、数年前に強姦罪で逮捕されたものの不起訴になった男もいた。その男は、三十五歳になる現在まで一度もまともに働いたことはないにも関わらず、恵比寿のタワーマンションでひとり暮らしをしていると情報が流出。殺害目的でヒ素を混入させたことを認めた丸江田が「ざまあみろって思ってます」と言ったとも、広く報じられていた。
一方で、勝木は十二年前に北海道で起きた、同じくヒ素によって一家四人が殺害された事件を思い出していた。当時、新聞記者として北海道支社に赴任していた勝木は、函館から車で一時間ほどの場所に位置する現場となった灰戸町で取材にあたり、家族のなかで唯一生き残った長女の姿を目撃していた。生前、家族が囲んでいた座卓に無造作に尻を置き、朝からカップラーメンをすすっていた高校一年生の長女の名は赤井三葉。当然のように彼女の犯行も疑われ、陰では〈レッドクローバー事件〉とも呼ばれていた。
丸江田との面会をきっかけに、勝木が事件後行方のわからなくなっている赤井三葉を追いはじめる現代パートと交互に、〈レッドクローバー事件〉に至るまでと、その後の灰戸町での住人たちの姿が描かれていく。祖母のもとに預けられた小学五年生の望月ちひろ。
町の奥、山沿いにある闇神神社で夫が死ぬようにと祈る丹沢春香。娘の久仁子とは折り合いが悪く、孫のちひろの扱いに戸惑う塩尻悦子。怠惰で愚鈍に日々をやり過ごしているだけの三葉の母・笑子。
丸江田はなぜ、赤井三葉に関心を寄せるのか。ふたつのヒ素殺人事件に関連はあるのか。三葉は生きているのか。〈レッドクローバー事件〉の真相は? 亡き妻との関係性を悔いながらも、勝木がやがてたどり着く真実からは、ミステリー的な衝撃や興奮を存分に味わうことが出来る。
けれど、なによりも恐ろしいのは、普段はなるべく目を逸らし、そんなものはないかのように振る舞っている、どろどろと渦を巻く黒い心が自分のなかに確かにあるのだと突きつけられることだ。
怒りにまかせて吐く暴言。使い分ける差別と区別。噂と嘘。欲望と絶望。怒鳴りつけ当たり散らすのが虐待ならば、冷淡に無視を続けるのはまだマシなのか。読みながら、呼吸が苦しくなっていく。これは小説だとわかっているのに、物語が現実に迫ってくる。
「死ねばいいのに」と吐き捨てたあのとき、自分は本当に「本気ではなかった」のか。
三葉のように、ちひろや久仁子たちのように、もうひとつ、積み重なる何かがあれば「死ね」にも「殺す」にも転がる可能性はあったのではないか。日々報道される、誰かが誰かを「ついカッとなって」殴り、蹴り、突き飛ばしたり、刺したりする事件は、本当に対岸の火事なのか。自分の身には絶対に起こらないと言い切れるのか。
私には、もうとても言えない。
特集『レッドクローバー』
シリーズ累計40万部突破『あの日、君は何をした』の著者、まさきとしかさん書き下ろし長編『レッドクローバー』特集記事です。
北海道の灰色に濁ったゴミ屋敷で、一体何があったのか。
極上ミステリ!