電車で隣り合わせた見知らぬ人に、顎で「しっしっ」とされたことはあるだろうか。私は四年半ほど前から突如として、よくこういう目に遭うようになった。
四年半前、私に何があったか。出産をした。以来、出歩く時は大抵子供を連れている。そうしたら、電車でバスで、駅の階段で、時には自宅マンションを出てすぐの路上で。溜め息を吐かれたり、睨まれたり、酷い時は顎でしっしっとされるようになった。子供が泣き喚いたり、暴れたりしているわけではなくてもされる。顎でしっしっは、保育園からの帰り道、子供と乗り込んだ電車で、空席に子供を座らせようとしただけで、隣席に座っていた人にされた。
もちろん真逆の、好意的で親切な言動を取ってくれる人も沢山いる。「いい子ねえ」と子供に話しかけてくれたり、子供だけでなく私にも席を譲ってくれたり。そういう時はとてつもなく嬉しくて、全力でお礼を言うが、残念ながら好意的な人もいるからといって、悪意のある言動を取られた時の傷が癒えるわけではない。存在しているだけで悪意をぶつけられるということは、子供と、子供を産んだ私が社会から拒絶されているということで、傷付かないわけがないし、傷付かないといけないとも思う。
七月に上梓した拙著、『見つけたいのは、光。』の主人公の亜希も、出産したことで社会から拒絶されているように感じている。妊娠を告げたら職場から雇い止めに遭い、産後に再就職を希望しているが、職が決まらないので保育園が決まらず、保育園が決まらないから、職が決まらない。
一方でもう一人の主人公の茗子は、出産をしなかったことで、社会から拒絶されているように感じている。妊娠経験はあるが流産して以来、夫との性交渉がなくなり、子供はもう諦めている。でも職場の同僚達は皆、妊娠中か育児中で、彼女たちの仕事のフォローで疲弊しながら、自分の将来を悲観している。
現在は分類すると亜希側の私だが、茗子側だったこともある。子供が欲しいと思ってから十年近く叶わず、その間、育児中の同世代の友人に囲まれて、疎外感なんて別に抱かなかったと言えば、絶対に嘘になってしまう。経験のなさから、育児中の人について配慮の足らない表現を、著書でしてしまったこともあると思う。
子供は常に社会に存在しているので、間接的なものも含めると、子供に一切関わらずに生きている人は皆無だ。だから私は、顎でしっしっとされた時も、一旦は相手を許そうとした。スーツを着た五十代ぐらいの男性だったが、この人もまた、子供にまつわる何らかの生きづらさがあるのだろうと考えたのだ。
しかし子供を抱いて席を移動し、「嫌なことされたけど、あなたは何も悪くないよ」と、子供に言い聞かせているうちに、一転、闘うことを決意した。目的の駅で降りる際に、子供を抱えて男性の前に行き、「あなたみたいな人がいると、子供を電車に乗せられなくなるので迷惑です」と言い放った。すぐに電車を降りたので、相手の反応はわからないままだが、闘ったことは後悔していない。
性別、年代、職業問わず、私たちは皆、子供を育てにくい現代社会の被害者だが、同時にその社会を作り上げた加害者でもある。するべきことは、それぞれの立ち位置から声を上げ、行動し、共により良い社会を作り直すことであり、異なる立場同士でいがみ合うことではない。そこを間違えている人がいたら、闘うことが望ましい。
亜希と茗子は、共に読んでいた育児ブログの作者に導かれるように、真逆と思える立場同士で、腹を割って対話する、という闘い方を選んだ。その結果がどうなったかは、ぜひ本書を読んで頂きたいが、こういった闘いは、いつでも誰でもできるわけではないことは、私もよく理解している。心身に危険が及ぶ場合もあるし、黙して流すことこそがスマートという風潮が未だ根強いので、多くの人は闘うことに慣れていない。そして残念だけれど、勇気を出して闘っても、目に見える形で良い成果が得られることは、きっと極めて稀だ。
それでも勇気と環境が兼ね揃う時があれば、闘って欲しい。そして闘っている人を、「余計なことをするな」「もっと辛い人もいるんだから、我慢しろ」などと諫めることは、どうか本当に、今すぐに止めて欲しい。
なぜなら、闘っても成果が得られることは稀だが、闘わずして得られることは絶対に「ない」からだ。「ない」より「稀」の方が、わずかであっても光は見える。いや、「光が見えるかもしれない」ぐらいかもしれない。
それでも私は、皆で光を見つけることを、諦めたくない。諦めたくないと思っているのが、私だけではないと信じている。『見つけたいのは、光。』が、諦めたくない誰かの、勇気を一押しする物語になることを、切に願う。
見つけたいのは、光。
小説幻冬(2022年8月号 ライター瀧井朝世)、本の雑誌(2022年8月号 文芸評論家 北上次郎)、日経新聞(2022年8月4日 文芸評論家 北上次郎)、週刊文春(2022年9月15日号 作家 小野美由紀)各誌紙で話題!飛鳥井千砂5年ぶり新刊小説のご紹介。
「亜希と茗子の唯一の共通点は育児ブログを覗くこと。一人は、親しみを持って。一人は、憎しみを抱えて。ある日、ブログ執筆者が失踪したことをきっかけに、二人の人生は交わり、思いがけない地平へと向かうーー」