元ネスレ日本代表をつとめ、現在はビジネスプロデューサー・マーケターとして多くの企業を成長に導いている高岡浩三さん。近著『イノベーション道場』は、「ネスカフェアンバサダー」「キットカット受験生応援キャンペーン」など、数々の革新的サービスを世に送り出してきた高岡さんの経験から練り上げられた、「イノベーションを生み出す手法」を惜しみなく公開しています。現状打破を考えるビジネスパーソンなら必読の本書より、内容を一部ご紹介します。
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私たちの生活を劇的に変えたイノベーション
公益社団法人発明協会のホームページには「戦後日本のイノベーション100選」と題するコーナーがあります。そのなかにある「イノベーション100選」の冒頭に「アンケート投票トップ10(年代順)」と書かれた一覧が表示されています。
- 「内視鏡」
- 「インスタントラーメン」
- 「マンガ・アニメ」
- 「新幹線」
- 「トヨタ生産方式」
- 「ウォークマン」
- 「ウォシュレット」
- 「家庭用ゲーム機・同ソフト」
- 「発光ダイオード」
- 「ハイブリッド車」
どれも現在の私たちの生活になじみのある、そして私たちの生活を劇的に変えたイノベーションです。このなかで、とくに日本企業のイノベーションを象徴するのは「ソニーのウォークマン」と「トヨタのカンバン方式」だと考えています。
なかでも、ソニーのウォークマンには、イノベーションの神髄が凝縮されていると見ています。その理由をご説明しましょう。
ソニーのウォークマンは、1979年に発売されました。
それ以前、音楽を聴くのは静かな部屋の中でしか考えられませんでした。基本的には自分の家に置かれたステレオで、レコードやカセットテープから流れる音楽を楽しんでいました。場合によっては、ジャズ喫茶のような音楽を流している喫茶店などに出向き、コーヒーなどを飲みながら聞き入る人もいました。
そのような現実のなか、ソニーの創業者のひとりである井深大さんは、同じソニーで伝説の技術者と呼ばれた大曽根幸三さんが所属する部署に、あるときふらりとやって来たといいます。
「何かおもしろいものはないか?」
井深さんは、海外出張に行くときの往復の旅客機のなかで、自由に音楽を聴く方法がないか考えていました。
1950年代にジェット旅客機が開発され、1960年代以降に安定性と経済性が向上していくなか、企業の海外出張などに旅客機が利用されるようになります。井深さんも、ソニーの創業者として頻繁にアメリカに出張していました。
ただ、当時の旅客機は実用性を高めることにコストがかかっていたため、現在のようにエンターテインメント機能は乏しいものでした。ニューヨークやロサンゼルスへの長いフライトの間、乗客は音楽を楽しむことができず、本や雑誌、新聞などを読んで過ごすしかなかったのです。
ただ、当時の人々はこの問題を諦めていました。
「旅客機に乗ったら退屈なのは当たり前。本や雑誌を読むか、寝るしかない」
ところが、井深さんはあまりに退屈な時間に辟易しながらも、何とかならないかとあれこれ考えを巡らせていたのでしょう。それが、大曽根さんに対して発した「何かおもしろいものはないか?」という言葉につながったはずです。
イノベーターとそうではない人の差とは?
一方、テープレコーダーを製作していた大曽根さんら技術者たちは、試作機にも至らない、アイデアを形にした程度のものを作って遊んでいたといいます。
「私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに載るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。
それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ」(日経ビジネス電子版 宗像誠之『オレの愛したソニー』2016年5月30日「管理屋の跋扈でソニーからヒットが消えた」より、大曽根さんのコメントを抜粋)
それを携えて、井深さんは海外出張に旅立ちます。帰ってくると、たいへん気に入った様子だったと大曽根さんは語っています。大曽根さんたちがさらに心強く思ったのが、もうひとりの創業者、盛田昭夫さんの全面的な応援です。
ところが、大曽根さんの直属の上司や、その後社長になる担当役員の大賀典雄さんは、その再生専用機というコンセプトに反対していました。
「録音機能のないものをつくっても売れない」
それが理由です。しかし、たまたま大賀さんが長期入院することになり、井深さんと盛田さんが研究の推進をバックアップしてくれたおかげで、ウォークマンというイノベーションは潰されることなく世に出ることができたのです。
「まだコンセプトやプロトタイプしかなかったのに、それについて聞いたり、見たりしただけで、その商品のすごさというか本質を見抜いたのが、井深さんと盛田さんの2人だった。そうやって、この世にウォークマンが生まれたんだよ」(同・大曽根さん)
さらに、大曽根さんはこうも語っています。
「昔のソニーは、市場調査なんてものをあまり重視しなかった。だからこそ斬新な製品を生み出せたんだよ。『まだ世の中にないものなんだから、消費者に聞いて調査をしても、欲しいものが出てくるわけがない』っていう考え方だった」(同・大曽根さん)
その環境があったからこそ、大曽根さんらソニーの技術者たちには、さまざまな試作機をつくって遊ぶ余裕と心意気がありました。
同時に、井深さんや盛田さんには、ほかの人であれば諦めてしまう問題を、諦めずに解決しようとする姿勢がありました。そのうえ、常識にとらわれず、技術者たちが遊びでつくったものを面白がる姿勢があったのです。
大曽根さんや井深さんや盛田さんの姿勢こそが、イノベーターとそうではない人の大きな差になっています。ウォークマンの開発秘話にイノベーションの神髄が詰まっていると言ったのは、そういう事情からなのです。
イノベーション道場
元ネスレ日本代表をつとめ、現在はビジネスプロデューサー・マーケターとして多くの企業を成長に導いている高岡浩三さん。近著『イノベーション道場』は、「ネスカフェアンバサダー」「キットカット受験生応援キャンペーン」など、数々の革新的サービスを世に送り出してきた高岡さんの経験から練り上げられた、「イノベーションを生み出す手法」を惜しみなく公開しています。現状打破を考えるビジネスパーソンなら必読の本書より、内容を一部ご紹介します。