2022年9月12日にお亡くなりになった劇作家、演出家、作家の宮沢章夫さん。小社からは『長くなるのでまたにする』『「資本論」も読む』の2冊を刊行させていただきました。宮沢さんは戯曲、小説、エッセイといろんな種類の文章を書かれてきましたが、とりわけ笑えるエッセイの虜になった方は多かったのではないでしょうか。もっと書いていただきたかったと残念な気持ちはぬぐえませんが、哀悼の意を表するとともに『長くなるのでまたにする』から傑作エッセイを抜粋してお届けします。
1 日本語講座 ─「とっさの一言」
なにかあったとき、気が動転し、うまく言葉が出てこないことはよくある。会うはずのない場所で知人に会ったらどうするか。会社をずる休みして東京ディズニーランドに家族と行き、そこで、取引先の会社の人に遭遇してしまう。相手はなにかの理由で平日が休みだとしたらどうだ。こちらはずる休みだ。気が動転する。とんでもないことを言い出しそうだ。しかし、人は落ち着いてことにあたろうと努力する。けれど間違える。なにを間違えるか。「テニヲハ」である。落ち着いているつもりだが、どこかが微妙におかしくなってしまうものなのだ。
「久しぶりに家族がディズニーランドも行きたいも言いましたも」
ぜんぜんだめだ。
むしろ、気が動転しているのが明白ではないか。だから「とっさの一言」とは「テニヲハ」のことになる。人は失敗する。別れぎわのさりげない一言もきっと奇妙な言葉になる。
「では」と言おうとして、「でも」といきなり失敗する。そして、「あしたの会社が」と、「が」を使ってしまったが、ここは「で」だったのではないか。そして、「お願いします」とまとめる。
「でも、あしたの会社が、お願いします」
なにをだ。
2 業界の内幕 ─「どこで書くのか」
劇作家はどこで書いているのだろう。
そこにも世代差はあり、ある時期から、PCのワープロソフトで書く者が圧倒的に多くなった。それ以来(調べたわけではないので正確ではないが)、かつてのように「喫茶店」で書く者も少なくなったと想像する。「喫茶店」という書き方もいまでは懐かしい響きになったとはいえ、「書く」のだったら、断固「喫茶店」だろう。「喫茶店」にちがいない。深夜のファミレスで書く者も多いが、私もそうだったように劇作家は「喫茶店」と決まっている。
新宿駅からほど近い喫茶店だった。
狭い入口からすぐ地下に通じる階段を降りる。すると、入口からは想像できないほど、店内は広い。天井も高い。テーブルも多く、さまざまな人に利用されているのがわかり、なんの仕事かわからない者らが、平日の昼間からコーヒーを飲んで会話し、あるいは商談をし、遠くからカップルの笑い声も聞こえた。
ある出版社が、劇作家、演出家にインタビューをして演劇の本を出すという企画があった。その後、本の企画は流れてしまったが、ともあれ私はインタビューを受けるためにその喫茶店に行った。どういう話の流れでそうなったかよく覚えていない。劇作家の別役実さんについて、その著書『ベケットと「いじめ」』がとても面白かったこと、その内容を語り、いかに別役さんの戯曲に関する分析がすごいかを、私は編集者とライターに向かって熱弁した。
「別役さんはすごいよ」
もちろん劇作家として、その戯曲の面白さも語ったが、さらにエッセイの話もし、それがいかにでたらめなことを書いているか、なに食わぬ顔をして、いかに別役さんが大おお噓うそを書いているかも語った。
「あんなでたらめな人はいないよ」
そう話したとき、少し離れた席で、一人の長身の男性が立ちあがった。背が高い。見覚えがある。そして長身の男性は私に向かって言ったのだった。
「よお」
別役さんだった。
「あ」と私は言った。
「久しぶり」と別役さんは言った。
そして別役さんはそのまま店を出て行った。
そうだ。別役さんは喫茶店で原稿を書く人だった。そのことをエッセイに書いてらしたことがある。しかし、そんな偶然が起こるとは思わないじゃないか。広い喫茶店だった。そんな近くに本人がいることをまったく想像していなかった。しかも至近距離だ。私が話す内容をすべて聞いていたのだろうな。「別役さんは別役さんは」と、うるさくてしょうがなかっただろうし、集中して原稿を書けなかっただろう。ほんとうに申し訳ないことをした。
ほかにも喫茶店で書くと知られている劇作家に、俳優としてドラマやCMにも出演する岩松了さんがいる。
ある喫茶店に毎日のように通っていた。長いときになると昼過ぎから夕方まで書き続けたことがあった。あるときだ。帰ろうとしてレジに行き伝票を出した。すると店主らしき男が岩松さんに言ったという。
「これっきりにしてくれる」
そりゃそうだろう。店主の気持ちもわからないではない。岩松さんに限らず、喫茶店を使って戯曲を書く劇作家は迷惑だ。コーヒー一杯で、何時間も粘り、ただただ、なにかを書いている。迷惑千万だ。それで岩松さんも、別役さんと同じように、さまざまな喫茶店を試し、落ち着いて執筆のできるお気に入りの店を都内にいくつか見つけた。
たとえばそれが、有名な渋谷の名曲喫茶だ。
古い建築は趣がある。名曲喫茶だけに、音楽は流れているが、周囲から話し声がほとんど聞こえない。集中して原稿が書ける。岩松さんは書いていた。無心に書いていた。音楽が流れる。筆が進む。そのとき、手に当たった消しゴムが、ことんと床に落ちてしまった。筆が止まる。消しゴムを探して、床に目をやると、親切な人がそれを拾ってくれる、その手が見えた。その人の手に消しゴムがある。顔を上げて、岩松さんは、その親切な人の顔を見た。
別役さんだった。
岩松さんは思わず、「あ」と声を上げた。
「よお」と別役さんは言った。
そして、別役さんは店を出て行ったという。茫然としている岩松さんの手には、いま別役さんが拾ってくれた消しゴムがあった。
つまりこういうことである。
「別役さんはどこにでもいる」
たいへんなことになっていたのだ。
ところで、最近、新宿から八王子方面に続く、甲州街道沿いのファミリーレストランがいくつか閉店し、跡地に回転寿司のチェーン店が次々と出来ている。かつてのファミリーレストランにはどこか夢があった。なにしろ「ファミリー」の「レストラン」だ。夢だ。夢のような世界だ。だが、不況は、そうした夢から人を目覚めさせる。そんなことをしている場合ではないとばかりに、「実利」が優先されるので、「夢」より「寿司」である。ネタが勝負だ。これからはファミリーレストランは次々と「回転寿司」になってゆくだろう。それを聞いた、やはり外に出て書くタイプのある大学教授が言った。
「回転寿司じゃ、論文が書けない」
大学教授だけに、論文である。劇作家は戯曲だし、小説家は当然、小説だが、執筆が仕事の人間は誰だって、回転寿司にはお手上げだ。なにしろ、回っているのだ。寿司が回っている。戯曲や論文なんか書いている場合じゃないだろう。
このところ私は自宅で原稿を書くので、ファミレスが回転寿司になってもべつに困らないが、かつて私が東横線沿線のある町に住んでいたころ、毎日のようにファミレスに行った。もちろん食事ではない。コーヒーを飲むためでもない。原稿だ。原稿の締め切りに追われて毎日のようにファミレスに行っていたのだ。すると、店員さんとも顔見知りになってしまうが、よくあるむかしの喫茶店とか、飲み屋とはちがい、店員さんと親しく言葉を交すことはファミレスにはない。けれど、深夜のファミレスでいつも会っている女性の店員さんと、まだ外が明るい午後、近くの商店街で、ばったり会ってしまったらどうしたらいいのか。なにか気まずい思いをする。見てはいけないものを見てしまったような気分だ。
「ファミレスの制服を着ていない店員さんの、昼の顔を見る」
そこにミステリアスな空気が漂う。真っ昼間の商店街が、その瞬間、べつの空間に変容する。そして私は店員さんを見て声を出すだろう。
「あ」
「ああ」と店員さんはものうげに答える。
そして、逃げるように去ってゆく。私は見た。見てはいけないものを見てしまった。ファミレスの店員の、昼の顔である。
3 都市伝説 ─「ツケのきくファミレス」
もう十数年前のある日の出来事だ。
そのころ私は、ファミリーレストランでよく仕事をしていた。いつものように原稿を書こうとその店に行った。すると、店長らしき男がやってきた。伝票を手にしている。それをテーブルに置いて穏やかな声で男は言った。
「これ、きのうの伝票です」
そのときになって初めて私は気がついた。その前日もその店に来ていたが、考えごとをしているうちに、支払いを忘れて帰ってしまった。だが、店長は信じていた。
「あの人は、きっとあしたも来る」
たしかに、店長の思った通りだ。「あの人」は来たのだ。なにくわぬ顔でやってきた。いつものように窓際の席に腰を下ろした。荷物が多い。本を手にしている。そしてなにか書き物をする。昼間、来るときもあれば、深夜のときもある。毎日だ。来ない日もあるが、数日経てば、また来る。きっと来る。たとえ支払いをしなくても、今度来たとき払ってもらえばいい。
やがて、その人はたしかにやってきた。
それが私である。
まんまと来たのである。伝票を渡すとその人は、びっくりしたように声を上げた。
「あ」
「お願いします」と店長は言った。
「きのうが考えごともしては、ついが、帰ってを、ちゃったんです」
そして私は、テニヲハを間違える。
長くなるのでまたにする
2022年9月12日にお亡くなりになった宮沢章夫さんへの哀悼の気持ちとともに、傑作エッセイを『長くなるのでまたにする』抜粋してお届けします。