iPadが来てから、読書できるようになり、いろいろ本を読んでいたが、なんとなく山田風太郎の「人間臨終図巻」を開いた。
血圧計ったりだの検診だので、ベッドのあるスペースにも、わりと人が出たり入ったりするのだが、電子書籍は中身がわからなくて幸いだ。
入院中の患者が、「人間臨終図巻」というタイトルの本を読んでいたら、看護師さんに心配されるかも……なんてのは、気にし過ぎだろうか。
十代で亡くなった人
山田風太郎は、同じ故郷で、高校も一緒で、強く影響を受けた作家だ。
「人間臨終図巻」は、古今東西の名のある人たちの「死に方」を、年代別に山田風太郎の視点で書いたもので、紙の本も持って何度か繰り返し読んでいたけれど、資料的な使い方をするために電子書籍で購入もしていた。
「十代で亡くなった人」の項目から、読み始めた。
四十代、五十代となると、他人事ではなくなる。
今までと読み方が違うのは、病名だ。
山田風太郎は、親も叔父も医者で、本人も東京医科大学を卒業している。医者になるはずだったが、在学中に懸賞小説に応募してデビューした。
理系が全くダメな私には具体的なことはわからないが、「人間臨終図巻」にも、その医学の知識はきっと反映されていて、だからこそ説得力があるように思う。
若くで亡くなった人の中には、自死や事故もいるけれど、病死だって少なくない。自分と同じ「心不全」をはじめとした、心臓をやられて亡くなった人の項目を重点的に見てしまう。
そしてやっぱり病死の人たちは、亡くなる前に、何らかの兆候がある。
たぶん、若いから、まさか自分が突然死するとも思っていなかって放置していたのかもしれない。
全く他人事ではない。
あの人も、この人も、私と近い年齢で、突然死しているのか……と、兆候と死に方に重点的な視点をおいて読んだ
逆にいうと、事前に兆候があるなら、突然死を防ぎようもあるということだ。
私は兆候を見逃しはしたけれど、突然死する前に、繁華街で倒れてこうして生きのびられた。
防げる死はある。
そのためには他人事だと思わないことだ。
「人間臨終図巻」を、自分に置き換えながら読むのは、初めてだった。
ただ、「人間臨終図巻」を読んでいて、「死」というものに対して、少しは冷静になれたとは感じた。
人は必ず死ぬ。
誰にでも公平に訪れる。
英雄だとて、庶民だとて、死からは逃れられない。
よく歴史の本を読むと、「辞世の句」というのが出てくるが、みんな死の際に、あんなに冷静に歌なんて詠めるものなのかは、すごく疑問だが、今より簡単に人が死んだ昔は、「死」に対する感覚も違うのかもしれない。
浄土の地にて
倒れて入院する前の日、私は和歌山の那智山にいた。
数年前に、熊野本宮大社、熊野速玉大社に参拝する機会があり、熊野三山の残る一社である那智大社をお参りした。
その際に、補陀落寺にも行った。
補陀落渡海に興味があったのだ。
補陀落渡海とは、中世に行われた捨て身の行だ。行者が船に乗り、浄土を目指す。江戸時代には亡くなった行者の遺体を流すという形になったという。
補陀落渡海に使われた船が展示してある、補陀落寺にも行った。
そもそも、熊野という土地は、浄土の地とみなされ、「死」にゆかりの深い場所で、かつては貴族や天皇たちもたびたび訪れている。
私が熊野三山すべてにお参りして、補陀落渡海の地に行きたいと思ったのは、「死」に興味があるからだ。
ずっと「死」を描いてきた。
若い頃に、死にたいと強く願った時期が長くなって、でも自死することはできず、生き残った。
生き残ったというよりは、死に損ねたという感覚がある。
けれど、熊野の地を訪れた翌日に、心臓の一部が動かなくなり救急車で運ばれ、「死」を実感して、まったくもって他人事だったのだと、初めてわかった。
こんなことを書きながらも、結局私は死なずに済んだので、今だって、実はわかったつもりでいるだけの遠い出来事のような気もする。
死のフィルターを通して生きる
本当に「死」とはこういうものかとわかるのは、実際に死ぬときだろう。
山田風太郎の「人間臨終図巻」を読みながら、どう死ぬべきかとも考えていた。
時間が有限であることは、間違いない。
あとは、死ぬ準備だ。
どう死ぬかと考えることは、残りの人生、どう生きるかということだ。
それは入院中から、今まで、ずっと考えている。
見える世界は、確かに変わってしまった。
退院してから、私はずっと「死」のフィルターを通してしか世の中を見られなくなった。
それは、たぶん、悪いことではないとは思っている。
51歳緊急入院の乱
更年期真っ只中。体調不良も更年期のせいだと思っていたら……まさかの緊急入院。「まだ死ねない」と確信した入院日記。
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