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昆虫学者、奇跡の図鑑を作る

2022.10.13 公開 ポスト

虫好きの執念あふれる隠語「セルフィー」って何のこと?丸山宗利(九州大学総合研究博物館 准教授)

昆虫図鑑制作の苦しくも楽しい舞台裏をつづった、丸山宗利氏の『カラー版 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』(幻冬舎新書)が発売即重版となり大きな話題を呼んでいる。

今回は本書の一部を紹介。虫好き業界の隠語「セルフィー」「お弁当」には驚きの意味が込められていた。

*   *   *

「セルフィー」はふつう、自撮りを指すが……!?(写真:iStock.com/Stefano_Carnevali)

撮影は苦行、虫探しは快楽

私たち撮影隊の仕事は「撮影すること」だけではない。あくまで基本は、「虫を探して撮影すること」である。その日に死んでしまうような昆虫ではとくに、双方の仕事を兼ねることが重要となる。

実は、多くの撮影隊員にとって、撮影が苦行である一方、虫探しは楽しいことばかりであり、各人が持つ才能をもっとも発揮できる機会でもある。

これから、虫探しの様子を中心に、撮影にまつわる物語を紹介したい。

秒速のハエを生きたまま撮る

ハエというのは実に多様な昆虫で、多くの人が気づいていないだけで、身近な場所にもたくさんの種がいる。

ハエの担当を真っ先にお願いしようと思った人がいた。久力悠加(くりきはるか)さんという、害虫駆除会社で働く方である。

彼女はハエの写真を撮ってはツイッターで嬉々としてその美しさを伝えており、ハエの伝道師のような存在となっている。何度も会ったことがあり、お互いに気心が知れているのも大事な点だった。

なぜならば、「ハエを撮影してください」というのは、非常に重いお願いだったからである。

 

ハエといえば、ハエ叩きで叩こうと思っても、一瞬で消えてしまうという印象を持つ人が多いと思うが、その印象はまったく正しい。

ほとんどのハエはそのように、瞬間移動のようなすばやい動きをして、私たちの前から消え去ってしまう。

果たして、そんな虫を白バックで撮影できるのだろうか。はっきり言って、お願いした私にもわからないことだった。

幸い、久力さんはしっかりしたカメラセットを持っていて、撮影しようと思えばできる道具だった。今回作る『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』の副監修で、白バック撮影指導担当でもある長島聖大さんとともにLINEを通じて相談会を開き、時にウェブ会議で撮影法を考えていった。

 

瞬間移動をする生き物を撮影する。久力さんの苦労は計り知れないが、だんだんとコツをつかんだ久力さんは、たくさんのハエを撮影し、私たちに見せてくれるようになった。

今回の企画では、学研にウェブ上のストレージを準備していただき、撮影した写真はそこにどんどんとアップロードし、撮影隊の誰もが閲覧できるようにした。久力さんの撮影した写真を見るのは私たち監修陣の楽しみの一つだった。

ハエの場合、同定の難しさが問題で、写真だけでは種名を調べるのが困難なことが多い。撮影後に標本にして残し、あとで専門家に見てもらうために保存する必要がある

よって、撮影したからといって、そのあとに逃げられたら、写真自体に意味がなくなってしまう。時に撮影後に逃げられ、悔しい思いをしたとも聞いた。

(写真:久力悠加)

また驚いたことに、久力さんはほかの昆虫を撮影する腕もどんどんとあげていった。

今回は、撮影隊員のそれぞれにだいたいの専門分野がありつつも、基本的に何でも撮影するということになっていた。とくに久力さんが撮影した甲虫は、甲虫担当の撮影隊の人たちが撮るものよりも、見事なものが多いのである。

面白いことに、ハエというもっとも難しい被写体が撮れるようになると、ほかの昆虫の多くは、さほど難しくない撮影対象になってしまうようだ。

 

ちなみに、皆さんもご存じのように、ハエのなかには人糞などの汚物に集まるものもかなりいる。久力さんはそのようなハエを採集するため、蚊に刺されながら、野外で用を足したことも少なくなかったそうだ。

さらに、久力さんはそんなふうに自分を刺した蚊まで撮影している。この話だけでも、久力さんの執念が十分に伝わるのではないかと思う。

虫好きの使う隠語「セルフィー」

外で用を足すといえば、動物の糞に集まるコガネムシ、いわゆる糞虫(ふんちゅう)の採集の定番とも言える方法である。

糞虫の撮影に関しては、「うみねこ博物堂」という博物雑貨店の店主をしている小野広樹さんにお願いした。

小野さんとは長い付き合いで、彼が発見したハネカクシ科甲虫の新種に私が彼の名前を付けて発表したり、さらに彼と共同で論文を書いたりもしている。いろいろな昆虫に詳しいが、もともとは糞虫好きである。

ここからは、食事中の人は読むのを中断したほうがいいだろう。

 

野糞をして、それを糞虫の採集に利用するというのは、糞虫好きにはありふれた日常である。

これにはさまざまな方法があり、誰も来ない場所で野糞して、そこで待つのが基本なのだが、場合によっては、風通しがよく、においが分散する場所に置いたり、ひらけた場所に置いたりすることもある。

糞虫によって、森林を好むもの、草原を好むもの、その中間の環境を好むものなどがいて、生息する場所が微妙に異なるからである。

さらにすごい人は、自宅で準備したものをタッパーに入れたり、冷凍庫で保存したりして、好きな時に好きな量の人糞を糞虫集めに使う。

 

2021年の夏ごろ、私の教え子である柿添翔太郎君も撮影隊に誘った。彼には普段から論文を書け書けと繰り返し言っていて、それなのにその時間を奪ってしまうことになるので、誘うかどうか実はかなり悩んだ。

しかし、彼の専門は糞虫で、しかもマグソコガネ亜科という採集の難しい種や小さな種の多いなかまで、糞虫のこととなると彼の助けは欠かせない。小野さんと分担して採集と撮影をしてもらうことになった。

また、同じ大学にいたことで、私の撮影がどうしてもできない時に代わってもらうなど、彼にはその後何度も助けられた。

その彼が糞虫採集の達人で、自宅の冷凍庫に(食料などと一緒に)自分のものだけでなく、大型犬を飼っている人からもらった犬糞も大量に保管していて、全国各地でそれらを用いて、珍しい糞虫を集めている。

 

ちなみに、さすがに人前で堂々と発言することではないので、この業界の人たちは半分冗談で、自前の糞を使うことを「セルフィー」と言ったり、それを遠くの採集地に持ち込むことを「お弁当」と言ったりする。

糞虫によって、シカやウシなどの草食性動物の糞をとくに好むものや、ヒトやイヌのような雑食性あるいは肉食性動物の糞を好むものがいて、なかなか奥深い世界なのであるが、彼はそういうことも試行錯誤して採集を極めている。

私を含めて、セルフィーで虫を採集する人が揃って言うのは、そうやって採れた糞虫に一層の愛着を感じるということである。

森のなかでの孤独な採集で、決してそうではないとわかっていても、自分自身に寄ってきてくれたと心の奥底で錯覚してしまうのかもしれない。

また、採集のマナーとして、セルフィーやお弁当を仕掛ける場所の選定や、その後始末に細心の注意を払っている点も申し添えておきたい。

 

糞虫といえば少し面白い出来事があった。今回の撮影隊に『テントウムシハンドブック』(文一総合出版)の著者として知られる阪本優介さんにも加わっていただいたのであるが、彼が沖縄の与那国島に蛾の撮影に行った時、私や柿添君から追加のお願いをした。

それは、日本では与那国島にしかいないトビイロエンマコガネという、美しいエンマコガネ属の糞虫を採集してほしいということである。与那国島は遠く、なかなか行けるものではない。図鑑にトビイロエンマコガネを掲載するには大切な機会だった。

セルフィーはいくら虫が好きな人でも全員がやることではないし、虫好きでも糞虫の採集自体が苦手な人もたくさんいる。そして阪本さんの専門は蛾とテントウムシであり、どちらかと言えば後者だった。

しかし、トビイロエンマコガネは人糞にいちばんよく集まり、考えようによっては手軽に採集できる。ここでお願いしない手はなかった。

LINEで「甲虫ちーむ」というグループを作って、詳しい生息地も採集方法もよく知っている柿添君から情報を伝えたが、経験がなく、少しためらっている様子だった。

「阪本君、お願い、セルフィーして」

「わ、わかりました……」

私からこうお願いしたところ、不承不承……ということもなく、阪本さんもトビイロエンマコガネの魅力には抗えなかったようで、最終的には応じてくれた。

こう書くと、何やら嫌がらせをしているように思えるかもしれないが、こちらも必死である。虫好きでない人にこんなことをお願いしたら大変なことだが、阪本さんも「この常識」はよく承知していた。

幸い、阪本さんのセルフィーにより、撮影に最適な美しい個体を採集でき、小野さんに手渡されたその個体によって、いみじくも鮮明な写真を撮影することができた。

阪本さんも「ブリブリしたかいがありました……」などと楽しそうに報告し、新しい世界に目覚めたようだった(汚い話はここで終わる)。

*   *   *

虫好きたちの情熱が胸に迫る図鑑制作記『カラー版 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』(丸山宗利氏著、幻冬舎新書)好評発売中!

関連書籍

丸山宗利『[カラー版] 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』

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昆虫学者、奇跡の図鑑を作る

2022年9月28日発売の丸山宗利氏著『カラー版 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』の最新情報をお知らせします。

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丸山宗利 九州大学総合研究博物館 准教授

1974年生まれ、東京都出身。北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。国立科学博物館、フィールド自然史博物館(シカゴ)研究員を経て2008年より九州大学総合研究博物館助教、17年より准教授。アリやシロアリと共生する昆虫を専門とし、アジアにおけるその第一人者。昆虫の面白さや美しさを多くの人に伝えようと、メディアやSNSで情報発信している。最新刊『アリの巣をめぐる冒険』のほか『昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』『とんでもない甲虫』『ツノゼミ ありえない虫』『きらめく甲虫』『カラー版 昆虫こわい』『昆虫はすごい』など著書多数。『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』『角川の集める図鑑 GET! 昆虫』など多くの図鑑の監修を務める。

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