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折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

2022.10.17 公開 ポスト

折口信夫を理解するには、異郷から「まれびと」がやって来るという前提がなければならない上野誠

NHK Eテレ「100分de名著」で話題となった、“折口信夫”のすべてがわかる一冊。
上野誠『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』より一部特別公開いたします。

*   *   *

|033| お客さんが文化をつくる

お客さんが来る。さぁ、大変です。

お茶の用意をしなければならないし、お菓子やくだものはどうしましょうか。そうそう、お掃除だってしなくてはなりません。古典には、前に述べたように「まれびと」という言葉があります。読んで字のごとく、稀に来る人のことです。「まれびと」が変化したかたちが、「まろうど」です。外から自分の生活している空間に人がやって来るから、私たちは緊張もするし、おもてなしもすることになります。

ちょっと考えてみてください。おいしいお茶を出すために茶道はあるのですが、おいしいお茶とは何か。お茶の味がよければよいのか。お菓子の味がよければよいのか。いや、お茶を飲んでもらう空間の設えが大切なのか。設えというならば、お花はどう生けよう、どういう絵を飾ろう、ということになります。最も大切なことは、お客さんのことを考えることです。相手のことを思って、全てを考えなくてはなりません。

折口信夫は、時を定めてやって来る神、さらには神に扮する人をもてなすところから、日本の芸道は生まれたと考えましたし、日本の文学も、そこから発生したと考えました。学術的にいうと、日本文学の発生ということになります。

(全集1─三頁)

(写真:iStock.com/Masaru123)

|034|「いはふ」

折口信夫が注目した言葉の一つに、「いはふ」という言葉がありました。現在でも、入学できたのだから「お祝い」をしようというような使い方をする「祝う」です。しかし、もともと、この「いはふ」という言葉は、魂を鎮めるために精進潔斎をすることを表す言葉でした。

ですから、「いはふ」という言葉は、お客さんを迎えるために掃除をして、身を清め、そして心を研ぎ澄ませるというようなこともいう言葉でした。また、主人が旅をしている間、精進潔斎をして主人が無事に帰ってくるように祈ることも、「いはふ」という言葉で表しました。

次々にやって来るお客さんを迎えることも、無事に主人が帰ってくるのを迎えることも、「いはふ」ことなのです。ということは、招き寄せることになります。そのために、「いはふ」という言葉は、幸せな状況をみんなで喜び合う意味になったのだと、折口信夫は考えていました。昭和十八年(一九四三)に発表された「日本の年中行事─その入り立ち─」という文章には、

此いはふといふ語は、色々な語に使はれてゐるが、此ほどなつかしい語も少い。祝福するなどいふ近來の語は、此語の古い意義に、其があることを忘れたのです。近代の「いはふ」は、幸福なる光輝ある現狀を讚美すると共に、將來もかくあれといふ内容を持つてゐるのでした。此意味の「いはふ」は、言語が土臺になつてゐるのだから、をりめ正しく口狀を述べてゐる樣子が目に浮ぶではありませんか。おせちをいはふなど言ふのも、やはり默々としかつめらしい顏ばかりしてゐるのでなく、幸福な表情と語氣でもつて、あらたまつた食事をすることの前置きが感じられるではありませんか。

(全集16─三九四頁)

とあります。お正月のおせち料理を食べる。これを「おせちを祝う」という。おせちの「せち」というのは「せつ」、生活の節目のことを表します。一年で一番大きな生活の節目は越年です。その年を越したあとに食べるのが、おせち料理です。その「おせちを祝う」ということは、今年も皆さんとおせち料理が食べられる幸せを皆で共有することになるのです。そして、そこには、来年もまた皆さんと一緒におせちの料理を食べられるように、一年間無事に過ごしましょう、という心意が込められることになります。

このように折口信夫は「いはふ」という言葉を通じて、日本人の生活のダイナミックスを捉えようとしていました。

|035| まれびと

精進潔斎をしてお客さんを待つ。お客さんが喜ぶように花を生け、お茶をたて、料理を出す。客を迎えることが日本文化や日本の文学を考える上で、きわめて重要だと折口信夫は考えていました。その「まれびと」について、「国文学の発生(第三稿)」の冒頭には、次の一節があります。

客をまれびとと訓ずることは、我が國に文獻の始まつた最初からの事である。從來の語原説では「稀に來る人」の意義から、珍客の意を含んで、まれびとと言うたものとし、其音韻變化が、まらひと・まらうどとなつたものと考へて來てゐる。形成の上から言へば、確かに正しい。けれども、内容──古代人の持つてゐた用語例──は、此語原の含蓄を擴げて見なくては、釋かれないものがある。

(全集1─三頁)

単に、珍しい客というのではないぞ。まれびとといっているもののなかには、神のような存在の人物もいたのだぞ。しかも、それはきわめて大切にされる存在だったのだぞ、といいたいのでしょう。客が来ることによって、日常の生活に大きな変化が起きる。つまり、お客さんが来る日は、「晴れの日」になるのです。

では、その「まれびと」は、どこからやって来るかというと、異郷からやって来る。異郷は憧れの対象であると同時に、恐れの対象でもありました。異郷から「まれびと」がやって来るという前提がなければ、折口信夫の学問はわかるものではありません。

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上野誠

 1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。国際日本文化研究センター研究部客員教授。万葉文化論を専攻。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団文学賞受賞。『万葉びとの宴』(講談社)、『日本人にとって聖なるものとは何か』(中央公論新社)など、著書多数。近年執筆したオペラや小説も好評を博している。

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