NHK Eテレ「100分de名著」で話題となった、“折口信夫”のすべてがわかる一冊。
上野誠『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』より一部特別公開いたします。
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|044| もの
「もの」といえば、心に対する物質である、と現在では理解されます。が、しかし。日本の古代の言葉で「もの」といった場合には、もののけの「もの」の例からわかるように、「もの」にも魂があると考えられていました。いや、「もの」そのものが魂なのです。人間、動物、植物、さらには石にも魂がある。この根底には、どんなものにも魂があるという自然崇拝、すなわちアニミズムの考え方があります。
「もの」というものは物体であると同時に、一つの霊魂を持った存在であったのです。この事実を起点として、日本文化のさまざまなありようを考えようとしたのが、折口信夫でした。昭和八年(一九三三)に発表された「上代貴族生活の展開─万葉びとの生活─」という文章には、次の一節があります。
ものは、普通、土地に住つてゐる精靈で表され、敵意あるもの、神聖な爲事を邪魔するもの、といふ樣に考へられて來た。此が、平安朝になつて、怨靈と解される樣になつた──怨靈の憑いた病氣をものゝけと言うた──が、本來の考へ方ではない。此ものの性質を知つてゐる者を物識と言ひ、物識人は、精靈の意志を判斷し、此敵意あるものを使役して、役に立たせるまじなひを行うた。物部は、後に、意味が變化して、大切な魂を扱ふ職人になつたが、元來は、此精靈を扱ふ部曲であつた。
(全集9─四九頁)
「もの」の代表というものは、土地の精霊、地霊である。しかし、その地霊は、何かをしようとすると邪魔になる存在でもあった。時には、恨みを持つと怨霊となって、人を病気にしたり、人を死に追いやったりもする。ところが、「ものしり」という人がいて、その「ものしり」は精霊たちのことをよく知っているから、彼らを逆に役に立つものに変えるまじないを知っていた。「物部」というのは本来はそういう仕事をしていたのではないか、と折口は考えていました。
しかし、現在の文献歴史学では、そういう事実を検証することはできません。けれども、「物部」という氏の名前があって、その物部氏が武器を管理していたことを考え合わせると、折口信夫の考え方は、一面真理を突いているようなところがあるとも思われます。なぜならば、古代の戦いは、武器に宿る精霊の戦いでもあったからです。
|045|「もののけ」とは何か
『もののけ姫』という映画が大ヒットして、それからというもの、「もののけ」という言葉が、多くの日本人に知られるようになりました。「もののけ」という言葉は、『源氏物語』を研究している人にとっては重要なキーワードだったのですが、一般的には、よく知られていませんでした。折口信夫は「もののけ」について、次のように考えていました(「ものゝけ其他」、草稿。一部、昭和二十六年〔一九五一〕)。
元々「ものゝけ」と言ふ語は、靈の疾の意味であつた。ものは靈であり、神に似て階級低い、庶物の精靈を指した語である。さうした低級な精靈が、人の身に這入つた爲におこるわづらひが、靈之疾である。後には靈疾の元をなす靈魂其物を、ぢかにものゝけとばかり言ふ樣になり、それを人間の靈と考へたのである。
(全集8─三一九頁)
有名なのは、六条御息所の「もののけ」です。「け」は、事物の働きを指す言葉です。ものの働き、精霊の働きということです。その精霊は、時として人を病気にさせることもあったのです。以上が、折口信夫の「もののけ」に対する考え方です。
|046| 祀られぬ魂も大切である
「もののけ」を鎮めるためには、その「もののけ」の心を知って、その心を慰めてやる必要があります。折口信夫は、祀られない魂というものを、日本人がどのように祀ってきたのかということを、常に考えていました。祀り手がなくなった精霊が悪さをする。それを防ぐためには、祀られざる精霊たちを供養してやるということが大切なのです。
私の祖母は、家の仏壇からお茶をひくと、それを庭先に勢いよく、まいていました。なぜそういうことをするかというと、祀られざる精霊たちにお茶のおすそ分けをしてあげるのだと言っていました。だから多くの精霊たちに、このお茶を飲ませてあげるために、勢いよく広くまくんだと言っていました。
祖母は、この供養で祀られざる精霊たちとコミュニケーションを取っていたのかもしれませんね。そのように、祀られぬ魂の祭祀というものも、折口信夫は常に考えていました。
(全集16─三一五頁)
|047| 旅中の死者の幽霊
祀り手のない魂が悪いことをする。それを鎮める役割が、宗教者には求められていたというのが、折口信夫の考えです。
折口信夫は、沖縄などを歩いたときのことを書き記した「沖縄採訪手帖」というものを残しています。大正十年(一九二一)七月、八月の「沖縄採訪手帖」の中に「旅死の幽霊」という項目があります。旅中の死者は祀り手がいません。そうすると、人に「たたる」から恐れられると書いてあります。
『万葉集』では「行路死人歌」と呼ばれている一群の挽歌があります。「行路死人歌」というのは旅先で倒れて死んでしまった人を歌う歌のことです。多くの場合、歌い手は、死んだ人に対して家と名前を聞きます。そうして、その死者を悼みます。かわいそうだね。どこからやって来たんだい、というふうに聞き、名前を聞かせてくれと問いかけます。そういう歌の形式があります。
旅先で死んだ人をどのように祀るのか。これも日本文化を考える上で、非常に重要なポイントであると、折口信夫は考えていました。
(全集16─一七一頁)
|048|「たたり」は神さまのデモ
災害や病気の理由を神様の「たたり」である、と説明することがあります。この「たたり」ということについても、折口信夫は強い関心を持っていました。
折口は、「たつ(立)」という言葉から派生した言葉であると考えていました。その「たつ」という言葉には、神意が現れるという意味も含まれるのだと考えていました。神意が現れるということは、そこに神の力が出現したことを意味します。
とすると、神が「たたる」ということは、その「たたった」神さまが何らかの不満を持っているということを表明したことになります。多くの場合には、本来祀られるべきなのに、祀られていない。捧げものが少ない、さらには、捧げものが自分の指定していたものと違う、というようなことでしょう。そのようなことが「たたる」原因なので、「たたり」は、ちゃんとお祀りをせよということを伝えるための神さまのデモなのです。
『日本書紀』の崇神天皇紀の中の、疫病の話もそうです。神が神の子孫にお祀りを要求し、子孫を使って丁重にお祀りをしたところ、疫病が終息したという話になっています。つまり、「たたり」ということは神意の現れであって、神がお祀りを求めていることだ、と折口信夫は考えていました。
(全集16─三七二頁)
折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?
温故知新、それは歴史を知ること
まれびと、姿の見えない神さま、ご先祖さまを知ることが、自らの足元を見つめることになる
折口信夫没後70年――今読みたい教養の書
古典学者、民俗学者、歌人として全国を旅し、
日本人の魂のありようを見つめ直した知の巨人