人気雑誌『STORY』、『Marisol』などでカバーや巻頭特集を飾ってきたモデルの亜希さんがによる「人生相談」。女として母として、モデルとして人生の荒波を豪快に乗りこなす亜希さんの言葉をお楽しみください。
◆vodkaさん 52歳 女性 看護師
はじめまして、こんにちは。
バツイチ、再婚済み(笑)、子どもナシのアラフィフ女です。
亜希さん大好き、亜希さんの元・旦那様も大好き世代です。
亜希さんの自伝も拝読させていただきました。……60歳でお亡くなりになった亜希さんのお母様への想いなどを読み、当時の私は「あー私だったら立ち直れないかも」「誰よりたいせつな存在である母との別れなんて……」等まだ他人事と考えていました。月日は流れ、私は更年期真っ只中、第二の思春期を迎え、私の母も80代に……。
最近は同じ女性として、幸せだったのかな? と考えたりします。私もやんちゃして迷惑かけたりしました……お蔭様でまだ元気に暮らしておりますが、最近は少し鬱々したり……。
当たり前に出来なくなることも増えて……なんか悲しくなったり。そんな私も鬱々……負のループです。
なんとか負けるものかと、鳴門海峡をバタフライの気持ちでいますが……。長くなりましたが、
大好きな母へ私が今なにが出来るのか!?
心配ばかりして口うるさい私でいいのか?
亜希さんがお母様との別れをどう受け止めどう糧にされたのか今の亜希さんのお母様への想いをお聞かせ頂けたら嬉しいです
(回答)一人で抱え込まず、まずは自分の人生を生きること
アラフィフ世代になってくると、親たちの健康関連の悩みって本当に深刻ですよね。80歳前後にもなればピンピン元気な人ってなかなかいないでしょうし、とくに介護問題については不安も大きい。一緒に過ごせる時間も限られてきて、「何ができるんだろう。やれることを悔いのないようにやってあげたい」と同世代の友人たちもみんな悩んでいます。
私の母は60歳で亡くなりました。本格的に老いる前に逝ってしまったから実感としてわからない部分はあるのですが、元気だったお母さんが年を追うごとに弱くなって老いていく姿を見るのは相当辛いことでしょう。老いて小さくなっていく親のことを、愛おしく思えているうちはまだいい、と友人たちは言います。身の回りのことができなくなったり、家族に対して攻撃的になったり、いろんなことが起きてくると、その補助やケアでアップアップになってしまう、と。
最初は、親に優しくしたいという思いがあったのに、自分の肩にのしかかる介護の負担が重くなりすぎると悪口しか出てこないって嘆く友人もいる。「お母さんのことがどんどん嫌いになってしまう。そしてそれが本当に辛い」、と。親の介護を自分だけで背負って、愛情と責任感で押し潰されているのです。
vodkaさんのお母様はまだまだ元気でいらっしゃるから、今すぐの問題ではないかもしれません。でも、vodkaさんのお手紙はお母様への愛情があふれていらっしゃる。そんなお手紙を見て、お母様を幸せにすることを、どうぞひとりで抱え込まないでほしい、と思ってしまいます。
私は、vodkaさんはきっと自然体でいいんじゃないかと思うんです。「してあげよう、してあげよう」と思うほどに、親も娘もどちらもしんどくなりそうな気がします。
親というものは、子供がそこにいるだけで幸せだったりするんです。ただ存在して元気でいてくれれば、それで親孝行なのかもしれません。
vodkaさん自身が自分の生活に前向きでいたり、楽しく元気に過ごすことが、お母様にとっての幸せなんじゃないでしょうか。子供がイキイキしていると親もなんだか明るい気持ちになりますし、逆に、子供の不安や鬱々した気持ちって絶対親に伝わってシンクロしていきます。それは、若い親も、老いた親も変わらないものだと思います。まずはvodkaさんが自分の生活を楽しむこと、それがお母様の安心にきっとつながりますよ。
時には第三者の存在が家族の潤滑油になる
そして、もし今後、お母様がいろいろな介護を必要とする状況になったときは、決してひとりで抱え込まないでほしいなと思います。親子だけ、家族だけの介護は、愛情が深いほどヘビーなものになってしまいがちです。全部自分たちでやろうとすると、どうしても感情的になってしまったり、客観的な判断ができなくて、結局パンクしてしまうことも多い。そこは躊躇せずに第三者のサポートに頼ることを検討してほしいのです。人任せにするのは冷たい気がする、とか、世間体が気になるというかたもいます。でも、第三者の手を入れることで、もっともっと親に優しく接することができるかもしれないと思うんです。
たとえば、親と二人きり、面と向かって、手を握って見つめ合うって、なんとなく照れ臭いですよね。でも、自分と親の間にサポートしてくれる人がいれば、自然に手も握れそうだし、愛情表現もスムーズにできそうな気がしませんか? 家族だけでの夕飯は日常すぎてなかなか話が盛り上がらないけど、誰かお客さんが加わることで話題も増えてその場が盛り上がってくるみたいな、ね。お客さんが来るときは、気も張って、おかずも一品増えたりして(笑)。 そんな感じで、第三者の存在って家族にとって潤滑油になる可能性があると思うんです。自分を犠牲にしてまで頑張りすぎても、誰も幸せにはなれない。おそらくお母様の一番の希望はvodkaさんが幸せでいることですよ。
母の死と長男の誕生
私が母を亡くしたのは33歳のとき、ちょうど長男を妊娠中でした。60歳という若さで亡くなってしまったという悔しさや無念さもあって、私は悲しみのどん底に落ちました。一生笑えないんじゃないかと真剣に思ったほどです。すれ違う人が笑顔でいることすら腹立たしかった。幸せそうな人を見るとムカついて、そしてさらに悲しくなって。
立ち直れないくらいに落ち込んでいた私を救ってくれたのは、母が死んで2ヶ月後に産まれた私の長男でした。
赤ちゃんが産まれて、育児がスタートして、笑わないわけにいかないじゃないですか。もう自然に笑顔になれたし、子供を育てることに没頭していったんです。母の死を悲しんでそこに立ち止まってしまった自分から、明日へ向かって歩いていくモードにシフトできた。あのとき、長男の誕生がなかったらどうなっていたんだろう。人生って本当に不思議な縁でつながっていきます。
今、私は自分の中にいる母を都合よく利用しながら(笑)、いろんな言葉をもらい続けています。
何か迷ったとき、『母ならどう言うかな』って想像します。そして、心に浮かんだ母の言葉を自分へのアドバイスとして受け取ります。母の姿形はもちろんないけれど、母の言葉やアドバイスは私の想像のもとに生まれ続けていて、それで私は強くなれたし、成長できたと思います。母の死から20年経ちますが、今も母は私の中で素晴らしい形で生き続けてくれている。私が都合よく勝手に使っているだけ、とも言えますが(笑)。
20年前はまだ若かった母の死に対するとてつもない寂しさや悔しさがあったけれど、それは少しずつ「ありがとう」という思いに変わってきました。早く逝ってしまったけれど、そのぶん、私の中で貴重な言葉を送り続けてくれている。母親って、生きていればもちろんたくさんの力をくれる存在だし、亡くなって思い出になったとしても、その存在を自分の中に生かし続けることはできるし、前へ進む力をもらうことだってできるんですよね。
もしも、vodkaさんに悲しいお別れの日が来たとして、その悲しみから顔を上げるきっかけになる出来事や出会いが必ずあります。そしてたいせつな人を自分の中で生かし続ける方法も見つけていけます。そのことを信じて、いろんなきっかけを見逃さずにいてほしいです。
お手紙から愛情とユーモアとポジティブな気持ちが伝わってくるvodkaさん、どうぞ更年期の負のループに負けず、心の健康第一でいてくださいね!
(構成・文 片山裕美)
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人生袋とじ ~亜希のお悩み相談
綺麗な生き方より、少し焦げた人生の方が愛らしい。焦げ目がついたくらいからが人生の本番! ではないか。「人生、焦げついてなんぼ!」と明るく笑う亜希さんによる、人生相談。
幾多の経験を重ねた亜希さんが生み出したのは、へこたれず、笑いに変えていく力。一人では難しくっても、人に話すことでもしかしたら少しだけ前を向けるかもしれません。
皆さんからの相談をお待ちしています。