モノを創作する全ての人、必読!! 講談社内の“伝説の私家版”『漫画編集者のための教科書』をアップデートした完全版――『「少年マガジン」編集部で伝説の マンガ最強の教科書 感情を揺さぶる表現は、こう描け!』(石井徹著、幻冬舎刊)。秘伝満載の本書から、一部を抜粋してご紹介します。(毎週火曜更新/全5回)
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広い意味での感動作品が成功作
(1)成功かどうかはアンケートの人気投票が尺度
映画なら観客動員数、テレビなら視聴率がすぐに明らかになります。一般の人は、それをあまり気にしないが、その作品の関係者は一喜一憂し、その数字で、作品がウケたか、ウケなかったのか知ります。漫画の場合はたいがい、毎回行われる読者アンケートが最も重要な物差しです。漫画誌には、毎号、読者プレゼントのコーナーがあり、少年誌なら少年たちが懸賞商品の中から自分の欲しい物を選んで応募する。そこに必ずアンケートが付いている。アンケートにはいろいろな質問が並ぶが、必ず「本号で面白かった漫画を選んでください」という項目がある。このようなアンケートは、なにも漫画雑誌だけではない。ほとんどの雑誌にあるはずです。特に漫画誌では伝統的に、創刊号から欠かさずある。
週刊誌でも月刊誌でもだいたい20本ほど漫画が載っています。アンケートで上位の人気を獲るかどうかで、その漫画の運命が決まる。1位だったら、当然、2次商品である単行本(コミックス)も売れる。ビリだったら連載をあと何回かしたところで終了を宣告されます。
アンケートはかなり精確で、100万部の雑誌でも10万部の雑誌でも、1位の作品はほとんどにおいて単行本が売れます。
現在は雑誌が売れない時代です。売れていた時代、「新連載でアンケート1位」には2つの意味がありました。1つは、単行本が売れそうな作品の出現です。もう1つは雑誌自体の部数を伸ばす可能性が出てきたことです。
後者が大事なのはすぐおわかりでしょう。雑誌の部数を伸ばすのに貢献する作品の誕生は、その雑誌に載っている、他の漫画を含めた単行本全体の部数を伸ばすことになるからです。例えば、アンケートでの人気5位の漫画も、100万部雑誌に掲載されている場合と、300万部雑誌の場合とでは、単行本の売り上げにかなり差が出る。もちろん同時に実験はできない。しかし常識的な感覚でわかるでしょう。100万人の眼に触れる場合と300万人のそれとでは読んでくれている人数の分母が大きく異なる。作品を知る人の数が違ってくるのです。よって単行本を買ってくれる読者の数も違います。単純にいえば100万部雑誌に載っている時は単行本が10万部なら、300万部雑誌では30万部以上は売れてもおかしくはない。雑誌自体の部数が伸びれば掲載されている漫画全体の単行本部数の売り上げを相乗的に伸ばすことになる。
だから2000年ぐらいまでは雑誌の部数をひじょうに気にしていた。するとアンケート重視にならざるを得ない。アンケートハガキの戻り率は、講談社は記録を残さないので正確なことはわかりません。経験上、100万部だったらだいたい1万通、300万部ぐらいになると4万、5万通届いたと思います。それらを厳正にシャッフルして1000通を選び、漫画のタイトルごとに並べ集計して人気の順位を明らかにします。サンプル数1000では少ないと思うかもしれないが、テレビの視聴率だって、たった1万700世帯の調査でしかない。1%=100万人と見積もっても、この世帯数でも十分だと数学者が数式で説明したテレビ番組を観たことがある。よって、まず間違いはないでしょう。統計や統計学の見地からいっても、そんなものだと思う。
現在もアンケートは続いています。「週刊少年マガジン」の発行部数50万部に対して約3000人の投票(?)がある。ただ現在は雑誌の応募用紙の二次元コードを読み取ってスマホでも投票できる。もちろんハガキでも可能です。アンケートは雑誌を買った人主体になっている。現在では届いたアンケートはすべて集計しています。
アンケート結果はハガキだろうがスマホだろうが発売日の翌日から入ってくる。少しずつ集計される結果を見ながら漫画づくりに反映させていきます。ダントツの1位なら今の方針でいいし、思ったほど人気が上がらなければ方針を転換をせざるを得ない。熱心な編集者は、時々刻々アップデートされる結果を、日に何度も覗のぞきます。
このように、ほぼ発表と同時に、「モノ」の市場動向がわかる点では、漫画は他の商品より素早い修正ができます。何カ月か経って初めて売れ行きがわかるのが普通の商品だからです。
(2)アンケートで1位を取る方法、人気が出る方法とは?
アンケート1位を取る方法。おおよそ人間の営為によって生まれる社会現象である「ヒット」に公式なんてあるでしょうか。あるはずがない。「○○成功の公式」というタイトルの書籍が巷に溢れていますが、その通りにやって、うまくいったことが果たしてあるでしょうか。数学の問題ではないのです。
ただ「こういう傾向はあるよね」ぐらいは言えるかもしれない。アンケートで人気上位にあるのは、「広い意味で人々が感動」したということで、実際アンケートには感想を書く欄があります。ただ懸賞に当選したいだけなら、別に、こんなものを書く必要はない。しかし、人はけっこう感想を書いてくれるものです。そこには「読んで気分が晴れ晴れとした」「涙が止まらなかった」という高い評価もあれば、「つまんない。こんな漫画やめちまえ」までさまざま。
この「広い意味での感動」という付加価値があって、漫画は初めて商品として一人前になります。感動が、漫画をレジまで持っていかせ、お金を払って買わせるのです。
「感動」がない漫画とは、エンジンのない車みたいなもの。見た目は車、でも動かない。よって誰も買わない。感動の有無や大小。でも、これが厄介なのだ。これに作者や編集者は頭を痛め、胃腸も痛める。
よく考えてみてほしい。すでに述べたが、漫画なんてちょっと前ならペンと紙、今ではパソコン1台あれば誰でも描ける。よって、よほど面白くなければ売れない。読者が買うわけがない。
では「広い意味での感動」とは一体、何か。
創作の初期段階では、しばしば「モチーフ」という言葉が使われる。辞書『大辞泉』での語義は「文学・美術などで、創作の動機となった主要な思想や題材」となる。
抽象画で有名な画家・平井一男氏が大昔、私にこんなことを言いました。
「モチーフとは英語ではmotiveであり、対象物のことを指してはいない。みんな対象物のことを指していると誤解している。モチーフとは対象物から得る自分(作者)の感動なんだ」
なるほど我々は、対象物と、それから受ける感動をごちゃ混ぜにしているのかもしれない。
ある時、その平井さんの画塾を見学した。アトリエに入ると、真ん中に灯油の一斗缶が置いてある。普通の四角柱の銀色の缶だった。
生徒たちがその周りを取り囲んで絵を描いている。ここまではよくある光景だが、みんなの絵を見て驚いた。ある人は三角錐っぽく描いている。またある人は妙な形に、しかも全部黒に塗りつぶして描いている。銀色ではない。
灯油の缶を見て、それぞれが何かを感じ、一心不乱にそのイメージを絵にしているらしい。その時、抽象画は理解不能、私は絵描きにはなれないと悟った。
繰り返しますが、モチーフとは素材・題材ではなく、それから受ける作者の感動・情動のことなのです。
しかしそうなると、感動とは怒りや悦楽なども含むことになる。一般的に“感動”というと、涙が出るような喜びや悲しみを感じた時に使うようですが、もともとはもっと広い感情の概念で、いわゆる「喜怒哀楽」を中心とした一般的な感情の動き全般でしょう。喜怒哀楽とはよくいったもので、人間の感情は、だいたいこの4パターンだ。もちろん4パターンが微妙に入り混じることもある。しかし、これ以外に何らかの複雑な感情が湧きあがってくることはあまりない(もしあるとすればちょっとアブノーマルなのかもしれない)。
ところで、映画にしても舞台劇にしても、作者が何を言いたいのか、視聴者にどんな感情を抱かせたいのか、わからない作品がままある。そういうものは、じつは作者自身もよくわかっていないと思われる。
有名劇作家兼演出家のある芝居を観た時、難解すぎたせいか、私にはまったく理解できなかった。そこで、たまたま接点のあった、その芝居の主演俳優に訊いた。こちらも有名な方です。
「頭が悪いせいか、私にはまったくわかりませんでした。出演者はわかって演じているのですか?」
「いいえ。でも大丈夫、演出家もわかっていませんから」彼は言いました。
芸術を気取った作品は、得てしてこういうものなのかもしれません。
ともかく大雑把にいって、「喜怒哀楽」の4パターンをきちんと描けたらドラマとしては合格点でしょう。
例えば、読者を怒らせるのは相当難しい。とにかくイヤな奴を登場させなければならない。人は、通りいっぺんの悪役では怒らない。時代劇では、登場した瞬間この人が悪役ですよ、とわかる役がある。越後屋とか悪代官みたいな役です。いくら顔の恐い俳優を配しても、「極悪」感は出ていない。ああいう類型化した悪い人間は、単なる斬られ役。そんなわかりやすい悪役は、ドラマの中での存在感が軽い。重要な役ではない。基本、誰でもいい。
本当に読者が憎いと感じる悪、リアルな悪はそれとは別物です。これを描くのは難しいが、描けたら、この「悪」と主人公はどうなるのだろう、と次の展開が気が気でなくなる。どうか、こいつをやっつけてくれと願う。要は『水戸黄門』に出てくる「悪役」では力不足なのだ。
黒澤明監督の映画『天国と地獄』(1963年公開)をご存じでしょうか。オーソドックスな名作。山崎努演ずるインターン(研修医)が悪役だが、屈折した人格がリアルで、強烈な印象を残す。現代漫画でも人間の「悪」を、あれくらい煮詰めて人物造形しないとダメです。そこまでの質が求められる。藤子・F・不二雄『ドラえもん』(小学館の学習雑誌ほかで1970~1996年連載)のジャイアンみたいなキャラクターは、子供(小学生)にしか通用しない。
では、リアルな生々しい「悪」は、どんな顔にすればいいのか。これは案外、普通人の顔をしているかもしれない。むしろ温厚そうな善人面をして、平気で人を裏切るほうが恐い。読者は、学校や会社、近隣との実生活で、この手のリアルな「悪」を知っている。読者が「ああ、こういう奴、いるよ! いる」と心の中で叫ぶような人物を描けばいい。すでに皮膚感覚で経験済みの「悪」を呼び起こす。リアルな「悪」で読者を怒らせることに成功したなら、後の展開はどうにでもなる。
たいてい読者は主人公になりきっています。主人公がそいつをやっつければスカッとするし、やられれば悲しくなる。主人公は多少、大根役者でもドラマは成立する。「喜楽」に動いても「怒哀」に動いてもドラマは成立する。結局、「怒」を描くのが肝心です。
それを考えると、漫才師などのお笑い芸人は天才です。なにしろ「喜」および「楽」しか表現してはいけない。求められるのは笑わせることオンリー。落語などでは哀感や涙を誘う人情話もあるが、漫才で涙を流すのは笑いすぎた時だけです。漫才は、よく考えてみると二人芝居。ギャグだけでなく、シノプシス(話の流れ)や「間」も考慮している。漫画家よりずっと狭い領域でドラマを成立させるのだから、表現の強者です。
このように、広い意味での感動を描いて成功した作品は、人気作品になってアンケートの上位に来る。この事実に尽きる。人気作品は、読者の喜怒哀楽を揺り動かす作品と言っても過言ではないでしょう。
「少年マガジン」編集部で伝説の マンガ最強の教科書
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