恋愛小説の名手・加藤千恵さんが贈る短期連載。第三回はSNSで出会った二人が初めて会うお話。食ショートストーリーと短歌と共にお楽しみください。
数時間静寂を保っていたスマートフォンが、夕方になってようやく鳴る。
通知はろくに見なかった。誰からか、わかっていたから。
予想通り、おみーからのLINEだった。そう長くない文面を二回読み返してから、続けられた「わかる」のスタンプに笑った。カエルがダンベルを持ってトレーニングしているイラスト。そのシュールさがおもしろかった。おみーはスタンプをやたらと持っている。見たことないものばかり。
【スタンプおもしろすぎ 話が入ってこない】
そう送ると、またすぐさま返事が来た。いくつもたてつづけに。どれもスタンプだ。
「このままじゃ滅亡」踊っている三匹の猫のイラスト。
「二年ぶりだな」戦隊もののヒーローのようなイラスト。
「戸締り確認よし!」指をさしている女の子のイラスト。
いずれも異なるタッチで、内容に一貫性がない。さらにメッセージが届いた。
【どれも使い道がなくて、封印してたスタンプ 今使えて嬉しい これで成仏できる】
なんだそれ、と思い、声を出して笑った。わたしが高速で送るメッセージに、また高速で返信が来るはずだ。
おみーとはTwitterで知り合った。ハマっている深夜アニメの感想についてサーチしていたときに、おみーのつぶやきをたまたま見つけた。何気ないものだったけど、わたしの漠然とした感想を、上手に言語化してくれていたので、他のツイートも見てみると、ことごとく共感できるものばかりだった。あるいは、新鮮な視点に驚かされるもの。
しかも、同じ十六歳の高一女子だということがわかって、これはもう運命なんじゃないか、と思った。すぐさまフォローして、かなり熱い長文のDMを送った。勢いで送ってから、いや、これは引かれる可能性もあるかも、と思ったが、すぐに返事が来て、何回かやりとりするうちに、LINEを交換した。LINEでのやりとりは、TwitterのDM以上に盛り上がった。
おみーの下の名前が実桜であることとか(ひっくり返して、おみ、さらに響きを良くするために伸ばし棒をつけたのだという)、前クールで好きだったアニメも同じであることとか、何か一つ新たな情報がわかるたびに、テンションが上がった。いくらでも話したかったし、いくらでも聞きたかった。
毎日信じられない数のやりとりをしているわたしたちだけど、平日の朝から夕方まではそれができない。
おみーの通う高校は、授業中はもちろん、休み時間もスマートフォンの使用は原則禁止、らしい。非常時ならばその限りではない、とのことなのだが、非常時かどうかなんて判別できるわけないじゃん、それって学校が決めることじゃないでしょ、わたしにしてみればあらゆるものが非常なのに、と前にLINEで憤っている様子を目にした。
もっともだと思うが、一方で、そんなふうに言いつつも、使用せずにいるおみーの真面目さにも驚かされる。確認したわけじゃないけど、平然と使用している子はたくさんいるだろうし。
ともかく、おみーが学校を出てからの夕方から眠るまでの数時間と、起床時から登校までの一時間ほど(おみーは朝が弱いので、やりとりができない日というのもある)が、この数ヶ月のわたしの活力となっているのは間違いない。
三日後の土曜日、わたしたちは初めて、直接会うことになっている。好きなアニメのグッズショップが、期間限定でオープンするので、勇気を出して誘ってみたのだ。うちからはまあまあ近いけど(とはいえ三十分はかかる)、おみーの最寄り駅からだと一時間以上かかるから、断られるだろうな、と思っての誘いだった。
そもそもTwitterで知り合った人とはリアルには会いたくないかもしれないし、などと考えると、誘うこと自体、ものすごく悩んだ。それでも、実際に会って話したい気持ちのほうが上回っていた。だから、すぐさま【行く!!!】と返ってきたときは、涙ぐむほど安堵した。
ものすごく楽しみなのと、ものすごく緊張しているのが同居していて、うっかり熱でも出てしまわないかが心配だ。おみーに伝えたときは「完全一致!」というスタンプで返してくれたけど(女の子が旗を持っているイラストだった)、楽しみさも緊張も、わたしのほうがずっと上回っているような気がしている。
気づいたらこの数日は、何を着ていこうか、と考えている時間が長くて、デートみたいだな、と思う。実際にデートをしたことはないけど(もしかしたら今後もないかもしれない)、きっとこんな感じなんじゃないだろうか。
早く会いたい、という気持ち、会ってガッカリされたらどうしよう、という気持ち、うまく話せるだろうか、という気持ち。いろんな感情が渦巻いて、このところのわたしの思いは、とうてい言語化できないものになっている。でもひょっとすると、おみーなら、的確にまとめてくれるのかもしれない。わたしがまるで言い表せていなかった、わたしの気持ちについて。
・・・
お互いの服装を伝えていたから、すぐに近づいていくことができたけど、服なんて聞いていなくたって、おみーだとわかった気がする。わたしがそんなふうに言うと、おみーも、完全一致、と言った。スタンプじゃなくて肉声で。思ったよりも低い声で。
おみーが実在していることが嬉しくて、やけににやついて不審者めいてしまわないか不安で、クールな表情を作ろうと心がける。話し方も同様だ。
「ごはん、何食べよっか」
わたしが言うと、おみーが、あのさー、変なお願いなんだけど、と前置きをした。
変なお願い、という言葉に、少し身構えてしまう。まさか、いきなりお金を貸してとか言われてしまうのだろうか。手持ちはそんなにない。というか、あっても貸したくない。でも理由を聞いてみなきゃ。いや、でも。
「一緒にマック行かない?」
頭の中でいろんなシミュレーションが駆け巡っていたので、提案をすぐにのみこめなかった。一瞬遅れてのみこんだ。反射のように訊ねる。
「マックって、マクドナルド?」
「そう」
「なんでそれがお願い?」
変なお願いといった理由がまったくわからない。浮かんだ疑問をそのまま口にすると、おみーは、どこか恥ずかしそうに言った。
「わたし、ハンバーガー、食べたことないんだ」
「えっ、まじで?」
自分でも意外なほど大きな声が出た。クールさなんてちっともない。
「やっぱり驚くよね。あ、もちろん存在は知ってるよ。漫画でもアニメでも見たことあるし、あとテレビとか」
「なんで食べたことないの? 好き嫌い?」
「ううん、そんなことない。でも、食べるタイミングがなかったの。あれってみんな、いつ食べてるの?」
「え、いつって。いつだろう。たとえば、休日のお昼とか? あと、友だちと集まったときとか?」
「うち、家があんまり外食しないし、友だちと遊ぶときもなぜか全然行かなかったんだよね。だからずっと、食べてみたいな、と思ってたんだけど」
「おみーって、めちゃくちゃブルジョア?」
「全然そんなことない。絵に描いたような中流家庭。狭いマンション暮らしだし。でもそうだよね、やっぱり、そういうふうに思うよね。みんな食べてるもんね」
「いや、ごめんごめん、びっくりしちゃって」
ハンバーガーを食べたことがない人がいる、なんて考えてもいなかった。
「ごめんね、変なこと言って」
「ううん、いいよ。え、でもさ、マックでいいの? 初めてなら、もっと高級なハンバーガーのほうがよくない? あと、特別な日のほうがいいんじゃない?」
「マックが食べてみたいと思ってたの。それに、特別な日じゃん。今日、初めて会えたし」
おみーにさらりと言われたことが、泣きそうになるほど嬉しくて、胸に刺さった。だけどちっとも気にしてないふうに言った。
「じゃあ行こうよ、マック」
人生で初めてのハンバーガーは、どんな味に感じるんだろう。わたしは人生で初めてハンバーガーを食べた瞬間をおぼえていない。だけど、だからこそ、おみーの初めての瞬間は、しっかり見届けよう、と心に決める。
ハンバーガーを食べ終えたら、あのことを話そう、とも思う。今日は話すつもりじゃなかったけど。
わたしは数ヶ月、高校に通えていない。特に何かがあったというわけじゃないけど、気づいたら行けなくなっていた。そんな中で、おみーとTwitterで知り合えて、やりとりできて、本当に助かっていたっていう話。
何バーガーにしようかな、と思いながら、おみーと並んで歩き出す。一緒にハンバーガーが食べられることが、猛烈に嬉しい。
≪話したい聞きたい話したい聞きたい 時間足りないって笑いたい≫
あなたと食べたもの
恋愛小説の名手が贈る、人生に寄り添う食ショートストーリー。