車への偏愛がにじみ出るふたりの著書(横山剣『僕の好きな車』/五木寛之『雨の日には車をみがいて』)がきっかけで、まさかの初対談が「小説幻冬」で実現した前回(5月号)。今度は、ど真ん中の音楽とコトバの自由な世界へ—。22枚目の新譜『樹影』で、その万華鏡的世界観をさらに広げるクレイジーケンバンドの横山剣と、"歌と時代"を語り続けてきた五木寛之の異色対談、第二弾!!
――「小説幻冬」vol.75より転載(Writing/タカザワケンジ Photo/望月浩彦、帆刈一哉)
「樹影」で曲をつくっていた頃
五木 新しく出たアルバムは『樹影』というタイトルですね。見てすぐ、堀辰雄の世界というか文学的なタイトルだなと思ったんだけど、お店の名前という。それを聞いてイメージがガラッと変わりました。
横山 喫茶店の名前なんです。十代の頃、(横浜の)本牧のガソリンスタンドで働いていて、休憩時間によく行っていたお店です。オーナーの方が隣で書店を経営していたので、もしかしたらそんな影響もあるかもしれないです。
五木 なるほど。僕も喫茶店というのは切っても切れないくらいの縁で、横浜ならジャズの店の「ちぐさ」とか、若い時から入り浸っていたんだけれども、そういう店の常連さんで変わった人なんていませんでした?
横山 いましたね。当時は七〇年代でしたけど、その頃はまだチャブ屋を改造したアパートとか五〇~六〇年代の本牧の名残が何となくあって、得体の知れない女性とか、訳ありな感じのお客さんが多かったんです。それに国際色豊かというか、いろんな国籍の方がいらっしゃいました。
僕はもともと作曲家になりたかったんですが、誰も曲を使ってくれないから自作自演しようかなと思ったのが、ちょうど「樹影」に通っていた頃でした。仕事の休憩時間にそのお店で作詞したりメロディーを考えたり、将来の計画を練ったり、売り込むためのプロフィールを書いたりしていました。
五木 思い入れがあるお店なんですね。こんどの『樹影』にはこれまでにない新しい試みがいくつかあって、横山剣の世界から一歩踏み出そうという野心みたいなものを感じたんですが、その辺どうですか。
横山 おっしゃる通りです。このアルバムが二十二枚目なんですけど、コロナでちょっと煮詰まっていた時期を経まして、ネクストレベルのファーストアルバムっていう気分です。中三が高校一年生になったっていう感じの。そういう気分なら伸びしろがあるじゃないかと、自分に言い聞かせてる部分もありますけど(笑)。
五木 『樹影』でも思ったんだけど、横山さんのアルバムって、ある意味で闇鍋みたいなんだ。闇鍋ってわかります?
横山 わかります。ああ、まさにそうです。
五木 真っ暗の部屋でね、中に何が入っているかわからない鍋をつつく。いったいこれは何だろう? 食べられるんだろうか? っていうドキドキ感ね(笑)。あの感じですよ。いやあ、なかなか刺激的なアルバムだと思いました。
横山 ありがとうございます。おっしゃっていただいた「闇鍋」っていうのは、ファーストアルバムからずっと目指してるところでもあるので嬉しいです。
CKBを遡ると蓮如に続く
五木 僕は若い頃、PR誌の編集とかルポライターとか、また横浜の野毛山にあった開局当時のラジオ関東などで放送作家をしたりしていたんだけど、CMソングや童謡を作詞したり、レコード会社の専属作詞家としてふつうの曲の歌詞を書いていた時期もあるんですよ。
横山 松坂慶子さんが歌った「愛の水中花」とか、いろいろおありですよね。
五木 当時は安田章子さんの歌など書いていました。今の由紀さおりさんです。ただ、そういう雑多なマスコミの仕事に疲れて、ある時、金沢に引っ込んで、そこで書いた小説がもとで小説家に転業したのです。でも、二十代に音楽で食っていたっていう記憶がどうしても抜けないんだな。雀百までみたいな感じで、今でも野次馬として音楽に関わっているんです。クレイジーケンバンドには以前からすごく関心があったんですが、実は横山さんとはどこかに共通点があるな、と思っていた。僕もずいぶん闇鍋的な生き方をしてきた人間で(笑)。お付き合いしてきた作曲家の方たちも米山正夫さんや菊池俊輔さんから、武満徹さんとか三善晃さんみたいな現代音楽の人までゴッタ煮で、実に節操がない(笑)。
横山 わかります。音楽ってジャンルじゃなく、響くか響かないか、グッとくるかこないかなんですよね。
五木 横山さんが子供の頃に最初に出会った音楽って、どんなものだったんですか。
横山 最初は古賀メロディー*ですね。「青い背広で」とか「目ン無い千鳥」「人生劇場」。あとは赤坂系のラテンや広沢虎造の浪曲がよく家でかかっていました。自宅で父親の聴いてるものが自然と耳に入ってきていたんです。あとはジャズとかボサノバ。セルジオ・メンデス&ブラジルʼ66とかですね。それにダイアナ・ロスとか、ソウルも聴いていました。
五木 とんでもなく幅広いね(笑)。でもルーツはゴスペルソングかもしれない。
横山 そうですね。言霊とか音霊。なんとなく霊(ダマ)が感じられるんですよね。
五木 そう。声自体がスピリチュアル。ゴスペルとか讃美歌とか、日本の御詠歌*とか。横山さんの音楽もそれに連なる音楽のような気がする。
仏教の話になるんだけど、「口称念仏」といって、念仏を声高く唱えることを人に勧めたのは法然で、思想的に追求したのは親鸞。その念仏を日本中に広めたのは蓮如という人です。それまでお説教といえば、かしこまって聞くものだったんですが、蓮如は歌い手さんとかいろんな芸能人たちを連れて行った。集まった人たちが退屈したなと思うとそこで一節歌ってもらい、気分を取り直してお説教をする。そこから横山さんの音楽までずっと一直線に繋がってきているように思います。聴いていて気持ちが高揚するんだよね。このかすれた、摩擦の多い、ダミ声に快感を覚えるというか、声明が比叡山から民衆芸能に流れていく、そういう発声のように思うことがありますね。
横山 僕は子どものとき、香具師の口上とか、浪曲歌謡のダミ声にしびれていたんですけど、お経に勝手にメロディーをつけて歌っていたこともあるんです(笑)。クレイジーケンバンドにも「まっぴらロック」って曲があるんですが、サビが「なんまいだあ なんまいだあ」(笑)。五木さんのお話をうかがって「あ、大丈夫だったんだ」と。点と線が繋がった感じで、ほんと勇気をもらいますね。
五木 念仏歌謡というものの全盛期は、専門の説教師がお説教で泣かせ、芝居がかったセリフで口上を述べるかと思うと、歌をひと節歌って……というように盛り上った時代があったんですよね。クライマックスにさしかかると、聴衆の村人たちから一斉に「なんまいだ なんまいだ」と声が湧き上がる。これを受け念仏というんです。念仏というと抹香くさい感じがするけど、エンターテイメントだったときもあるわけ。
横山 いまだったらフェスですね、現象的には。観客を奮い立たせるというところは同じです。
*古賀政男……昭和期を代表する国民的作曲家。数多くの流行歌をヒットさせた。
*御詠歌……仏の徳などを旋律(節)に乗せて唱えるもの。
アジアとつながる多国籍サウンド
五木 そういう日本の歌謡文化の流れがずっとあって、その最先端にあなたがいると思います。さらにその背景に横山さんが生まれ育った国際都市横浜がある。敗戦と同時にアメリカの文化が流れ込んできた港町で、さらにそれが加速した。
横山 そうですね。進駐軍が残したアメリカ文化の残り香があって、中華街の中には外人バーがあって船員の客がたくさんいました。それもギリシア系とかスカンジナビア系とか幅広かったですね。大人になってからですけど、横浜で貨物の検査をする仕事を八年ほどやっていたことがあるんです。当時、僕が担当した業者の多くがパキスタン人で、音楽とか食とかイスラム教の慣習を間近で感じることができました。そういうふれあいも港町ならではでしたね。そういえば、いまクレイジーケンバンドにコーラスとボーカルで参加してくれている Ayeshaは、日本とパキスタンのハーフなんですよ。
五木 まさにYOKOHAMAって感じですね。そう考えると、横山さんの音楽は日本の中世からの繋がりもあるけれど、アジアとの繋がりも深い。『樹影』に「ドバイ」って曲もあるし。ドバイというタイトルで曲をつくるってのも大胆だなあ。
横山 そうですよねえ(笑)。実際にドバイに行ったことはないんですけど、妄想を歌にしたんです。コロナ禍でもありますから、ご自宅にいながらにして海外旅行をしていただこうと。
五木 なるほど。中東の音楽は面白いですよね。江利チエミに「ウスクダラ」って曲があるでしょう。もともとはトルコの若い男女の出稼ぎの暮らしを歌った歌だったんだけど、アーサー・キット*が目をつけてアメリカに持ち帰り、エキゾチックなポピュラーソングに仕立てて世界的にヒットした。日本では江利チエミが歌ったんだけど、最初の方はトルコ語で、呪文のような歌詞から始まるんだ。歌はもともと非常に変換的な世界だけど、ぐるっと世界を一周したんだね。
横山 歌が旅したんですね。『樹影』に入っている曲は、自分が十代だった頃のことや、これまで聴いてきたいろんな国の音楽の影響から押し出されたものが多いので、それも少し旅っぽいかもしれないです。
五木 「樹影」っていう喫茶店そのものがそういう場所でもあったんでしょう。横山さんは国際的っていうよりは多国籍的なんだよね。同時にいろんなものが入ってる。それを僕は「闇鍋」って言ったんだけど、『樹影』を聴いているとそれをあらためて実感できました。
*アーサー・キット……甘い個性的な歌声で世界を魅了した歌姫。「Santa Baby」「C'est Si Bon」などが有名。
雑多なものが合流する場のエネルギー
五木 結局いま、我々が気がついていないところでも、ぼくらはいろいろな文化の影響を受けているんですよね。横山さんが拠点にしている横浜は、そういう意味でも異文化の接点、混沌とした場の一つだと思う。
横山 混沌、まさにカオスですね。
五木 ミックスされて混血して、そこから新しいジャンルの音楽が生まれてくるんです。
横山 世代の接点でいうと、いまは若い人たちが昭和歌謡に向いている感じはしますね。うちの娘も19歳と23歳ですけど、昭和歌謡や七〇年代のシティポップが好きで聴いてますし、アジアでも注目されているんです。面白い現象ですよね。
五木 それもノスタルジーとかいうだけでないところが面白い。
横山 もう新しい音楽として聴いてますね。それがいいなあと思います。彼ら彼女らにとって初めて触れるものですから、ノスタルジーしようがないというか。
五木 そういう意味でも、時代の中で歌を歌い続けていくというのはじつに刺激的ですね。そしてまた時代を歌が記憶させるという……。横山さんの曲も、昭和歌謡と同じように、三代、四代経ってもおそらくずっと生き続けると思います。
横山 そうあってほしいですねえ。
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