メタバースの仮想空間が実現し、世界が「自ら創るもの」へと変わるとき、今の現実とあなたはどう変わるのか――。壮大なパラダイムシフトの具体例と、その思想と哲学が詰まった『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』(佐藤航陽著)。話題の本書から、変容しつつある世界の入口をご紹介します。
* * *
人間は辺境に進み続ける
現実世界の資本主義社会は、すでに限られたパイを奪い合うゼロサムゲームの競争に疲れ始めています。
誰かが勝者になれば、誰かが負ける。プラスとマイナスを差し引きすれば、合計(sum)は常にゼロに落ち着く。人類社会はこういう虚しい争いを繰り返してきました。先進国が右肩上がりの成長を永遠に信じ、労働者が馬車馬のように必死で働き続けることは、もはや難しい時代です。
2021年春から、中国ではネット上で「躺平族」という言葉がはやっています。「寝そべり族」という意味です。がっついて仕事をやり、高級マンションやフェラーリを買おうという欲望が全くない。結婚や出産にも関心がなく、そこそこのレベルの生活水準さえ維持できていれば満足だ──こういう脱力した若者が、経済発展著しい中国で増えているのです。
人間はもともと、1カ所に腰を落ち着けて働く農耕民族ではありませんでした。狩猟民族だった時代の人間は、常に新しい未開のフロンティアを追い求め、食糧を探してきたわけです。リスクを取りながらフロンティアに飛びこんでいくとき、人は賢く頭脳を働かせて最も高い能力を発揮できます。生命の本質は流動であり、止まることは衰退といえるかもしれません。
日本では「ニート」や「パラサイト・シングル」「草食系」と呼ばれる若者がさらに厭世的になり、2021年には「親ガチャ」という嫌な言葉が流行語になりました。
自分がどういう家庭に生まれてくるのか。親が高収入・高学歴であるかどうかは、神の采配に任せられている。子どもの人生の運・不運をほとんど決定づけてしまう親のステイタスは、まるでガチャポンのようだ──こういうとても嫌な意味の新語です。
たとえ親が低収入・低学歴だったり、シングルマザーのもとで育てられたりしようとも、子どもが社会的に成功できないわけではありません。しかし実際は「もう競争には疲れた。自分の人生はこんなものだ」と見切りをつけてしまう人が増えています。
「地上の現実世界に、開拓可能なフロンティアなんてもう残されていない」
「これ以上の経済発展と成長を続けていこうと志向したら、取り返しがつかないほど地球環境が破壊されて温暖化がますます進み、人類は滅びてしまう」
こうした危機感から、SDGsやESG(Environment, Social, Governance=環境・社会・ガバナンス)という指標が世界中で受け入れられるようになりました。
しかしながら現代を覆う脱成長の流れがこのままずっと続くことはないでしょう。産業革命などの例を出すまでもなく、人間は常に技術発展によって進化し、フロンティアを開拓してきました。これは本能といえます。
そして今の人間に残されたフロンティアとは、宇宙空間と仮想空間です。新しいことが好きな人間は本能的にここに向かうでしょう。イーロン・マスクが宇宙空間に、ザッカーバーグが仮想空間に進んだことは必然なのです。
とりわけ仮想空間を開発するにあたり、ゼロサムゲームで誰かと潰し合いをする必要なんてありません。仮想空間上ならば、限られた資源を分け合って消費を我慢する必要もありません。アバターによって容姿や出自などもリセットできます。
人類にとって、世界とは生まれた瞬間からずっとそこに「在る」ものでした。「在りものの世界」を開拓して、そこに適応して生きていくのが人生でした。メタバースの仮想空間が実現すれば、世界とは「自ら創るもの」へと変わり、人類の間で壮大なパラダイムシフト(世界観の転換)が起きます。
何百年・何千年にわたって哲学者や芸術家が積み重ねてきた叡智・科学者が研究してきた物理法則・近年の3DCGクリエイターの仕事が全部、ミルフィーユのように積み重なる。そして「メタバース上に世界を創る」というタスクが目の前に現れました。
これまでの科学の研究や2次元インターネットの発達は、ドラマでいえばまだまだ「台本が書き上げられた」だけの状態です。人類は「世界を創る」というタスクの入り口に立っただけであって、ようやく本番が始まります。「ヨーイ、スタート!」から撮影がスタートし、「カット!」という掛け声で撮影が終了する。この本の読者である皆さんは、今からメタバース構築の監督になれるのです。
メタバースによって変容する「個人」
メタバースの開発によって、特定の巨大空間が、もう一つ誕生するわけではありません。uni(=単一)verse(ユニバース)ではなく、multi(=多重・多数・多元)verse(マルチバース)が生まれるのです。複数の仮想世界が、並行して膨大に存在するようになるのです。
量子力学を研究する学者は「我々が存在する宇宙とは別に、無数の多元宇宙が存在する」という仮説を唱えてきました。
4次元どころか、5次元・6次元・7次元……とたくさんのマルチバースが連なっているというのです。現実の宇宙空間が、ユニバースではなくマルチバースかどうかは私にはわかりません。
しかし少なくとも仮想空間上では、お互いが干渉せず独立したメタバースが、何億個も膨大に存在するようになるはずです。Aさんがログインするメタバースでは、Aさんが大統領として世界を統治する。
Bさんがログインするメタバースでは、世界の食糧危機に対応するためにワールドワイドの農業ベンチャーCEOとしてがんばる。Cさんがログインするメタバースでは、『スター・ウォーズ』のバトルが延々と繰り広げられる。メタバースは重層的に生まれるはずです。私たちは無意識のうちに、職場や学校・プライベートでパーソナリティを器用に切り替えています。
家族と一緒にいるときには、職場なり学校なりで振る舞う自分の姿はそのまま見せない。気の置けない友達と一緒にいるときには、タメグチでぶしつけな言葉遣いを平気でする。職場にいるときには部長や課長といった職責をまとい、それなりの「権威の衣」を着て振る舞う。
ひとりの人間の中に多様な「自分(分人)」が存在する。作家の平野啓一郎さんが著書『私とは何か「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)でこの「分人主義」を提唱しました。
メタバースが広まるにつれて、人々は仮想空間上でも「分人」として振る舞うようになるでしょう。空間A・空間B・空間Cではそれぞれ性格も職業も違っており、つき合う仲間も全く異なる。これから20~30年のうちに、人間のマルチ人格化がものすごい勢いで加速化し、可視化されるはずです。
「なりたい自分で生きていく」
ひところまで仕事とは、一つの会社に勤めて一つのオフィスに集い、首にはネクタイを締めて1日8時間も10時間も拘束されるのが常識でした。ブラック企業が社会的非難を集めるまで、午後11時、午前0時まで大残業して終電で帰り、翌朝はラッシュアワーに揉まれて出勤する働き方が当たり前だったものです。YouTuberはそういう働き方・つまらない人生像を破壊的なまでに払拭しています。
YouTuberは、働くことに関する(1)時間の制約、(2)空間の制約を見事に吹っ飛ばしました。
同じような価値基準の転換はメタバースで進化します。
これからは時間・空間の制約だけでなく、(3)身体の制約からも人々は解放されます。「好きなことをやって生きていく」からさらに一歩進み、「なりたい自分で生きていく」という流れに変わるのです。
メタバースがあれば、もはや身体が自分である必要すらありません。見てくれが美男美女ではなく、背が低くて太っていたとしても、仮想空間ではイケメンにもスーパー美人にも変身できます。リアルな自分はパジャマ姿でも、メタバースの中ではスーツやドレス姿です。歌が下手でも、AIのサポートを受けてプロなみの歌声にボイスチェンジできます。
今までは「歌手になりたい」「タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の俳優)になりたい」と願望を抱いても「ウチは貧乏だからボイストレーニングやバレエや日本舞踊を習うお金がない」「専門学校にも通えない」「芸能プロダクションと全くつながりがない」とさんざん言い訳をしていました。
YouTubeがある今は、誰でも今日から歌手デビューできますし、ギタリストやお笑い芸人としてもデビューできます。逆にいうと、YouTubeがあるおかげで「好きなことだけど仕事にはならない」と言い訳できなくなってきたともいえます。
さらにメタバースが生まれれば、あらゆる制約はなくなるのです。こういう時代には「自分はどんな人間になりたいのか」「どういう存在でありたいのか」というビジョンを強くもたなければなりません。
自分にとっての価値・自分にとっての主義・自分にとっての理想とは何なのか。心の内面における価値創造が重視される時代が到来しようとしているのです。
「ルネッサンス2・0」の黄金時代
14世紀から16世紀にかけて、イタリアを起点としてヨーロッパ全域でルネッサンス(renaissance)という文化・文明の黄金時代が到来しました。
『神曲』を書いた作家ダンテ・アリギエーリ、『デカメロン』の作者ジョバンニ・ボッカチオ、サンドロ・ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティなど、綺羅星の如き天才が続々と文化を花開かせます。
今実現しつつあるクリエイター・エコノミーとメタバースは、かつて人間の創造性が爆発したルネッサンスの再来だと私は思うのです。
なぜヨーロッパでルネッサンスが起きたのでしょう。海外との交易によって莫大な富が蓄積され、フィレンツェのメディチ家のような大財閥が誕生したことが一因です。莫大な財産をもつメディチ家は、才能ある芸術家にどんどん投資してパトロンになっていきました。有り余った資本が財閥から芸術に注がれた結果、ルネッサンスが花開いたのです。
あのときと近似する状況が、現在の世界で起きています。何百兆円というお金が有り余るGAFA+Microsoft(GAFAM)は、湯水のようにお金を投資してバーチャル空間上に自治区(自分たちの独立国家)を作り、往年のメディチ家のように財閥化しようとしているのです。
19世紀後半になると、エドゥアール・マネ、クロード・モネ、ポール・セザンヌ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ピエール=オーギュスト・ルノアールなど「印象派」と呼ばれる天才画家たちが、色彩豊かな独特の表現方法を切り開いていきます。
実は印象派の登場にはいくつかの技術革新が背景にあります。それは「チューブ式の絵の具」の発明です。かつては戸外で景色を見ながら絵を描くというスタイルは今ほど一般的ではありませんでした。絵画は外でスケッチをしたあとにアトリエに戻ってじっくり作品を完成させるのが普通でした。なぜなら、絵の具は持ち運ぶものではなかったからです。当時、絵の具は画家やその弟子たちが必要に応じて顔料を砕いて油で練るという作業で作られていました。現代のように手軽に使えるものではなく、非常にコストのかかる代物だったのです。
その後、チューブに入れて絵の具を持ち運ぶ技術が発明されて、一部の売れない画家たちは絵の具作りを専業とするようになっていきます。絵の具はどんどん安価で手軽に手に入るものへと変わっていき、世の中に普及していきます。結果的に、戸外で絵の具を使ってその場で絵を完成させるという現在のスタイルが一般化して「印象派」の登場につながっていったのです。つまり、印象派とは「絵の具のコモディティ化」によって巻き起こされた現象だったのです。
今起きているメタバース革命も、これとよく似ています。3DCGの技術は、ちょっと前までごく一部のエンジニアとクリエイターだけの占有物でした。高機能なCGソフトウェアは高額で、遊び半分で触れられるものではありませんでした。
しかし今では誰でも無料でソフトウェアを使えて、万人にテクノロジーの門戸が開かれている。そのソフトウェアを使えば、専門的知識なんてなくても、ものすごい映像や仮想空間が創れてしまう。「チューブ型の絵の具」がテクノロジーに置き換わっただけであって、まさにルネッサンスの再来です。
ただしそのテクノロジーを使う側に、作家性とオリジナリティがなければなりません。テクノロジーがオープン化された今、作家本人に想像力(イマジネーション)と創造力(クリエイティビティ)が溢れていれば、もはや鬼に金棒です。
相対性理論を編み出した物理学者アインシュタインは「想像力は知識よりも重要である」という名言を残しました。万巻の書物に目を通し、図書館にある知識を手当たり次第に頭に叩きこむよりも、想像力と創造力の翼を羽ばたかせることのほうがよほど重要なのです。
テクノロジーと人間の創造性が融合し、さらなる富を生み出して好循環を引き起こす。アインシュタインの言葉のとおり、想像力と創造力が世界を包みこむ「ルネッサンス2・0」の黄金時代が訪れようとしているのです。
世界2.0 メタバースの歩き方と創り方の記事をもっと読む
世界2.0 メタバースの歩き方と創り方
インターネット以来の大革命。メタバースとは「神」の民主化だ――。
メタバース、web3、NFT、AI、宇宙開発……「新しい世界」を私たちはどう生きるか! メタバース事業の最先端をいく起業家が全てを書き尽くした決定版。