昆虫図鑑制作の苦しくも楽しい舞台裏をつづった、丸山宗利氏の『カラー版 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』(幻冬舎新書)が発売即重版となり話題だ。
そんな丸山氏が出演する2022年11月13日放送のNHKスペシャル「超・進化論」第2集「愛(いと)しき昆虫たち ~最強の適応力~」の放送に先立ち、番組がもっと楽しめる、制作の舞台裏を紹介する。
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2020年から進めていたNHKスペシャル「超・進化論」
『昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』の前書きに、海外調査から戻ってきたばかりということをさらっと書いた。
2022年11月13日に放送のNHKスペシャル「超・進化論」の第2集「愛(いと)しき昆虫たち ~最強の適応力~」に出演するが、海外調査はその放送に関係している。
この番組の話が来たのは2020年の9月で、ウェブ会議で担当ディレクターの水沼真澄さんと打ち合わせをした。
その内容というのは昆虫全般で番組を作るなら、どんなものが良いかということだったが、「昆虫といえば多様性なので、その重要な要因である飛翔と完全変態に焦点を当ててはどうでしょうか」という話をした。
まさにそのころ、今回の新書で制作記を書いた『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』の企画も始まり、昆虫の面白さを伝える方法を考えていたので、助言を差し上げるにはちょうどいい機会ともいえた。
また、水沼さんの希望で、私が海外調査をしている様子も取材したいとのことだったが、折りしも新型コロナウィルス感染症(以下、コロナ)の流行真っただ中である。NHKでは国内取材さえも難しい状況で、海外取材はすべて禁止となっていた。
ひとまず虎視眈々とその機会を窺うことにした。
コロナ禍は私の研究にも支障をきたしており、2019年に比較的大型の科研費に採択されていたのだが、それがアフリカでの調査主体の計画で、かといってコロナ禍が終わるまで経費の使用を延長することもできなかったので、代わりになる近い内容の研究を泣く泣く進めるという状況が続いていた。
海外調査先はカメルーンに決定
それからも水沼さんとは、日程や調査地に関するやりとりを何度も行ったが、計画中止の連続で、なかなか機会は訪れなかった。NHK内で海外調査の許可を得るのが非常に厳しいこと、私の職場である九州大学でも海外出張の自粛が当たり前だったからである。
そして、コロナ禍に「落ち着き」のようなものが見えた2022年の4月、NHKでも大学でも海外渡航に関して軟化の兆しが見え始め、6月にどこかに行こういうことになったのである。
行き先はカメルーンを希望した。先に述べた科研費の計画の調査地である。この先またいつ海外に行けるかわらないので、せっかくであればこの機会を科研費の出張に当てたいと思った。
また、狙いの撮影対象が非常に面白いものであるという自信もあった。
それからは怒涛の準備が始まった。まずは現地での調査許可の取得である。付き合いの長い現地の大学教員を通じて担当部署に依頼し、九州大学の事務の皆さんにも大急ぎで手続きをお願いし、大学間で合意書を締結などし、許可申請を進めた。
また今回、調査の補佐役として、教え子の井上翔太君と野崎翼君も同行してもらうことにして、急いで必要なワクチン(黄熱病、狂犬病、細菌性髄膜炎など)を打ってもらった。
新書にも書いたが、このころは図鑑の校正の最中でもあり、そのしんどさに調査許可関係の大変さが拍車をかけた。そして、5月中旬に図鑑が校了。6月はじめに日本をあとにした。
目的は「サスライアリと共生するハネカクシ科の甲虫」
実はカメルーンの調査は3回目である。拙著『昆虫こわい』に過去2回の調査の様子を詳しく書いているが、最初は治安の悪さや人々の押しの強さに辟易しつつも、現地で知り合った素晴らしい人たちの存在もあり、だんだんと好きになっていった国である。
今回訪れたのはEbogo(エボゴ)という場所で、2回目の調査で少し滞在した経験がある。
さて、今回の主目的は、「サスライアリと共生するハネカクシ科の甲虫」である。
サスライアリは世界のアリのなかでも最も巨大なコロニーサイズ(働きアリの数)をもち、そのコロニーのなかに、じつにさまざまな共生者がいて、私が専門とするハネカクシ科甲虫が種数のうえでその筆頭なのである。
ちなみに「共生」といっても、今回の目的であるハネカクシは居候的存在で、アリには利益はない。
アリを騙して巣の中に入り込んでいるのだが、どういうわけかハネカクシの種によって形が千差万別で、それが実に面白く、その進化を調べたい。そのために新鮮な標本を採集するがあった。
また、サスライアリの種ごとにハネカカクシの種はさまざまにわかれているが、アリによってはまったくハネカクシの調査が進んでおらず、誰も見たことのない新種(正確には「未記載種」)を発見できるのではないかという期待があった。
アリの行列をひたすら観察し、吸い取る
今回は水沼さんのほか、カメラマンの斎藤さん、音声の八鍬さんが日本からのスタッフとして参加し、カメルーン到着後にフランス在住の日本人コーディネーター、カメルーンのコーディネーター、カメルーンの研究者と合流した。
さらに、以前より交流のあった現地の採集人のフダさんに現地でのガイドをお願いした。
事前にフダさんには私たちの目的を伝えており、ホテルに荷物を置くや否や、サスライアリのいる場所を案内してくれた。
サスライアリの共生者の採集法は、行列をひたすらに観察することである。そして、アリの間を歩く小さな虫を見つけたら、吸虫管という道具を使い、アリを驚かさないように吸い取る。
サスライアリは敏感で、刺激を受けると行列が乱れ、観察が中断してしまうからである。
行列の脇に座って観察すると、つぎつぎにハネカクシが現れた。少し小型のサスライアリの行列で、ほとんど調査がされていない種である。つまり、新種のハネカクシが見つかる可能性が高い。
このサスライアリのコロニーは暗くなるまで観察し、明らかに新種と思われるハネカクシも採集することができた。
新種を見つけるもの目的の一つだが、今回は別に、いくつかの狙いのハネカクシがあった。
一つはワレカラのような姿をしたその名もワレカラハネカクシという種、あとは系統的な関係がまったくわかっていない、三葉虫のような形をした2つの属に含まれるハネカクシである。
旅慣れたはずの体に「洗礼」が
カメルーンについた翌々日、野崎君が顔色を悪くしていた。ひどくおなかを壊して具合が悪いという。
今回、野崎君は初の海外旅行であり、海外旅行初心者にはよくあることなので、その「洗礼」を受けたのだろうと話していた。
ところが翌日、同じことが私を含め、参加した日本人全員に起きたのである。
NHKのスタッフの皆さんや私は、年に数回は海外に出かけるが、長らくそのような経験をしていなかった。今回、おそらくあまりにも久しぶりの海外旅行だったため、免疫が切れてしまったのかもしれない。
その後、数日間は不調に悩まされ、フダさんの案内でサスライアリを調査しつつも、森の中に駆け込んでは急いでズボンを下ろすことがしばし続いた。
病気と言えば、今回は最初から最後までコロナにふりまわされた。行く前の延期の数々や事務手続きもそうだが、出国前に2回(VISA申請と出国)のPCR検査、そして帰国時の現地のPCR検査を受けた。もちろん事前の3回のワクチン接種は必須である。
しかし、行ってみると拍子抜けした。現地ではまったくコロナが流行していなかったのである。
最後の患者は到着時の2か月前に報告されたきりで、もちろん、そもそも検査が充分に行われていないということもあるだろうが、現地の平均年齢が非常に低く、社会全体の免疫力が私たちの比ではないということがあるのではないかと想像した。
また、どの家も壁のつくりがスカスカで、密室というものがほとんどないので、万が一患者が出ても、ほかの人に感染する可能性が低いのではないかもしれない。
あくまで想像だが、そう考えると、コロナというのは、平均年齢が非常に高く、家の密閉性が高い先進国の社会に実に適応した病気にも思えた。
一同のおなかの調子も戻ると(野崎君は最後まで不調だった)、フダさんと現地研究者のおかげで調査も撮影も好調に進んだ。
私はコロナ禍の間にひどく老眼がすすんでしまい、学生の井上君や野崎君にはずいぶん助けられ、彼らのおかげで、目標だったワレカラハネカクシや三葉虫型のハネカクシの1種も採集することができた。
また、この場所には10種以上のサスライアリがおり、違うサスライアリを見つけると違うハネカクシが見つかり、明らかな新種だけで20種以上を見つけることができた。
サスライアリの行列のなかに誰も見たことのない世界を見る喜び。
結局、ハネカクシだけで100種以上を採集することができ、これまで海外に行けなかった日々を一気に取り戻すような成果だった。
自然に興味のない人にも見てもらえる番組にしたい
帰国した日は成田空港のホテルに泊まった。そこに教え子の柿添翔太郎君が来てくれて、新書の前書きに書いたように、制作した図鑑の開封の儀がそこで行われた。
それから最近まで、水沼さんからは怒涛の編集作業の様子が伝わってきた。どうやら当初にお話しした昆虫の多様性を支える大切なことが詳しく紹介され、私の調査の様子も紹介してくださるようだ。
そして9月に入って台本を確認した。「適応」という言葉の使い方など、私と意見の割れた部分もあったが、テレビというメディアの都合上、仕方のないところがある。水沼さんも修士課程まで生物学を学んでおり、これまでに数々の自然番組を作ってきたプロである。
「自然に興味のない方に見ていただきたい、というのが願いです。魅力的に、かつ誤解を生じないように、いつもギリギリの線まで葛藤します」とおっしゃっていたが、まさにそのとおりだろう。
そしていよいよ放送の日がやってきた。見てくれた人がどう感じるだろうか。楽しみである。
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