高度経済成長やバブル景気に浮かれた昭和後期に起きた、25の凄惨な事件に迫るノンフィクション『昭和の凶悪殺人事件』(小野一光・著)が発売となり、話題だ。
今回はそのなかから「魔性スナックママの正妻殺し」を掲載。地方都市の小さなスナックを舞台に、女は肉体とカネを報酬として強欲な殺人を企てた――。
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肉体とカネで常連客を言いなりに
昭和60年代の春のある日、近畿地方の某県にあるS署で窃盗事件の被疑者として取り調べを受けていた幸田一平(仮名)は、取調官と向き合っていた。
「あんたはこんな窃盗事件だけではない。日高理美子さん(仮名)の失踪事件や放火事件の容疑もある。もうすぐ嫁ぐ娘さんの将来のためにも、すべてを懺悔(ざんげ)して再出発しなさい。人としての心を取り戻しなさい」
54歳の幸田に年下の取調官が諭すように言うと、当初は「何も知らん。勝手にしろ」と否認を続けていた彼は、机に伏して泣き崩れた。
「申し訳ありません。6年前に日高理美子さんを殺してゴミ捨て場に埋めました。それから、スナック『能代(仮名)』の放火も私がやりました。あと、運輸会社の田中社長(仮名)の嫁さんを殺して、カネを奪おうとして失敗したこともあります……」
日高理美子の殺人と放火については幸田に嫌疑がかかっていたが、田中絵里(仮名)が被害者となった事件への関与については思いもよらなかった取調官は、驚きを顔に出さないように努めた。
「昭和55年の暮れくらいから、『能代』に飲みに行くようになり、ママの引地美穂(仮名)と肉体関係を持つようになりました。当時、ママは常連の日高康司さん(仮名)と愛人関係にあったのですが、昭和56年の春頃に、ママから『日高さんと一緒になるために、嫁さんが邪魔だから殺してくれ』と頼まれたんです」
幸田は美穂から成功報酬として、彼女の肉体と現金を提示されていたことを口にした。
「田中さんの奥さんの事件も、ママから『田中さんと一緒になるためには、嫁さんが邪魔だから殺してくれ』と頼まれて、殺そうとしました」
そう自供すると、幸田は日高の妻である理美子の死体を遺棄した場所についての説明を始めたのだった。
死体遺棄現場とされたのは山間部にある廃棄物最終処分場で、6年前とは様相がすっかり異なっていた。捜査員たちは、当時の関係記録から廃棄物の投棄者を割り出し、昭和56年段階での投棄位置を特定した。
そのうえで警察官70名と、ブルドーザーやパワーショベルなどの大型重機を投入し、大規模な捜索が行われることとなった。
捜索は難航を極めたが、幸田の自供内容に信憑性があると確信していた捜査員は粘り強く作業を続けた。その結果、捜索開始から12日目に大腿骨と、理美子の着衣とみられるズボンを発見。その翌日には白骨化した死体のほぼすべてを見つけ出したのである。
物証なしの取り調べ攻防戦
気性が激しく、短気で悪賢い。自己中心的で金銭に対する執着が強いうえ、異性関係が派手で、絶えず複数の男を手玉にとる女──。
理美子の死体発掘と並行して、「能代」のママである引地美穂の身辺捜査が行われ、彼女の“魔性の女”ぶりが明らかになってきた。
美穂は昭和58年の放火により、「能代」を閉店。入院生活やスナックの新規開店、さらには仲居業などを経て、現在はS市内で居酒屋の雇われママをしていた。
彼女は昭和56年に理美子が失踪するまでは、日高康司とたしかに交際しており、資産家だった彼と一緒になるためには、妻である理美子が邪魔であると考えるに足る動機があった。
こうした捜査結果から、幸田の供述は信憑性が高く、美穂の容疑は濃厚だとされたが、物証となるものはなかった。そこで捜査員は美穂に出頭を求め、事情聴取を行うことにしたのである。
Z署に出頭した美穂は、50代後半という実年齢よりも、10歳以上は若く見える体型と色気を保っていた。彼女は平然とした態度で事情を説明する。
「日高さんは昭和55年になって『能代』に出入りするようになり、モーテルや自宅で肉体関係を持つようになりました。その後、彼が『一緒になろう』と言い寄ってきたので、当時内縁関係にあった男との手切れ金、300万円を貢がせたこともあります。ただ、彼の妻だった理美子さんに2人の関係が知られてしまい、一緒になるのは難しくなりました。それに日高さんは理美子さんの失踪後、行方を捜すのに一生懸命になり、私との関係が冷めたため、昭和56年12月頃には別れました」
また、幸田との関係については、彼との肉体関係は認めたものの、「幸田さんがなぜ私を引きずり込もうとするのかわからない」と当惑の表情を浮かべながら、次のように語る。
「幸田さんは陰険で陰湿な性格で、私と日高さんとの関係に嫉妬して、理美子さんに私とのことを告げ口したため、嫌気がさして昭和57年頃からはまったく会っていません。そんな相手なので、幸田さんに理美子さんを殺してくれなんて、頼むはずがありません。状況は私にとって不利で、反論する証拠がないのが悔しい。私を信じてもらえないのが悲しいです。私の頭のなかを割って見せたいくらいです」
全面否認する美穂の供述にはところどころ矛盾があったが、その日は時間切れとなった。
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翌日、出頭してきた美穂に対して、捜査員はある通話の録音テープを聞かせた。理美子が失踪してから、彼女の生存を装うため、日高家に百数十回かかってきた無言電話とのやりとりを録音したものだった。
それは日高やその子供が泣きながら、「おかあさん、どこにいるの? 教えて? 喋ってよ。帰ってきてよ」と繰り返し訴えている内容だったが、それを聞いた美穂は泣きながら「こんなことをする人は鬼です。犬畜生です。私はかけたことがありません」と、あくまでもみずからの関与については、一貫して否認を続けるのだった。
そうした態度に変化が表れたのは3日目の夜のこと。「たとえ裁判にかけられても、やっていないとしか言いようがありません」と全面否認を続けていた彼女が、これまでとは違う内容の話を始めたのである。
「幸田さんから、理美子さんを殺したという話を聞きました。それに『能代』に放火したのは自分だと打ち明けられました。その後、彼から『お前も共犯や』と脅され、現金30万円を渡しました。なぜなら、それよりも前に、日高さんと一緒にいるときに理美子さんがやってきて腹が立ったことがあり、『あの女、いなくなったらいいのに。死んだらいいのに』と幸田さんに話してしまったことがあったからです」
そこまでを口にした美穂だったが、それでも「だからといって、幸田さんに殺人をお願いしたことはありません」と、自分が共犯者であることについては、頑なに否認をした。
理美子の死体が発見されたことで設けられた捜査本部では、これまでの美穂の供述内容を協議し、彼女に自供を迫るため、より確度の高い情報を集める聞き込み捜査を、徹底して行う方針が決められた。
その結果、美穂と幸田が事前に理美子殺害を話し合った飲食店の割り出しに成功し、彼女にふたたび出頭を要請することになったのである。
当日、これまで一度も追及しなかった、田中絵里が被害者となった強盗殺人未遂事件について、ポリグラフ検査を実施したところ、美穂からは、強い特異反応が認められた。
取調官は「今日は落ちる」と確信し、美穂の取り調べに臨んだところ、夜になって彼女は両手で机を叩き、大声で泣きながら、「長いこと嘘をつきました。大変ご迷惑をおかけしました。大変なことをしてしまいました」と詫び、犯行の一部始終を自供したのだった。
椎茸泥棒から事件が発覚
当時、上客を求めて次々と男を渡り歩いていた美穂にとって、自分の肉体に溺れている資産家の日高康司は、最上のカモだった。
しかし、小さな町での不倫関係はすぐに彼の妻である理美子の知るところとなり、美穂との密会中に理美子が現れて揉め事となることが何度か起きた。
「この女さえいなければ、日高さんと一緒になれる」
そう考えた美穂は、何度か肉体関係を持って自分の言いなりになる幸田に、理美子の殺害を依頼したのだった。その大胆な申し出に、最初は渋っていた幸田だったが、彼女の肉体とカネを成功報酬として約束されたことで、実行を決意した。
当日、理美子の職場近くで彼女を待ち伏せた幸田は、帰宅しようと自転車に乗って出てきた理美子に声をかけた。
「康司さんと『能代』のママのことで、話があるんですけど」
偶然にもその日の朝、康司から「ママと別れるつもりだ」と聞かされていた理美子は、自分にとっての朗報だと思い込み、自転車を道端に停めると、微塵(みじん)も疑わずに幸田の車に乗り込んでしまう。
「G町で2人が待ってる」
そう言うと、幸田は車を発進させた。やがて車が人気のないG丘陵にさしかかると、そこで車を停め、彼は理美子の首に手をかけた。
「申し訳ない。ママに殺してくれと頼まれたんだ」
そうわめきながら、幸田は理美子の首を力任せに絞め続ける。最初は手足をばたつかせていた理美子だったが、やがて動きが止まり、抵抗はやんだ。
幸田は用意していたロープを理美子の首に巻きつけてとどめをさすと、ロープを巻いたまま、彼女の死体を車から引きずり出し、アリバイ工作のため自宅に戻っている。
家族と食事を済ませると、今度は軽トラックに乗り換えて、いったん知人宅に立ち寄ってから、理美子の自転車を回収して現場へと戻った。
そこで理美子の死体と自転車を廃棄物最終処分場に遺棄し、人目につかないように、近くにあった材木や瓦、レンガなどをその上に積み重ねて、隠したのである。
幸田はその後も美穂に頼まれて田中絵里を殺そうとしたが、失敗。続いて保険金目当ての放火にも協力したが、次第に彼女から邪険に扱われるようになり、いつしか縁は切れていた。
しかしこの年、幸田がJ郡の農家で椎茸泥棒をして逮捕され、その捜査のなかで、殺人に関与した疑いが浮かび上がったのである。
捜査員の執念と、情理を尽くした取り調べによって、過去の悪行がすべて白日のもとに晒(さら)されてしまう結果となる事件だった。
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