日本の企業数は約367万社、そのうち99%が中小企業で、規模が小さい「家業」ほど世襲率は高くなる。本来、実力ある者が後継すればいいだけなのに、システムとして不合理で無理筋、途絶や崩壊の可能性が高い「世襲」はなぜ多いのか――。世襲が目立つ三業界(政・財・歌舞伎界)を徹底比較した注目の新刊『世襲 政治・企業・歌舞伎』(中川右介著)から、一部を抜粋してお届けします。
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はじめに
この本は、政治・企業・歌舞伎のそれぞれの世界において、「世襲」システムがどう生まれ、どう機能し、どう破綻しているかを描く、歴史読み物だ。
一般に、政治家や大企業経営者の世襲は批判されるが、歌舞伎など伝統藝能の場合は、批判の声は少ない。むしろ、称賛されることのほうが多い。
政治家の世襲が批判されるのは、国会議員というポストは公職であり、世襲はその私物化だからである。もちろん公職選挙法にのっとって立候補して当選しているわけで「違法」ではない。だが、漠然とした不公平感というか、民主主義とは相容れないものを感じる。さらに、政治家の場合、能力のない者が親の地盤を継いで議員となり、当選を重ねて大臣や総理大臣などになった場合、国が滅びる可能性がある。いまの日本が経済的・外交的に衰退しているとしたら、その原因のひとつは、二十一世紀になってから世襲政治家が増えたことにある。
企業の場合、無能な二代目・三代目が社長になり、経営破綻しても、その経営者一族が財産を失くすだけだから、自業自得となる。しかし企業の規模によっては、何万人もの従業員が路頭に迷うだけでなく、取引先企業の連鎖倒産をも招き、業種によっては日本社会全体にも影響を与える。
それに比べれば、歌舞伎の場合、名優のドラ息子が役者になっても、世の中全体に何かの禍わざわいが起きるわけではない。せいぜい、歌舞伎公演の質が落ち観客動員に陰かげりが出て、松竹の業績が悪化するくらいだろう。したがって役者の世襲そのものは、世の中にとって良くも悪くもない。歌舞伎役者は社会的に目立つ存在だが、農家や商店・飲食店を子どもが継ぐかどうかというのと同じ話で、天下国家レベルで論じる話ではない。
歌舞伎においては世襲もさることながら、門閥主義にこそ問題がある。幹部役者の子として生まれるとほぼ自動的に若い頃から大役が与えられ、その逆に、才能があり人気があっても、幹部役者の子でなければ、歌舞伎座の舞台で主役になれない。「家の藝」を親から子へ伝えるだけでなく、劇界のポジション(歌舞伎座で主役を演じる権利)までもが世襲される傾向にある点が問題なのだ。
これは企業でも言える。社長になることだけが人生の目標ではないにしても、「社長の一族でなければ、絶対に社長にはなれない」会社では、社員のモチベーションは低下するだろう。そのために優秀な人材が入ってこなくなったとしたら、その企業にとってもマイナスだ。そして政界もまた、政治家の子でなければ国会議員になれず、なれたとしても大臣、総理大臣にはなれないとなったら、有能な人は参入してこない。いまの政界は、この状況にある。
一方、世襲には利点もある。世代交代が安易だという点だ。世襲ではない企業だと、五十代で役員、六十代で社長になり、七十歳で辞めたとして、その次の社長は十歳前後若返るだけだ。しかし、親子間の世襲だと、七十歳で親が退任して子が継げば、四十代の社長が誕生する。あわせて他の役員なども交代させれば、一気に世代交代が進むという利点がある。もちろん、その四十代で就任した二代目が三十年も社長を続けることになるだろうから、長期政権という新たな問題点も生まれる。
世襲のもうひとつの利点が幼少期からの英才教育・帝王学が可能となることだ。歌舞伎では子どもの頃から舞台に立たせ、舞踊などの稽古もさせる。企業でも子どもを経営者にさせたいのなら、幼少期から外国語を身につけさせるとか、大学で経営学を学ばせるなど、将来に備えた教育ができる。
しかし政治家は世襲が多い割に、英才教育がほとんどできていない。「政治家以外にはなれそうもない人」が親の後を継いで政治家になる傾向がある。
詳しくは本文に記すが、昭和の時代の総理大臣は、ほとんどが政治家として初代であり、大半が東大法学部を卒業していた。しかし、平成になって、二世・三世議員の総理大臣が生まれると、東大を出た人は激減する。東大を出ればいいというものではないが、学歴・学力の劣化は、出身校リスト(第一部)を見れば一目瞭然だ。幼少期から政治家になると決め、総理大臣を目指せる環境にありながら、そのための英才教育を受けていないのか、受けたのに能力がなかったのかは分からないが、政治家においては英才教育システムが存在していない。
では──「世襲」をめぐる家と企業、そしてその業界の盛衰の物語を始めよう。
第一部は、戦後政治を世襲という観点から読み解く。第二部は、企業創業家の世襲のパターンを、日本の基幹産業である自動車業界の五社・五家(トヨタ、日産、ホンダ、スズキ、マツダ)と、公共性を持つ鉄道会社四社(阪急、東急、西武、東武)の創業家の盛衰とともに描く。第三部は市川團十郎家を主軸に歌舞伎界の系図を読み解いていく。
それぞれの部は独立しているので、どこから読んでいただいてもかまわない。