高度経済成長やバブル景気に浮かれた昭和後期に起きた、25の凄惨な事件に迫るノンフィクション『昭和の凶悪殺人事件』(小野一光・著)が発売たちまち重版となり、話題だ。
今回はそのなかから「恐怖に支配されたキャバレーホステスの末路」を掲載。高齢のおばと若い姪の暮らす家から2人が忽然と姿を消す。だが炊飯器はONのままだった――。
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床下の73歳女性遺体
昭和60年代の春、中部地方某県にあるL警察署の受付でのこと。
「姉と娘がどこかに行ったまま帰ってこない」
L町内に住む51歳の主婦・坂田加織(仮名)が、対応した警察職員に向かって訴えた。
防犯係の刑事が詳しく事情を聴くと、彼女の姉である草野フジ(仮名)と、フジに幼少の頃から預けていた実娘である草野夏海(仮名)の2人に、3日前の水曜日から連絡が取れなくなっているとの話だった。
73歳のフジは無職で、27歳の夏海はX市内のキャバレーでホステスをしているが、これまで連絡なしに3日間も家を空けたことはないという。
そこで捜査員が加織を伴って、フジと夏海が住む草野家へと向かったところ、家財道具などは整然とした状態で、とくに争ったような形跡はなかった。
「あれ、これはおかしいんじゃないか?」
ある捜査員が、台所に置かれた炊飯器のスイッチがONになったままであることに気付いた。
「ふつう、3日間も家を空けるというのに、炊飯器の電源を入れっ放しにはしない。なにかあったのでは?」
事件性が疑われることから、L署では2人について、犯罪の被害者となっている恐れがある「特異家出人」として手配。同時に2人の足取りについての捜査が開始された。
すると、フジは水曜日の夜には所在が確認できたが、木曜日の午前中に友人がかけた電話には出ず、それからの消息がわからなくなっていることが判明した。
一方の夏海は、木曜日の夜に勤め先のキャバレーに出勤し、金曜日の午前0時過ぎに、店の送迎車で家から1キロメートル離れた地域まで送ってもらっていることが確認されたが、それ以降は所在がわからなくなっていた。
また、捜査員が草野家の近隣住民にも聞き込みを重ねたところ、次のような証言を得た。
「金曜日の未明あたりに、草野家の近くで『キャー、やめて』という女性の悲鳴を聞いた」
その悲鳴こそが、2人が事件に巻き込まれた際に発せられたものではないか。そう推測した捜査員は、いま一度、草野家の建物内になんらかの痕跡が残っていないか調べるため、捜索を実施した。
「おい、なんだこのギシギシって音は?」
草野家の各部屋を見てまわっていたところ、捜査員の1人が、奥の6畳間の床だけが、歩くと異音を発することに気付いた。
そこで畳を上げてみると、床板の釘が何カ所か引き抜かれている。そのためさらに床板を外すと、衣服を身につけた状態で両手を広げ、仰向けに横たわるフジの遺体を発見したのだった。
姪とタクシーに乗った男は誰か?
遺体発見に伴い、L署に捜査本部が設置され、96人態勢による本格捜査が始まった。いまだ発見されていない夏海の足取りについての捜査が、重点的に展開されたところ、新たな情報が入ってきた。
それは土曜日の午後2時頃に、F橋からK駅までタクシーに乗った男女のカップルのうち、女性が夏海であるというものだった。
草野家の家宅捜索の際に、夏海宛のラブレターが数通発見されていた。差出人はJ県S市に住む野中信三(仮名)という26歳の会社員。そのため、カップルの男性は野中の可能性があるとして、急きょ捜査員がS市に派遣された。
〈(土曜日の翌週の)火曜日、午前1時半、夏海からモーテルNに誘い出される〉
捜査員が野中の部屋を訪ねると彼は不在で、前記のメモが残されていた。しかし、彼がその後どこかに立ち寄った形跡はなく、自家用車もなくなっている。
そこで車両についての手配を行ったところ、S市の駐車場に、彼がメモに残した日付の翌日から放置されていたという、当該車両が発見された。
野中の自家用車について、県警本部の鑑識課員が見分したところ、後部トランクのなかから、男性のものと思われる数十本の頭髪が発見され、のちにそれらが野中のものであるとの鑑定がなされた。
L署の捜査本部では、その段階で野中も犯罪の被害者となっている可能性が高いと判断した。根拠となったのは、彼が部屋に残した置き手紙の存在だった。野中がみずからの身の危険を感じ、わざわざ書き残したと思慮されたのである。
では、いったい誰が夏海とタクシーに乗っていたのか?
捜査本部の関心はその一点に絞られた。
「夏海と行動をともにすると考えられるのは、去年の12月にあの子と協議離婚した簾内(すのうち)信哉(仮名)だけです。ただ、簾内は出身地のZ県で去年の11月に傷害事件を起こして、刑務所に入っていると聞いてますが……」
夏海の実母である加織は、捜査員に対してそう話すと、さらに付け加えた。
「もし簾内が刑務所から出てきたとすると、あいつは夏海を金づるにしてきたから、必ず復縁を迫ってくると思います。そうなると、姉(フジ)とは絶対に争いになったはずです」
手足を緊縛された全裸男性の遺体
「簾内は執行猶予付きの判決を受け、出所しています。服役はしていません」
捜査員が簾内の出所の有無について照会したところ、そうした結果が明らかになった。さらに、K駅まで夏海と男を乗せたタクシー運転手に簾内の顔写真を見せたところ、同乗の男に酷似しているとの証言を得た。
それらのことから、簾内が重要参考人として、一気に浮上することになったのである。
「子供の頃から面倒を見てきてもらったフジを夏海が殺害するとは考えられない。彼女は簾内からフジの殺害もしくは死体遺棄を手伝わされたか、まったく事件に関係していないかのいずれかだろう」
捜査本部ではそのような「筋読み」のもと、簾内及び夏海の追跡捜査を推進する方針が立てられた。
しかし、事件はあることをきっかけにして、急転直下に解決することになる。
「連れの男に殺されそうなので、助けてください──」
加織がL署を訪ねて親族の行方不明を訴えてから9日後のことだった。W県警N署に夏海が現れ、保護を申し出たのである。
W県警は緊急配備を実施し、夏海の保護から約30分後には、W市内の路上で簾内を発見。登山ナイフ2丁を隠し持っていたことから、銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕した。
逮捕後、すぐに観念した簾内は、フジの殺害、死体遺棄を単独で実行したことを自供。野中についても、O県内のモーテルSで殺害後、遺体を客室の回転ベッドの下に遺棄したことを供述した。
そのため、O県警の捜査員がモーテルSでの捜索を行ったところ、簾内の供述通り、ベッドの下から、全裸の状態で両手両足を緊縛された野中の遺体を発見したのだった。
その後、簾内については、殺人や死体遺棄での再逮捕が繰り返されることとなる。また、野中の殺害、死体遺棄では夏海も簾内の共犯者として逮捕された。
元妻への執着とカネ目当ての凶行
実母の加織が予想した通り、釈放後に簾内がまずとった行動は、夏海に会いに向かうというものだった。
夏海の親族に見つかると、警察に通報されると考えた簾内は、夜間に家の近くに行き、彼女の帰宅を待っていた。しかし、なかなか夏海は姿を見せない。そのまま3日が経ち、簾内は夏海の家の物置小屋に身を隠し、帰宅を待ち伏せた。
そして木曜日の朝、便所に誰かが入る音を聞いた簾内は、物置小屋の方向から便所の窓を見ていたところ、窓を開けたフジと目が合ってしまう。
慌てた簾内は玄関から室内に入り、フジに夏海の所在を尋ねたが、フジは「知らない」と繰り返し、どこかに電話をかけようとした。そこで彼は押し入れにあったシーツを、あらかじめ持っていたナイフで切り裂いて紐のようにしてから、フジの両手、両足を縛り上げたのである。
「このババアには顔を見られている……」
午後になり、そのまま逃げてしまうと自分の存在を通報されてしまうと考えた簾内は、小柄なフジの体を抱えると風呂場へと向かい、頭から湯船に沈めて殺害したのだった。
その後、遺体を奥の6畳間の床下に隠した簾内は外に逃げたが、夏海に会いたいとの思いは変わらない。そのため夜を待って家の近くに行き、ふたたび夏海を待ち伏せた。
やがて金曜日の未明に夏海が帰宅してきたため、簾内が声をかけると、彼女は悲鳴を上げて逃げ出そうとした。しかし簾内は彼女を取り押さえ、力ずくでK町のモーテルPへと連れ込んだのである。
そこで彼はフジを殺害したことを夏海に伝え、恐怖に支配されてしまった彼女を、土曜日の午後にタクシーに乗せると、K駅へと向かった。
さらにそこから鉄道で野中が住むJ県S市まで移動すると、夏海に野中をモーテルNに呼び出すことを命じ、逃走資金を確保しようと企てたのだった。
しかし、モーテルNに現れた野中は、まとまった現金を持ち合わせていなかった。そこで簾内は土地勘のあるO県O市に、野中が運転する自家用車で移動。市内の銀行で現金を引き出させ、受け取った。
「こいつにはフジを殺したことを話している。生きて帰すわけにはいかない」
簾内はそう考え、ふたたび夏海を含めた3人でO市内のモーテルSに入り、彼女に手伝わせて野中を全裸にして手足を縛ると、フジと同じく浴槽に沈めて殺害し、遺体をベッドの下に隠したのである。
その後、W県W市へと移動した簾内と夏海はモーテルを泊まり歩いたが、2人で映画館に入ったときに、夏海が隙を見て逃走。それに気付いた簾内も慌てて逃げようとしたが、路上で身柄を確保されたというのが、一連の顚末(てんまつ)だ。
なぜ夏海はもっと早く警察に駆け込むことができなかったのか──。
夏美は逮捕後、「簾内が怖くて逃げられなかった」との供述をしていたが、彼女が呼び出したことで、なんの罪もない野中の命が奪われている。また、野中殺害の際には手を貸していたことなどから、彼女自身も罪に問われることとなった。
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