
哲学と言うと大げさだが、店で購入される商品に関しては、できるだけ介入せず、なるべく自然の成り行きに任せるよう心掛けている。店主という立場には、店内で起こる出来事に対し、ある程度それを差配する力がある。だからその力を思い通り使うことに慣れてしまい、物事がおかしな方向に流れていくことをいつも警戒しなければならないのだ。
例えば先週、沢木耕太郎の新刊を買った男性がいた。超がつくほどの有名作家だが、なぜかTitleでは単行本の実績がなくて、新刊が出ると棚に一冊並べておく程度。ではなぜ一冊並べるのかといえば、常連のKさんがそれを高い確率で買っていかれるからで、その沢木耕太郎はいわばKさん用に仕入れたようなものだ。しかし、ここでわたしがそれを買おうとした男性に、「その本はある人のために仕入れたものなので、買うのはどうか控えてほしい」と言えば、彼はどう思うだろう?「それなら出しておくなよ」と憤ることはもちろん、目のまえの出来事に何かしら不当なものを感じ、腑に落ちないのではないだろうか。
だからこれから書く二つの出来事は、一種のファンタジーだと思って聞いてほしい。たとえそれがどんな店でも、店主が勝手に扱っている商品の購入先を決めてはならないのだ。
先日まで店のギャラリーでは、紙版画家の坂本千明さんの展示を行っていた。坂本さんの主なモチーフは猫で、展示の度に多くのファンがその作品を求めて会場を訪れる。今回の目玉は、写真家で箱作家でもある細川葉子さんとコラボレーションして作った「箱」。素人目にはまったくわからないが、版画の制作過程で刷り損じた紙を使用した、一つずつが作品とも呼べるものだ。この箱が大変な人気で、49個用意していたものがわずか数日のうち、あっという間になくなった。
箱が売り切れた日の夕方、レジまで来た若い女性が、会計を済ませたあと控えめに尋ねてこられた。
「箱はもう売り切れたのですよね……」
わたしは「はい」と答えたが、実はその日の夜、もう一つだけ追加が入ることを知っていた。正確に言えばそれは追加ではなく、もともと納品された内のひとつを、細川さんが補修のために持ち帰っていたものだった。
そのまま何食わぬ顔でやり取りを終わりにしてもよかったが、その女性にはなぜか感じるところがあり、わたしは気がつけば「実は今日の閉店前、ひとつだけ追加が入ることになっていて……」と伝えていた。在庫を尋ねられたのは箱が売り切れてからはじめてだったので、それでもよかったのかもしれない。しかし追加分は、再納品後すぐ店に出そうと決めていたから、その時は自分が行き先を変えてしまったようにも感じられた。

その女性が語ったことによれば、彼女は昨年までTitleがある杉並区に住んでいたが、体調を崩すようなことがあり、実家のある山梨県に戻っていた。しかしその体も少しずつ回復し、こうしてまた東京まで来ることができるようになったという。
彼女は細川さんが持ってきた、修繕された箱を一目見て気に入り、それを購入した。
「いま、実家に猫が寄りつくようになり、ごはんをあげて少しずつ距離を縮めているところです。坂本さんの絵本の話と重なるところがあると思って……」
彼女はうれしそうにそう話した。細川さんが修繕のためその箱を持ち帰らなければ、箱は誰か別の人のもとに渡っただろう。それはそれでよいことだが、この時はもう少し積極的に、彼女のもとに渡ってよかったと思った。
その展示ではささやかに小さなコーナーを設け、坂本さんの版画も売っていた。実はそこに描かれた猫のモデルはわたしが飼っている三匹の猫で、そのうちの二匹は店の近くに住むHさんにより保護された。Hさんは展示の初日、早々に会場まで来て、草むらから自らの手で保護した猫が版画になっている姿をよろこんでくれた。
「最後まで残っていたら(版画を)買います」
彼女はそう言って帰っていったが、その控えめな行動は、編集者としての職分からだったと思う。
展示がはじまってしばらく経ったある日の閉店後、会場には版画のシートが一枚だけ残っていた。それはHさんがその動向をいつも気にかけている猫。わたしはシートに描かれた猫を眺めているあいだ、自分が彼女にそのシートを持っていてほしいと望んでいることに気がついた。
結局その版画シートは、わたしと、行きがかりじょうそれに賛同してくれた坂本さんとが共同で購入し、Hさんに差し上げることになった。順番として最後に残った一枚を、誰かが買ったことには違いがなく、辻褄は合うのかもしれない。それが自分に対しての苦しい言い訳なのは、もちろん承知しているが……。
繰り返すがファンタジーである。
これでよかったのかと言えば、タイムスリップ先で未来を変えてしまったマーティ・マクフライのように、いつも少しの苦みが残る。
ただ、そこに苦みを感じられなくなったのなら、その時こそは、この仕事を辞めてしまったほうがよいとも思うのだ。
今回のおすすめ本
『ウマと話すための7つのひみつ』河田桟 偕成社
日本のはしっこ、与那国島で馬と暮らす河田さん。動物と少しでも通じ合えたときのうれしさが、この絵本には余すところなく描かれている。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年3月14日(金)~ 2025年3月31日(月)Title2階ギャラリー
漫画家・上村一夫が1974年に発表した短編集『あなたのための劇画的小品集』の復刊にあたり、当時の上村作品を振り返る原画展を開催します。昭和の絵師と呼ばれた上村一夫は、女性の美しさと情念の世界を描かせたら当代一と言われた漫画家でした。なかでも1972年に漫画アクションに連載された「同棲時代」は、当時の若者を中心に人気を集め、社会現象にもなりました。本展では、『あなたのための劇画的小品集』と同時代に描かれた挿絵や生原稿を約二十点展示。その他、近年海外で出版された海外版の書籍の展示・販売や、グッズの販売も行います。
◯2025年4月5日(土)~ 2025年4月22日(火)Title2階ギャラリー
大江満雄(1906-91)は、異なる思想を持つさまざまな人たちと共にありたいという「他者志向」をもち、かれらといかに理解し合えるか、生涯をかけて模索した詩人です。その対話の詩学は、いまも私たちに多くの示唆を与えてくれます。
Titleでは、書肆侃侃房『大江満雄セレクション』刊行に伴い、著作をはじめ、初公開となる遺品や自筆資料、写真などを紹介する大江満雄展を開催します。
貴重な遺品や私信に加え、大江が晩年「風の森」と名付けて、終の棲家とした家の写真パネルなども展示。本書収録の詩や散文もご紹介します。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。