塚本の彼女「ねえ、だれ? この人たち」
塚本「ディービーフォー」
健吾・隼人・功司・正平「ディー・ビー・フォー?」
塚本の彼女「ものまねの?」
隼人「それはビージーフォーです」
塚本「童貞ボーイズ4人組、略して、D・B・4」
カチャカチャカチャ、キーボードをたたく音ともに、次々にセリフが生まれていく。ここは脚本家、金子ありさ(29歳)の部屋。深夜の午前1時。
彼女はいま、毎週金曜日にTBSで放送されている「STAND UP!!」という高校生を主人公にした喜劇を書いている。
塚本の彼女「イヤダァー、童貞なの!」
功司「声でかい」
隼人「童貞じゃない!純潔だよ、われわれは現代に失われた純潔を守ってるだけだっちゃ、純潔保存会、会員番号、01、02、03、04」
正平「おれ……、入ってない」
キーボードの上の手が止まる。しんとなる。金子はパソコンの画面をみている。ジーッというパソコンの音がきこえる。カタ、カタ、時計の秒針の音が響く。
「フーッ」彼女がひとつ、大きな息を吐いた。
観客を泣かせることは簡単だが、笑わせることは難しい。私はつねづねそう思っている。だから、面白いものを書く人を尊敬しているし、いったいどうして面白いセリフや出来事を考えつくのだろうと興味がある。脚本家は書きながら声に出してセリフをいっているのだろうか? 書きながら自分もクスクス笑っているのだろうか?
金子は大学を卒業すると同時に、フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞した。それ以来ずっとテレビのシナリオの仕事をしている。「ブラザーズ」や「ナースのお仕事3」を書いた。今回の「STAND UP!!」は9本目になる。
喜劇を得意としている金子ありさに書いているところをみせてくださいとお願いした。
金子は3LDKのマンションにひとりで住んでいる。居間にはソファーが二つあり、その前に大きなテレビが置いてある。上にビデオやDVDが積み上げられていて、壁には様々な映画のポストカードを貼ったパネルがつるされている。
彼女はコーヒーを入れている。
「お忙しい時に伺ってすみません。どうぞ、私に気を遣わないでください」私はいう。
「私も飲みますから」そういうと、彼女は私のコーヒーカップをテーブルに置き、自分用のスターバックスのふた付きの大きなカップにコーヒーを入れる。
彼女は黄色のTシャツにジーンズをはいている。背が高く、髪をギュッとうしろで結び、茶色の縁の眼鏡をかけている。少し顔色が悪い。
この2日間で2時間しか寝てない。今回はナカナカ書けなくて、プロデューサーに電話をして提出を一日延ばしてもらった。朝までにはメールで送らなければならないのだという。
〈まずい時に来てしまったな〉と思う。迷惑ではないだろうか。
「いつものことですから、大丈夫ですよ」彼女がいう。
そんなわけで、私は彼女の仕事場に入り、机の前に座る彼女の後ろや横に立って、そのしぐさをながめている。
机の前には出演者たちの写真が貼ってある。二宮和也、成宮寛貴、山下智久、小栗旬、鈴木杏。机の上には、ミカンジュースの空っぽのペットボトル(〆切が迫ると食事がのどを通らなくなるのだという)、唇用クリーム、つめ切り、ピンクのマニキュア、マニキュア落とし(いきづまると爪の手入れをするのだという)、参考用の本『おとな図鑑』『子どもに語る5分間性教育』、横に置かれた大学ノートは小さな字で埋まっている。「ほんとうの私がはじまるとき」「思春期」「初めて生理になった日」……という文字がみえる。
なぜ映画関係の仕事をしようと思ったのだろう?
「授業中に全然きいてない子どもだったんですよ」金子は少し考えてから答える。「私には弟がいるので『キン肉マン』とか『キャプテン翼』とかが好きで、よく読んでたんですけど、昨日読んだ漫画の続きをずーっと考えているんです。『キャプテン翼』なら、試合の後、家に帰ってからの翼くんの様子とかを考えていて、気がつくとチャイムが鳴ってる。その頃から、空想癖があったんだなと」
父親の仕事の都合で、彼女は何度も転校した。幼稚園3回、小学校3回、中学校1回。
転校生だったことと、物語の世界に入りこみがちな空想癖とは関係があるのではないだろうか。
「関係あると思います」彼女はうなずく。「どうせ会っても2年後には別れることになるって知ってたんで、いつも感傷的な感じがあって……」
午前2時、金子の手は止まったままだ。考えこんでいる。スッと立ち上がるとコーヒーカップを手に居間に入る。ソファーに座り、リモコンでテレビのスィッチを入れる。すでに放送した「STAND UP!!」の画面があらわれる。早送りする。正平と先生がデートしている場面をジッとみる。左手でコーヒーカップを口に運び、右足をテーブルの角に乗せている。
役者の魅力的なしぐさとか、表情をみつけると、もう一度別の設定で使うのだという。
ビデオを消すと、仕事部屋に入る。
彼女が去った後の居間のテーブルに「ビスコ」の小さな箱がのっていた。
キーボードをたたきはじめる音がきこえる。ガチャガチャガチャと打つ。2,3秒間があり、またガチャガチャガチャと打つ。そのくり返しがつづく。音楽はないし、窓の外の騒音もない。
私はそっと仕事部屋に入る。
「ゴホッ」私がせきをする。彼女がふり返る。キッとした真剣な表情をしている。私の存在を忘れていたらしい。思わず、私はこういった。
「ごめんなさい」
金子はシナリオを書きながらセリフを口ずさまないし、ギャグのしぐさをやってみたりもしない。クスクス笑ったりもしないし、ワオッと叫んだりもしない。黙々と打っている。
シナリオライターという仕事は楽しいのだろうか。
「仕事はじめてから、ずーっとつらかったですね、フフフ」金子は力なく笑う。「大学時代はものを創るということが、あんなに楽しかったのに、何のためにやってるんだろうと思うこともあります。最初の頃は連ドラをやるたびに失望の連続で、もともとは映画がやりたかったんだから、これ終わったら連ドラはやめようと思ったりしてました」
どうやって立ち直ったのだろう。
「そんな最中でも、新しい映画とかをみて、ガーッと泣いたりとか、笑ったりとかして、その感想をノートに夢中になって書いたりしてると、気分が取り戻せて、自分だってこういう仕事やってるんだから、前向きにもっていこうって……思ったりして」
午前3時。金子の手は止まっている。左手で唇をさわっている。パソコンの画面をスクロールさせて前に打った部分を読む。少しずつ読んできて、シーンのタイトルだけでセリフの入ってない画面になる。「フーッ」ため息をつく。机の横に置いてある雑誌「JUNON」をとりあげる。パラパラとめくる。出演者のひとり、小栗旬がグラビアページに出ている。少しの間みている。次に「TVステーション」をとりだし番組表の金曜日のところをみる。裏番組は何かをみているのだ。雑誌を置くと、頬杖をついて考えこむ。このままストーリーが出てこなかったらどうしよう、そんな気持ちになることがあるのだという。
シナリオは第一稿を書いたら終わりではない。それをメールして、放送局に行き、スタッフの意見をきいて直す。再度メールし、さらに修正するということを繰り返す。時間が失われていく。放送開始の時点では、4回分先行していたのだが、その貯金もなくなってきているのだという。
「やってる間は苦しいですね、もう、マラソンですから」と金子はいう。
7月4日に一回目が放送され、もう4回目まで終わった。
視聴率は二桁と良い。反響もある。脚本家にとって、視聴者の面白かったという声は、励ましになるのではないだろうか。
「多少はね」金子はあまり感動していない。「なんか逆にプレッシャーになります。ともかく、目の前のものを上げていかないと、オン・エアが始まっちゃうとね、焦ります」
金曜日の夜、私はソファーに寝そべって、ビールを飲みながら、フフフと笑いながら番組を見ている。視聴者は気楽だ。
人を楽しませる娯楽は、それが楽しければ楽しいほど、作り手たちの苦しみは大きいのだ。
「東京に転校してきた中学生の時にね」金子がふと話しはじめる。「一生懸命がんばってみんなを笑わそうと思って面白いことをいったんです。そしたら『金子さんって面白くないよね』って友だちにいわれて、すごく傷ついたことを覚えてます」彼女は少し黙る。「その私が、いまコメディを書いてる……。書いたものをプロデューサーとかが読んで笑ってるのをみると、〈ヨシッ!〉とか思いますね」金子がニコッと笑った。
午前四時。窓の外が白くなっている。金子はパソコンの前にずっと座っている。カチャカチャカチャ、セリフを打つ。2,3秒みて、気にくわないのだろう、そのセリフを消す。左手の指で唇をさわる。パソコンのジーッという音がする。カタ、カタ、時計の音が大きくきこえる。
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