2020年代に入り、世界は物価高騰に襲われています。原因は、新型コロナ・パンデミックと、続いて起こったロシアによるウクライナ侵攻と言われますが、その背後には、世界秩序の崩壊とも言える歴史的な変化があると、中野剛志さんは指摘します。中野さんの最新刊『世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道』から「はじめに」をお届けします。
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ただ一滴の水より、論理家は大西洋またはナイヤガラ瀑布など、見たり聞いたりしたことがなくても存在の可能なことを、推定しうるであろう。同様に、人生は一連の大きな鎖であるから、その本質を知ろうとすれば、一個の環を知りさえすればよいのである(*1)。
これは、名探偵シャーロック・ホームズの言葉である。
推理小説における架空の人物の台詞であるから、もちろん誇張はある。とは言え、この言葉には、社会科学者や政策担当者にとって重要な教訓が含まれているように思う。
二〇二〇年代に入り、世界は、およそ四十年ぶりと言われる物価の高騰を経験することとなった。人々は食料品や燃料の値上げに苦しみ、企業経営者は仕入れ価格の高騰に悩み、投資家は金融市場の混乱に狼狽(うろた)えている。
だが、重要なのは、物価の高騰という目の前の現象に右往左往するよりも、その背後に存在するであろう問題の本質を見極めることである。
我々の日々の経済活動は、一国の経済という「一連の大きな鎖」のうちの一つである。そして、一国の経済は他の諸国の経済ともつながって、世界経済を構成している。さらに、経済は、自然、政治、外交、社会、文化そして思想とも結び付いて、「一連の大きな鎖」となっている。「一連の大きな鎖」の動きは「一個の環」を動かし、「一個の環」の動きは「一連の大きな鎖」を動かす。
もし、この「一連の大きな鎖」を熟知した社会科学者がいたとしたら、その者は、日々の物価の変動からも、世界の動きを推定しうるのではないだろうか。
そのような推定を可能にするためには、経済学を知っているというだけでは到底足りない。政治学、社会学、地理学、人口学、歴史学さらには自然科学にまで及ぶ包括的な知見が必要になるであろう。逆に言えば、人間世界というものを総合的に洞察する力がなければ、物価という身近な問題すら、まともに理解することはできないということである。
本書の目的は、二〇二〇年代に入って発生した物価の高騰という現象から、世界の構造に極めて重大な変化が起きていることを世に知らしめることにある。それは、歴史的な変化と言っても過言ではない。我々は、ただ食料品や燃料の値上げに直面しているのではなく、世界の一大転換点に立ち会っているのだ。
では、この物価の高騰が示す世界の歴史的な変化とは、何か。あらかじめ結論を言えば、グローバリゼーションが終わったということである。
では、グローバリゼーションはどのようにして終わったのか。
そもそも、なぜ、物価の高騰はグローバリゼーションの終焉を意味するのか。
そして、グローバリゼーションが終わった後の世界は、どうなるのか。
さらに、そういう世界にあって、我々は何をなすべきか。
本書は、こういった大きな問題を設定し、それに答えていこうとするものである。そして、その答えは、ほとんどの読者にとっては、予想外のものとなるであろう。
さて、準備はできたであろうか?
それでは、読み始めてもらいたい。
まずは「グローバリゼーションの終焉」についての分析からである。
*1 コナン・ドイル『緋色の研究』新潮文庫、一九九五年、二八頁
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続きはぜひ『世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道』でお読みください。
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世界インフレと戦争
世界が物価高騰に襲われている。この高騰は、景気の過熱に伴う「デマンドプル・インフレ」ではなく、景気後退・政情不安を招く「コストプッシュ・インフレ」の性格が強い。その背景にあるのは、グローバリズムの終焉という歴史的な大変化だ。このようなときには安全保障の強化や財政支出の拡大が必須だが、それらを怠ってきた日本は今、窮地に陥っている。世界秩序のさらなる危機が予想されるなか、もはや「恒久戦時経済」を構築するしか道はないのか。インフレの歴史と構造を俯瞰し、あるべき経済の姿を示した渾身の論考。
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