2022年カタールW杯でベスト16を果たしたサッカー日本代表。その支柱として活躍した長友佑都氏の著書『[メンタルモンスター]になる。』は、日本サッカー史上初めてとなる4大会連続でのW杯出場など数々の偉業達成してきた長友氏が激動のサッカー人生を振り返る、集大成の一冊です。一部を抜粋してお届けします。
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3度目のワールドカップの終わり
……。
目の前に広がる光景は、ぼやっとしてどこにも焦点が合わない。
緑と、赤と、青。
それを取り囲む……なんと言えばいいのだろう、カラフルな水滴のような模様。
ピントがずれた写真のようだった。
止まったシーンは徐々に動き出す。
戻ってきた声、温度、感情。
緑のピッチの上で、赤いユニフォームを着たベルギー代表選手たちが喜びの雄叫びを上げ、抱き合い、そして青いユニフォームのチームメイトたちはほとんど動きを見せなかった。
スタジアムの雰囲気はすさまじかった。地鳴りのような大歓声が、目の前で起きたプレーのすごさを物語っている。観客が、熱狂していた。
「終わった……かな……」まだ走れる自信はあった。
コンディションは問題ない。
でも……ロストフ・アリーナの電光掲示板は、それが叶わないことを示していた。
2対3。
アディショナルタイムに入り、時計はすでに止まっていた。
得点されたことが、まだ理解できていなかった。
たった1秒前、僕の視界にはハセさん(長谷部誠)がいた。ベルギー代表の世界的ストライカー、ロメル・ルカクの動きを捉えていた。ゴールキーパーの(川島)永嗣さんはシュートコースを切っている。
この形を作るために僕は、ルカクのマークを捨て、もっとも危険な前方へのクロスを防ぐポジションへと走った。そして、その思惑通りにベルギー代表のトーマス・ムニエに「横」パスを出させた。
相手選手は、全員僕らの後ろにいるはずだった。
なのに、急に視界に入った選手がゴールへボールを流し込んだ。
何が起きたのか、わからなかった。
試合終了のホイッスルが鳴り、チームメイトたちが崩れ落ちる。
ゴールを決めた(乾)貴士、(原口)元気が涙を流し、(昌子)源はピッチを叩いて悔しがっていた。(吉田)麻也が仰向けに倒れ頭を抱える。
1カ月以上、ともに戦ってきた仲間たち。
日本代表という誰もが憧れる青いユニフォームを身にまとい、サッカー界最高峰の大会であるワールドカップに挑んだ。
2018年7月2日、僕の3度目のワールドカップが終わりを告げた。
ロストフの14秒
今から遡ること8年前、2014年のブラジルワールドカップで僕はこれまでのサッカー人生の中で一番の挫折を味わった。その失意から立ち直るのに、1年以上の時間を必要とした。
「練習に行きたくない」
「サッカーが楽しくない」
そんな感情になったのは初めてだった。これほど涙を流したシーズンはない。
立ち直るきっかけのひとつが結婚だった。
それは後々に振り返るとして、ロシアワールドカップでは、その苦悩のときを「あの時間があって良かった」と思えるようにするために、何がなんでも結果を出す必要があった。
覚悟があった。
この大会で代表を引退する。
ワールドカップで味わった挫折はワールドカップでしか取り戻せない。
一度でも出場した選手がよく言うセリフだ。
簡単に取り戻せるものではない。4年間という時間を、すべてその一瞬にかけて、選ばれないかもしれない恐怖と戦いながら、成長を続けなければいけない。
取り戻せない選手のほうが多かっただろう。
取り戻せるチャンスがあるだけ幸せだった。
それに、そのくらいの努力を、この日に向けてやってきた自負もあった。
ロシア大会が終わったとき、同じような4年間をもう一度過ごすパワーが、僕に残っているのか――。想像すればするほど、それは無理だと感じた。
だから、この最後と決めたワールドカップにかけた。
結果は、地力の差が出た、という表現がもっともしっくりくる。
後半68分まで2対0で勝っていた。そこから同点に追いつかれ、さらにはアディショナルタイム4分に逆転された。
逆転を許したカウンターは日本のコーナーキックから。ベルギー代表のGKティボー・クルトワがキャッチしたボールをケビン・デ・ブライネに渡し、たった2度のパスで僕たちをベスト16敗退へ追いやった。
その間、14秒。「ロストフの14秒」と呼ばれ、ワールドカップ史上、もっとも美しいカウンターとして世界のサッカーファンの記憶に残っているだろう。
僕の場合、その失点は「たった1秒」だったのだけど。
試合後、ロッカールームへと向かうわずかな道のりには、まだ現実を受け止めきれないチームメイトたちの顔があった。涙が止まらない選手、顔を上げることができない選手……。
写真のように見えた「あの光景」から、まだ10分も経っていなかったと思う。
僕は、ひとり違う感覚を覚えていた。
「もう一度、この舞台に戻ってきてやる」
頭がクリアで、冷静だった。
何より、ワールドカップが心の底から楽しかった。
インタビューに呼ばれて、こう言い切った。
「ベスト16で終わってしまったことは今の日本の実力。でも、やれることはすべてやり切ったので、胸を張って帰ります」
同じインタビューで、ずっと切磋琢磨してきた盟友・本田圭佑は代表引退を発表したらしかった。翌日には、僕が出場したワールドカップ3大会、すべてでキャプテンを務めたハセさんが代表引退を表明した。そして、同じサイドバックとしてしのぎを削った(酒井)高徳も。
大会前に決めた覚悟、「代表引退」。
ともに戦ってきた多くのメンバーがそれを口にする中、僕の心はまったく逆の方向へと舵を切り、違った「覚悟」を持つことになった。
[メンタルモンスター]になる。
日本史上初めて、4大会連続W杯出場を果たした著者が激動のサッカー人生を振り返る、集大成! 『[メンタルモンスター]になる。』の情報をお届けします。