アフロヘアがトレードマークの稲垣えみ子さんが驚きの食生活を公開し、第5回料理レシピ本大賞料理部門エッセイ賞を受賞した『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』が文庫になりました。50歳で不安を抱えたまま会社を辞めた稲垣さんの人生を救ったものは何だったのか?「プロローグ」をお届けします。
* * *
50歳になったのを機に会社を辞めて、約1年が過ぎた。
会社を辞めるってことは、給料をもらえなくなるということだ。
そう、ロクな成果が挙げられなくても、上司と勇ましくケンケン対立しても、結局は給料日さえ来れば銀行口座に自動的にお金が振り込まれていたあのミラクルな日々! それはもう終わったのである。
なのでほとんどの人から「モッタイナイ」と言われた。
いやいやいいんです。私はお金より時間を取ったんです! だからこそ辞めたんです! ……と言ったものの、誰よりも私が一番フアンであった。だってそんな「非ミラクル」な暮らしは、親元を出てこのかた全く経験したことがないのである。経験どころか想像するだけでも恐ろしい。というわけで、なんだかんだ言っても最終的には「エイヤッ」と勢いで辞めてしまったというのが本当のところなのだ。
ところがですね、結局のところどうなったと思います?
全くどうってことなかったのである。
私は今、何の不安もない。不満もない。これ以上の暮らしはないとすら思う。
そう私は自由だ。鳥のように猫のように自由だ~!! ……と、誰もいない一人暮らしの小部屋で虚空に向かって叫びたい日々なのである。
で、それはなぜだと思います?
退職金があるから? 貯金があるから?
いやそれももちろんあります。だってこの日のために何年もかけて準備を重ねてきたんですから。そうですとも。最後の何年かはお金の計算ばかりしていた気がします。で、一生懸命お金を貯めてきましたとも。
しかしですね、お金なんていくら貯めたって安心できないものなのだ。それが証拠に、本屋さんへ行ってごらんなさい。もうそこいらじゅう、お金の本ばっかりです。ページをめくれば、老後は1億円あっても足りないとか、一流会社に勤めているあなたも油断していたら「下流老人」に転落するとか、そんな本が山ほど積まれているじゃあありませんか。
先日なんて新聞を見たら、「タックス(税金)テロ」ってのがあるから気をつけろという本のデッカイ広告が。テロたあ穏やかじゃないね。しかし何かと思えば資産が5億円以内の「小金持ち」がターゲットになるからゆめゆめ準備を怠ってはならぬと……。いや5億円もあれば別にたくさん税金を払ったっていいじゃないと思うんですけどね。しかしそうじゃないと。気をつけろ、大変だ、テロだと……。
つまりはキリがないんですな。お金というものはいくらあっても「足りない」という不安からは決して逃れられないわけです。
つまり、多くの人が「お金さえあれば安心」と思っているけれど、ことはそれほど単純じゃない。つまるところお金をいくら貯めても安心は得られない。ましてや「自由」なんて夢のまた夢なのであります。
で、私。
いやもう全然安心。全然自由。ハテそれはなぜなんだろうと改めて考えてみたわけです。
で、まさかの結論に気づいてしまったのでした。
私に自由をもたらしたのは、お金でもなく資産でもなく、特別な才能でもない。
「料理」だったんです。
料理ったって、なんちゃら風なんとかとか、そんな手の込んだものじゃないですよ。
詳しい経緯は後述しますが、所有していた膨大なレシピ本はほとんど処分してしまいました。なぜならレシピなんぞ全く見るまでもないような単純料理、すなわちメシ・汁・漬物を日々繰り返し作るようになったからです。
で、今の食生活はこんなかんじ。
調理時間は10分でチャチャッと。
材料費は1食200円程度。
特別なスキルもセンスも不要。
ワンパターンだから「今日は何作ろう」と頭を悩ませることもなし。
「作りおき」なんてする必要性ゼロ。
え、つまんないって? 食べる楽しみがなくなる?
いや確かにね、私もずっとそう思ってきた。ゴチソウこそは明日への活力と信じ、手の込んだ世界の料理をせっせと作り、雑誌や口コミ情報を熱心にチェックしては食べ歩きにも膨大なお金と労力を費やしてまいりました。
ところがですね、とあるきっかけからこんな食生活を始めてみたら、もう全く予期していなかったことなんだが、自分で言うのもなんですけど、この「超地味メシ」が走って家に帰りたくなるほどうまいんだ! いや冗談じゃなくて。
つまりは何の手間もお金もかけずとも、実は何の苦労もなく「食っていく」ことができるんですよ。しかも最高にうまいものが。
だとすれば……あれ? 人生って何なんだろう。
私はなんのためにこれまで苦労したり我慢したりしてきたんでしょうか?
だってこれまで「豊かに生きるため」にまあまあ散々な努力をしてまいりました。幼い頃から教育ママに尻を叩かれ懸命に勉強し、受験戦争を必死に勝ち抜いて、それでも試練は終わらず、卒業するや高給を得られる会社に就職しようと頑張り、今度はせっかく得たその地位を失ってはならじと嫌なことがあっても不本意なことがあってもひたすら耐えてきた。まさしくどこまで続くぬかるみぞ!
しかしこれも全て豊かな暮らしのためと、自分なりに歯を食いしばってきたわけです。
ああそれなのに、そのことと「豊かに生きる」こととの関係は、実は全くなかったのかもしれないんですよ。だってよくよく考えたら、人間とは日々うまいものさえ食っていればもう相当に豊かに機嫌よく生きていけるのです。
これを言い換えるとですね、人が生きていくために必要なものなんて、実は全然大したことないってことに遅まきながら気づいてしまったわけです。そしてその「必要なもの」は高いお金を出さなければ買えないものでもなんでもなくて、それを作り出す力、すなわち「料理をする力」は全部、自分の中にすでに備わっていた。
となれば、人生に何の怖いものがありましょう?
こうして私は50歳にして「稼がねば」という無間地獄からついに脱出したのです。自由を得たのです。いや本当です。なんたって1食200円、余裕をとって月に2万円あれば十二分に食っていける。月2万円ですよ! それなら何のスキルも能力もない中年女とて、仮に食い詰めても時給1000円の仕事を月20時間こなすぐらいならできないことがあるものか。
……まあもちろん、人生そんなに単純じゃありません。
生きていくには家賃だってかかります。それにこれというのはあくまでも、そこそこ健康な独身者ゆえの計算です。養わねばならない家族がいたり、自分や家族の誰かが病気を抱えていたり、あるいは借金を返さねばならなかったり、様々な事情で月々まとまったお金が必要な人も少なからずおられることでしょう。
しかしそうであっても、少なくとも自分一人が機嫌よく食っていくのに必要なものなんてその程度ってことがわかれば、人生はたちまち違う色を帯びて輝いてきませんか。お金のために自分の時間を差し出す必要なんて、本当はないのかもしれない。だとすれば、やりたいことを、ただやるだけだ。
会社員だろうが学生だろうが主婦だろうが子供だろうが、いざとなれば自分一匹、十分食っていける、自分で自分を幸せにすることができる。この過酷な世の中を朗らかに生きていくなんてとても出来やしないと誰もが思っているけれど、全然そうじゃないのかもしれない。
離婚されようが、親に育児放棄されようが、会社に捨てられようが、自分で自分を食わせていくことができる。誰かに自分の人生を台無しにさせる必要なんて全然ない。
そう、人生は怖くないのです。
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続きは幻冬舎文庫『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』をご覧ください。
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