「バカヤロー」キャラで74年やってきた泉谷しげるさんの新書『キャラは自分で作る―― どんな時代になっても生きるチカラを』より、泉谷さんの熱い「キャラ論」をお届けします!
根拠なき自信は強い
フォークソングを歌い始めた18歳の頃、西暦で言うと1966年頃なんだけど、時代はヒッピーカルチャーの全盛期。サイケデリック・シンドロームとか、フラワーチルドレンというフレーズが流行って。ベトナム戦争に反対して、「愛と平和とフリーセックス」と唱え、時代は“新しさ”にあふれていた。
プロテスト(抗議)・フォークの登場でムーヴメントが巻き起こったんだ。政治的なメッセージを込めた歌詞がカッコよくてさ。ボブ・ディランは一躍、フォークの神様になっちゃった。
プロテスト・ソングのブームは日本にも伝わってきて、学生運動をやっている若いヤツらも“武器”にしたんだ。
69年に初めての「中津川フォークジャンボリー」が開かれて、その第2回と第3回は、赤い鳥や吉田拓郎が出演してさ、ものすごい盛り上がりだったんだ。客の入りもよくてさ、感動的なフェスティバルだった。でも、71年の第3回中津川フォークジャンボリーは会場が新左翼の学生に占拠されて、政治集会にされちまった。そして、その3回目でこのイベントは終了した。
「歌で世の中を変えられるか」と言う新左翼の学生に、「変えられるわい!」ってフォーク歌手が押し返す。その繰り返しがバカらしく、多くのミュージシャンが新左翼のヤツらと決別したのだ。
しかし、フォークソングブームは終わるどころかますます盛んになっていった。これだけ盛り上がっているんだからさ、オレもやっていける余地があるんじゃないかって。このフォークのブームに乗っかって、一旗揚げてやろうと思った。
いけるんじゃないかっていう自信もあった。「根拠なき自信」ってヤツだ。コイツは強い。どこまでも行くからな。
オレはイケメンじゃないし、その頃から口も悪いしな。すぐに「バカヤロー」とか「テメエ、コノヤロー」とか暴言を吐く無礼者で、そんなんだから、女の子のほうから近づいてくるワケねえよな。でもさ、この「泉谷しげる」っていうキャラクターは、フォークの世界で輝けるんじゃないかって勝手に思ったんだよ。
「バカヤロー」キャラは男の兵法
まあ、この顔のせいもあるけど、小学校の頃から女の子にはまったくモテなかった。しかも臆病で、こっぱずかしくて告白なんかできねえから、陰からじーっと見てんだよ。それで、ずっと見てるから、みんなにすぐにバレちゃうんだ。「お前、アイツのこと、好きなんだろう」って。で、その噂が好きな女の子に伝わって、告白もしてねえのにフラれてしまう。恥ずかしがり屋の純情なガキだったんだ。
ただ、そうしたフラれるという経験が、男にとっては重要なんだな。自分が敗者であると知る、ものすごく大きな経験になるんだからよ。
女にフラれて、だんだん自分のことがわかってくる。臆病で、度胸がなく、みみっちい人間で、しかも野獣のような顔をしている。それでも、好きな女の子とは付き合いたいワケだろ。じゃあ、どんなキャラクターになれば、その子と付き合えるのかって頭を使うのだ。自分がなるべきキャラが見え始めるんだな。 オレの学生時代は「滅びの美学」みたいなものがあったんだ。60年代の終わりくらいだったかな、日本へ入ってきたアメリカン・ニューシネマにも「負ける美学」が描かれていた。男ってさ、そういう滅びの美学が大好きなんだ。ちょっとヤセ我慢的な、ね。最後は勝てるワケがない相手に突っ込んでいって、玉砕する。男はバカだから、正面衝突の正攻法がカッコいいと思っているんだ。
でもさ、オレは嫌だったんだ。正面衝突で玉砕したら、それで終わりじゃねえかって。臆病で、度胸のないオレのような男に勝ち目はないもんな。正面衝突を避けながら、うまく脇から歩み寄っていって、攻め落とす。そんなキャラクターと兵法を身につけたいと思ったんだ。
で、見えてきたのが「バカヤロー」のキャラ。「お調子もんでケンカに強く、口は悪いんだけど、根はいいヤツ」みたいなのを表現したいと思ってな。それで、ことあるごとに「バカヤロー」「コノヤロー」って言うようになったんだ。相手がオレの言葉に一目置いてくれればそれでいい。相手が「コイツ、口は悪いけど、なんかいいヤツだよな」って都合よく思ってくれりゃ、それでいいじゃねえかって。「バカヤロー」キャラは正面衝突したい気持ちがあるのに、できない男の兵法なんだ。
でも若いうちはうまくいかないことも多かったんだ。使いどころを間違えて、オレも相手も本気でアツくなっちゃって。で、何度も痛い目にあった。本気で殴り合いのケンカになったら、たいてい負けちまったぜ。