「バカヤロー」キャラで74年やってきた泉谷しげるさんの新書『キャラは自分で作る―― どんな時代になっても生きるチカラを』より、泉谷さんの熱い「キャラ論」をお届けします!
『春夏秋冬』を歌い続ける
オレの歌は駄作も多いけど、でも、いい曲もあるだろ。『春夏秋冬』は名曲だと自分では言いにくいがさ。今も若い客が「聴きたい」って言ってくれるし、コンサートで一緒になって歌ってくれる。『NHK紅白歌合戦』に初めて出た時も、『春夏秋冬』を歌ったんだ。『春夏秋冬』は一生歌い続けていく曲。でも、若いうちはその意味がわかんなくてよ。
『春夏秋冬』は1972年に作った。もう半世紀前の曲なんだな。で、50年も歌っていると、どうしても飽きがきちまう。だから、「昔の歌はやらない」とか、「新しい曲を聴いてほしい」っていうアーティストの気持ちはよくわかる。「昔の歌はもう歌わない」と、一時期、『春夏秋冬』を封印していた時期があったんだ。
でも、みんなが気に入った曲っていうのは、もう自分だけの曲じゃないんだ。みんなのものにもなっているんだな。『春夏秋冬』は福山雅治もカバーしてくれたし、オレの世界を超えているんだ。
客は『春夏秋冬』目当てに、コンサートに来てくれる。だから、どんなことがあっても歌わなければならない。オレだって、好きなアーティストのコンサートに行ったら、「あの曲をやってくれ」って思う。やってくれないと、心の落としどころがなくなるんだ。
だから、『春夏秋冬』を歌わなかったライブは、今となっては後悔しかない。「なんてことしちゃったんだ」って。『春夏秋冬』は、たとえ自分が歌う気分じゃなくても、客に歌わされるものでいいから、歌い続けていかないとダメなんだと。
オレは『春夏秋冬』をたまたま作っただけ。それをわざわざチケット代を払って、聴きに来てくれる。本当に幸せなことだな。
自分の歌は自分で守る
駄作っていうのは、作りたくて作ってるんじゃねえ。でも、どうしても生まれてしまう。何年か経って聴いて「これは許せない」っていうの、たくさんあるけど、それは仕方がない。その時は、いいと思って作っているんだから。
歌詞は真夜中のラブレターみたいなもの。その時は気持ちが昂っ(たかぶ)てて、ダメさに気づかない。でも、たいてい後で読み返すとロクなもんじゃねえんだよ。曲づくりも、ナニかと大変なんだゾ。
ミュージシャンにできるのは、音楽の精度を上げていくことだけ。ライブを見に来てくれる客は、先払いでチケットを手に入れているワケだから、そのぶんを歌で返してあげないと。期待以上の精度の高い音楽を聴かせてやんねえとな。
ミュージシャンや音楽関係者は、歌い飽きてるし、聴き飽きているから、だんだん惰性になっていく。「またこの曲やんのかよ、もう、飽きた」ってな。だから、新鮮な気持ちを味わいたくて、アレンジを変えたがる。「この曲、ボサノバ風にアレンジしてみませんか」とか、「レゲエ風、いいんじゃないですかね」とか。でも、余計なことするんじゃねえよ。
オリジナルは、オリジナルのままがいい。変えちゃダメだ。特にメロディーラインだけはいじるな。アレンジでよくなるなんてこと、滅多にねえんだから。自分の歌は、自分で責任を持って、守んなきゃならないんだよ。
最近のミュージシャンは、「自分の責任」っていう意識が低過ぎるよな。売れなきゃ他人や事務所のせいにしてよ。最近は、客のせいにするヤツもいる。よくミュージシャンが「今日の客はノリが悪い」って言っているだろ。そんなヤツは、ただのバカヤローでしかない。乗るか乗らないかは、お客さんの自由だろ。お前のノリが悪いから、客がノラねえんだろ。
だいたい下手くそなヤツって、客の顔色をうかがいたがるんだ。オレのバンドメンバーが客に向かって拍手を求めたりなんかすると、オレは殴りたくなる。「客に目を動かすな」って怒鳴りつけるんだ。もっと自分の演奏に入っていけ。自分に集中できないヤツは、とっととやめちまえ! だ。
これは、ミュージシャンだけの話じゃない。ただの弱いヤツは、客の反応を気にするんだ。サラリーマンだって、絵描きだって、料理人だって、同じだ。最高の仕事を客に差し出せばいい。とにかく、ただひたすら精度を上げていけ。