先行き不安な日本経済をはじめ、メタバースや再生エネルギー問題、EV、医療・介護など、幅広い分野の驚くべき未来を予測した新刊『2040年の日本』(野口悠紀雄著)から、試し読みを抜粋してお届けします。未来を正しく理解し、変化に備えられるかどうかで、人生の後半は決まる!
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「成長率の違い」は絶大な差をもたらす
本章では、将来に向かって日本経済がどの程度成長できるかを検討する。
「成長、成長」と言うと、「そんなに成長を追い求めなくてもよいではないか」という意見が出てくるかもしれない。「日本は世界を征服しようなどと思わなくてもよい」「もっと豊かになろうなどと考えなくてもよい」「足るを知ることこそ重要だ」等々の意見があるだろう。
しかし、日本が今後とも成長できるか否かは、「今後の超高齢化社会において、高齢者を支えることができるか」という差し迫った必要性を満たせるかどうかを決める、最重要の条件なのである。例えば、成長率が0・5%になるか1%になるかによって、負担や受けられるサービスが大きく変わってくる。高齢者を支えるためには、成長がどうしても必要だ。
想定していた高い成長率が実現できないと、税収や保険料収入が確保できなくなる。社会保障政策をはじめとする、あらゆる施策の財源が確保できなくなるのだ。
成長率が1%と0.5%の差は大きい。とくに、20年後、40年後には、このいずれかで大変大きな差が生じる。1%成長と0.5%成長とでは、40年後には2割以上の差が生じる。1%成長を前提として収支計画を立て、実際には0.5%しか成長できなければ、一人当たりの負担は2割増える。あるいは、一人当たりの給付を2割減らさなければならなくなる。「分配なくして成長なし」と言われるが、実際には、「成長なくして分配なし」なのだ。
本章でこれから見るように、OECD(経済協力開発機構)の予測も日本政府の財政収支試算の予測も、将来の日本の経済成長率として、これまでの日本の成長率に比べれば、かなり高い成長率を想定している。
とりわけ、財政収支試算の見通しは、過去の実績に比べて楽観的すぎると言わざるをえない。過去の成長率から見て、ここで想定されているような成長を実現できるかどうかは、疑問だ。
財源は国債だけでは賄えない
「財源が足りないのであれば、国債で賄えばよいだろう」という意見がある。こうした考えは、コロナの期間に強まった。大規模な財政支出が行なわれ、その財源のほとんどが国債発行で賄われた。日本でもそうだったし、アメリカを始めとする諸国でもそうだった。
そして、国債を大量発行したにもかかわらず、金利が上昇しなかった。それは、経済全体の需要が縮小していたからであるし、中央銀行が市中から巨額の国債を買い上げて金利上昇を抑えたからでもある。
この経験から、「財政支出の財源は、中央銀行が貨幣を発行して賄えばよい」というMMT(現代貨幣理論)の考えが正しいように思われた。
しかし、そうしたことは成立しない。これは、いまアメリカでインフレが発生していることから明らかだ。MMTは「インフレが起こらない限り」という限定条件つきで国債によるファイナンスを正当化しようとしたのだが、まさにその限定条件が成り立たないことが分かったのである。MMTのような無責任な考えではなく、正面から財源確保の問題に取り組まなければならない。
とくに成長が必要なのは、日本
以上で「成長」と言ったのは、景気の話ではない。景気刺激とは、供給能力を所与として(つまり、短期的な観点から)、需要を増やすことだ。ここで考えているのは、そうではなく、長期的な供給面のことである。
供給能力を高めることは、インフレを防ぐためにも重要な課題だ。人口が高齢化した社会はインフレに陥りやすい。労働力不足によって供給力が落ち込むからだ。これを克服する方法は、技術革新と労働力率の向上しかありえない。
この数年間、われわれは、コロナとインフレという問題に振り回されて、長期的な課題を忘れている。もちろんコロナもインフレも重要な問題だが、重要なことは他にもある。そして、この問題がとくに重要なのは、世界で最も深刻な高齢化に直面する日本においてなのである。
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※試し読み公開はここまでです。続きは『2040年の日本』(野口悠紀雄著)をお手にとってご高覧ください。
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2040年の日本
未来を正しく理解し、変化に備えられるかどうかで、人生の後半は決まる!60年近くにわたり日本の未来を考え続けてきた著者が、日本経済やメタバース、エネルギー問題、EVや核融合・量子コンピュータなど幅広い分野について予測する。