強運に見える「経営のカリスマ」にはしかるべき理由があった!「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」等の企業ポリシーでも知られる日本電算会長/創業者・永守重信氏の、仕事でもプライベートでも運気を呼び込む最強の習慣が1冊に。新刊『運をつかむ』から試し読みをお届けします。
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「人との縁」は、すなわち「運」といってもいい。新しい仕事も幸せな出会いも、みな縁が運んでくれる。人の縁に恵まれている人は、運にも恵まれるものだ。
縁は当然ながら、自然とわいてくるものではない。待っているだけでは、縁はやってこない。運が努力に努力を重ねた上でやってくるように、縁が生まれるのにも、人と積極的に交わるなどの努力がいる。そして、ひとたび人と縁ができれば、その「ご縁」は大切に扱うべきなのだ。
縁を生み、それを長く続かせるには、まず第一に信頼を築くことである。「築城三年、落城三日」といって、人の信頼は築き上げるのには3年かかるが、1回の過ちであっという間に失ってしまう。当然のことだが、約束は必ず守るなど常に誠実であることがとても大事だ。
そして、つき合いが途絶えないようたまに連絡を取ったり、一緒に食事をしたり、つき合いが深ければたまに贈り物をしたりと、互いに忘れないよう気を遣う努力も欠かせない。
よく考えれば、縁というものは、奇跡的な確率で生まれるものだ。500万年という人類の歴史のなかで現代という時代にたまたま生まれ、何十億人という人間がいるなかで、一生で出会う人は、そのうちごくわずかである。そんなことを想像すれば、縁とは実に尊いものだという気持ちになる。
私の仕事人生も、さまざまな人との縁によって成り立っている。親、家族、友人、学校の先生、社員、顧客、ビジネスパートナー……実にたくさんの人たちとの出会いが、ここまで私を運んでくれた。どの人との縁も、すべて自分にとってかけがえのない財産だ。
長く印象に残り続ける出会いも、感謝してもし切れない出会いも、思い返せば数え切れないほどある。
オムロン創業者の立石一真さんも、その一人だ。立石さんは京都を創業の地とした尊敬すべき大先輩であり、また厳しい状況のなか、思いがけなく手を差し伸べてくれ、日本電産が大きく飛躍するきっかけを与えてくれた大恩人である。
立石さんと初めて出会ったのは、京都の財界や金融機関が出資してつくった日本初のベンチャーキャピタルのトップとして、立石さんが日本電産の小さな工場を視察に訪れたときのことであった。
あるとき、アメリカのスリーエム(3M)社から、カセットテープを高速でダビングできるカセット・デュプリケータ用モーターを大量に受注できたのだが、一つ大きな問題があった。工場といえば民家の一部を使用したきわめて小さなもので、スリーエム社からの注文数量をこなせるだけの生産設備がない。そのため新しい工場の建設を急いで進めなければならなかったのだが、実績も信用もない零細企業を相手にしてくれる銀行はどこにもない。
その頃、件のベンチャーキャピタルが誕生したことを知り、すぐに融資を申し込むことにした。ところが担当者の返事は、つれないものだった。あまりの規模の小ささと実績のなさを指摘され、審査には回すが、通る確率は低いので期待はしないでほしいというのだ。
数日後に電話がかかってきたが、その内容は意外なものだった。なんとベンチャーキャピタルのトップが直々に工場を視察したいというのだ。このときのトップが立石さんだったのである。
嬉しかったものの、内心は不安で一杯だった。30坪ほどの民家の一階を使っているだけの貧相な工場、設備も古びた中古品ばかり。それを見たらどう思うだろうか。
この頃は、交渉が進んでいる会社の担当者を工場に案内した途端、話が立ち消えになってしまうことが続いていた。だが、それは杞憂だった。
「創業1年で、ここまできたのは立派なものです。私が創業した頃の工場は、もっとみすぼらしいものでした」
見学をひと通り終えた立石さんは、にこやかな笑顔でそう激励してくれたのである。その後、融資が正式に決まり、京都新聞にそのことが大きく取り上げられた。この一件で日本電産の名前は金融機関の間で知れ渡り、銀行からの融資はそれ以降、格段に受けやすくなった。
このときにできた立石さんとの縁は以来ずっと続き、経営の基本や考え方についてさまざまな形で薫陶を受けることになったのである。
運をつかむ
人生は「運」が7割。運気は「努力」で呼び込める!仕事でもプライベートでも運気を落とさない生き方を徹底する、経営のカリスマ・永守重信の習慣。