情報が溢れ、何もかもが急速に変化している現代こそ、2500年も前から「人間の原点」について向き合い、「人生の悩み」も「この世の疑問」も、解決してきたのが仏教を学んで、自分の力にしたい。
新刊『悩むことは生きること ~大人のための仏教塾』より一部公開します。
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Q 「煩悩(ぼんのう)」とは何ですか?「悩み」とは違うのですか?
A 悩みも含めた頭に浮かぶすべてのことです。
あなたが毎日の生活の中で感じているさまざまな悩みも、広い意味では煩悩の一種といえるでしょう。煩悩とは、心や身体をわずらわせるもの、悩ませるもの、汚すものと、仏教では定義されています。
この煩悩は、さまざまなものから生み出されますが、その代表的なものが「三毒」といわれています。三毒とは、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚癡(ぐち)の三つをさし、それぞれの一字をとって、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)ともいわれます。
貪(貪欲)とは、ものをむさぼる心で、あれも欲しい、これも欲しいと際限なく求めることです。
瞋(瞋恚)とは、怒りの心です。怒りによって、人を拒絶したり、嫌いになったりします。
癡(愚癡)とは、無知や愚かさのことです。それによって真実を見つめようとしない心を生んでしまいます。
こうした三毒に加え、慢(おごり高ぶること)、見(間違った見かた)、疑(疑うこと、迷うこと)などが、煩悩を生み出すもとといわれています。
よく、煩悩は108個あるとされ、それは除夜の鐘の数と同じだといわれますが、それが本当なのかどうかよくわかりません。煩悩の数は3個、5個、98個、108個、約8万4000個など、さまざまな説があります。
平たくいってしまえば、煩悩とは、“頭に浮かぶことのすべて”だといってもよいでしょう。浮かぶだけならいいのですが、浮かんだことを固定化してしまうというか、それにどうしてもとらわれてしまいます。
何ものかに心がとらわれた状態を、仏教では「執着(しゆうじやく)」といいます。それが煩悩となって、悩みや苦しみを生むもととなったり、ものごとを正しく見ることを妨げる原因になったりするのです。仏教、とくに禅宗では、この煩悩や執着を捨てることを修行の目的にしています。
でも、それはとても難しいことです。人間は他の動物と違って脳が発達していますから、次から次へといろいろなことが頭に浮かんできます。それが文明を発展させてきたともいえますが、それによって悩みや苦しみも増えてきたのだと思います。
生きているかぎり、煩悩がまったくなくなることはないでしょうが、できるだけそれにとらわれない生きかたをしようと思うことが大切なのではないでしょうか。
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悩むことは生きること 大人のための仏教塾
生死のこと。心に浮かんでしまう良くない感情。抑えきれない不安。あなたの抱える悩みや苦しみに、2500年も前から向き合い、救いと解決の手立てを差し伸べてきたのが仏教だ。その教えは我々の生活や教養の一部となり、心を整える一助となっている。けれど、仏教のことちゃんと知ってる? 釈迦の教えを日々実践している禅僧が、今さら人に聞けない、基本的だが本質的な95の疑問に答える。情報が溢れ、変化の激しい現代だからこそ、仏教が説く人間の原点に立ち返り、生き抜く智慧を身につけよう。