日本ではじめて「女性解放」の視点での心理療法、フェミニストカウンセリングを実践した河野貴代美さんが、後進のカウンセラー加藤伊都子さんとともにオンライン講座「人生100年時代の女性の生き直し方~生きづらさから生きやすさへ~」を9月16日(土)に開催します。心理的苦難を抱える女性たちに「苦しいのは、あなたが悪いのではない」と「語り」を促し、社会の変化を後押ししてきたフェミニストカウンセリングの活動を河野さんの著書『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』よりご紹介します。
歴史の生き証人としての義務
フェミニストカウンセリングをご存じでしょうか?
米国でフェミニストセラピィとして生まれ、日本でフェミニストカウンセリングとして育ちました。それを日本に持ち込み、種を蒔き、水をやって育てたのは私と仲間です。その記録を歴史の生き証人として残しておく義務を感じ、本書の執筆を決意しました。
目的は二つあります。
第一は米国で生まれ、のちに日本で育ったフェミニストセラピィについてその歴史や意義を紹介することです。フェミニストセラピィとはフェミニズムの考えに基づいた心理療法ですが、セラピィ、つまり治療というような医療モデルに倣っていません。フェミニストセラピィの大きな成果は女性の問題の脱医療化・脱病理化、つまり単純に安易に病気と見ないことなのです。この経緯については第5章で詳しく説明するつもりです。
日本では「セラピィ」ではなく、「カウンセリング」という用語を採用することにしました。同じくこれも後述します。米国での実践報告はフェミニストセラピィを使い、日本での状況はフェミニストカウンセリングと、使い分けることとします。
残念ながら、日本ではフェミニストの間でさえ、これらの事情を含め、フェミニストカウンセリングの理論や実践がよく知られていないのが現状です。フェミニストカウンセリング業界の内部に情報が留まっているだけでなく、相談業務に伴う守秘義務によって、外部への情報発信が十分でなかったからでもありましょう。
フェミニストセラピィ=カウンセリングの誕生
フェミニストセラピィは、日本では東京で産声をあげました。1980年2月、個人開業カウンセリング・ルーム「フェミニストセラピィ〝なかま〟」として発足しました。のちフェミニストカウンセリングに改称され、日本各地に次々に生まれることになったカウンセリング・ルームは、最初の〝なかま〟を除いて、「フェミニストカウンセリング堺」「ウィメンズカウンセリング徳島」などと名乗っています。
セラピィ(治療)をカウンセリング(相談)といい換えても、カウンセリングそれ自体のわかりにくさがあります。たしかに、私自身も、一言で説明せよと求められても困難を覚えるほどです。相談大流行の昨今、精神修養かと問われたり、ハウツー的に具体的な解決策を得られる手段だと思われたり、複数回の面談を重ねることで多少は丁寧な取り組みだとみなされたりしますが、極端にいえば「話し合うだけでどうなるの?」と疑問視されることが、一番多いかもしれません。
私の知るところ、薬物派の精神科医には、カウンセリングを信用しない人が多いようです。向精神薬が出まわるにつれ、患者に診断を下し、薬を処方する権限を持つ精神科医は、ますます薬物療法に依存するようになっていくかもしれません。かつて薬も併用していたクライエント(来談者)の一人は、カウンセリングによって回復していくにつれ、なぜ症状が改善したか、その理由を医者にはいわない、聞かれたら、「黒幕がいるんですよ、というつもりだ」と、笑っていました。
そこで本書の第二の目的です。それは、私自身の考えるカウンセリング観を、人生の終わりにあたって、しっかり考え、記述してみることです。これまでフェミニストカウンセリングの関連書物を幾冊か書いてきましたし、フェミニストカウンセリングを支える根幹にある理論と実践にも簡単に触れてはきましたが、フェミニストカウンセリングとは何かを次世代に手渡すという意図までは持っていませんでした。今回、本書は私が人生で書く最後の本になる可能性もあり、これまでの宿題を果たしたいという想いがあります。
そのため私が、フェミニストカウンセリングを総ざらい的に概観し、これまでの経緯および今後の見通しについて記述するには、個人史を外すわけにはいかないことをご承知いただきたいと思います。なお、本書の英文資料からの記載は、特定の訳者が明記されていない場合はすべて河野の翻訳によります。
フェミニストセラピィと出会うまで私は大学卒業後、精神科病院で精神科ソーシャルワーカー(現在では精神保健福祉士)として働いていましたが、1968年末に渡米し、紆余曲折ののち、機会を得てボストンにある大学院でソーシャルワークを学ぶことになりました。そんな学業中のある時、当時のパートナーであった彼から、フェミニズムのことを聞きました。「あなた、こんなことに興味ない?」と。
当時フェミニズムのフの字も知らなかった私が、なぜNOW(全米女性機構:1966年に結成された女性の地位向上を目的としたアメリカの政治団体)ボストン支部の集会に出てみようと思ったのか理由はもう記憶にありません。30代の初め、時は1970年代初期、ベトナム反戦運動が盛んな頃でした。日本でもウーマンズ・リブ(女性解放運動)が始まろうとしていたようですが、そのニュースは知る由もありませんでした。
出かけたNOWの集会がどのような形のものであったかも忘れましたが、参加者がそれぞれ自分たちのことを話し合い、誰の語りにも、正直に誠実に自分に向き合っているという、ある種の強さにもまして、さわやかな印象がありました。私もなぜ米国に来たのか、来て何をしているか、何をしたいのか、そもそも私とは何者かをトツトツと話したものです。実は、「私とは何者か」という自問はボストンに来る前に滞在したアルコール・麻薬依存症者の自助施設、シナノンで突き付けられたまま宿題として残っていました(第4章参照)。
私の話に対して戻ってきた反応は、よくわかる、共感する、大変だったね、自分とは何者か、は誰にとっても大事な事柄だ、などのサポーティブなものでした。なかでも、あなたは、そのままのあなたであっていいのだよ、というメッセージは心に染みました。難しい英語ではありません。
You are all right as what you are.「今あるがままのあなたでいいのですよ」という意味です。
as what you are(今あるがままのあなた)はすぐに納得というわけにはいかないものの、とりあえず今ある自分を受容すること、いや考えてみればそうするしかないのです。スタートの時点を知らないまま、いきなりどこへも飛べないのですから。驚くと同時にこれは自分が十分に受け入れられているという実感を伴った、深く安堵する、初めての体験となりました。
河野貴代美さん×上野千鶴子さんオンライン講座
「おひとりさまの老後を生きる」
開催日時:2023年12月11日(月)19時~21時
場所:Zoomウェビナー
2024年1月8日(月)23時59分まで視聴可能なアーカイブを販売中です。詳細は、幻冬舎大学のページをご覧ください。
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2023年3月8日発売『1980年、女たちは「自分」を語りはじめた フェミニストカウンセリングが拓いた道』について